第18話:持ち検
文字数 3,272文字
「でもよ、タイラんチなんか床上だったてーじゃん。ハンパねーな」
学校は大雨の話題が挨拶代わりとなっている。
生徒や教職員の家も被害に遭ったところが何軒か出たらしく、水が引いたとはいえ美咲元町の駅前ではきょうも清掃作業が行われていた。
学校は2日間休みとなり、きょうは再開初日の授業だ。
あおりで夏休みの最初の2日を授業に充てることになり、朝のホームルームでそのことが告げられると、生徒から落胆の声が上がった。
ただ、2日間休みになったおかげで、風邪で休んでいた生徒もその間にほとんどが治ったようで、俺たちの2年N組は全員出席している。
俺があの日、どこにも連絡しなかったことは、東城と春菜に謝った。
かえで先生にも朝一番で職員室に訪ねて詫びた。
もちろん、涼子にはホテルへ行ったことは口止めしているので、クラスでそのことを知っている奴は誰もいない。
なんか、尻尾を握られてるような居心地の悪さもあるが、言い出したのはあいつだし、俺は何もしちゃあいない。
もしバレても、何ら後ろめたいことはない。
授業は粛々と進み、昼休みは久しぶりにかすみと一緒だった。
一応病み上がりということで、軽めの弁当。
俺は売店でパンを買い、教室で話をしながら食べた。
「なんか、災難だったわね」
かすみは大荒れだった日のことを振ってきた。
「あんな酷い天気になるなんて思わなかったよ。ああなることが分かってたら、最初にかすみんチに冊子届けるんだったよ」
「電車、どこで止まっちゃったの?」
「萩窪」
「駅で夜明かししたんでしょ? 横になる場所とかあったの?」
ここはもう、ハッタリをかますしかない。
「仕方ないから駅の階段に座ってた」
「紅村さん、どうだった?」
俺は、うっと心臓をつかまれたような気持ちになった。
しかし、ここは平静を装い、ひざを抱えて2人とも仮眠を取ったと適当なことを言ってごまかす。
「でも、翌朝届けてくれて助かったのよ、本当に。山葉くんありがとうね」
礼を言われ、罪悪感がさらに増幅されたが、何食わぬふうに笑顔で応じ、昼休みは終わった。
午後の授業もあっさり終わり、あとはホームルームだ。
きょう、かすみは部活を休むと言っていたので、これが終われば家まで送っていく。
まあ、病み上がりでバーガー屋もファミレスもないだろうから、どこにも寄ることはないが、これでまた一歩親交を深められる。
早く終わんねーかな、ホームルーム。
教室のドアが開き、かえで先生が入ってきた。
「はーい、みんな、静かにしてちょうだい。ホームルーム始めるわよ」
これが終われば帰れる。
ざわめいていた教室は静まり返った。
「授業のことは朝、言った通りよ。夏休みが2日減るけど、我慢してネ。それで、きょうは抜き打ちで悪いんだけど、持ち物検査をするわよー。大分先生、お願いします」
生徒の間から、悲鳴とも抗議ともつかぬどよめきが起こった。
まさかこんな日に持ち検があるなんて、誰も想像していなかったから当然だ。
まあ、いくらなんでもこんな時にエロゲーやヌードグラビアを持ってきてる奴もいまい。
検査はほとんど儀礼的といっていいほど、順調に進むだろう。
姫高の持ち物検査は不定期だ。
女子校だった時代にはなかったそうだが、共学化で始めたという。
担任が単独でやるときもあれば、担任立ち会いのもと、生徒指導の
カバンの中を洗いざらい机の上に出し、変なものを持っていないかチェックする。ただそれだけだ。
もちろん、生徒が携帯音楽プレーヤーやコミックなんか持ってるのは当然で、そんなものはお咎めなし。
要するに、スケベ雑誌や分不相応な高価な物などを持っていないか、それを調べるだけなので簡単だ。
大分は生徒の机を順に回り、その場でチェックする。
今は東城の席だ。
「お財布の中も見たいわぁ」
例によって大分がオネエ言葉で迫っている。
「マジっすか。財布の中までって先生、それ人権ジューリンっすよ」
「あ~ら、東城ちゃん逆らっちゃダメよぉ~。先生、見たいんだからぁ」
「んだよ、仕っ方ねえなぁ」
普通、生活指導の教師にこんなタメ口をきいたらただじゃ済まないだろう。
しかし、大分はことのほか男子生徒が好きなので、こんな言い方をされても怒らない。それどころか、相手にしてもらったことを喜んでいるようにすら見える。
東城も心得たものだ。
「あ~ら、東城ちゃん。ホテルの割引券じゃないのぉ~。どうしようって気。先生でも誘ってくれるのかしらぁ~♪」
大分は胸の前で合わせた両手を斜めに傾け、腰を落として東城に顔を近づけている。
「か、勘弁してくださいよぉ! もらったんすよ、駅前でぇ。配ってたんすよ、朝ぁ! オレがこんなの必要なワケないじゃないっすか」
「あ~ら、いいわねぇ。いらないなら先生欲しいわぁん」
「え、ああ、いっすよ。どうぞどうぞ」
「ありがとぉ~ん。はい、没収」
東城のホテル割引券は没収されてしまった。
少しいい気分だ。
ちらりと春菜の方を見ると、必死で笑いをこらえている。
その間に大分は椎名の席に移っていた。
「はい、椎名さん」
「はい」
「はい、結構」
椎名はカバンを開け、中身を出そうとしたが、大分は既に別の席に移っていた。
全くのノーチェックと言ってもいい。
とことん女には興味はないようだ。
そうこうするうち、大分は俺の席に回ってきた。
以前俺はK組の仁科に押し付けられたエロゲーを持っていて、挙げられた前科がある。
しかしきょうは大丈夫だ。
なんにもやましいモンは持ってないと断言できる。
なんたって、最近はヤバいものの貸し借りはなく、教科書のほとんどを教室に置きっ放しの俺は、先週からカバンの中はそのまんまの状態だ。
「は~い、山葉ちゃん♪」
「どうも」
「出してくれるかしらぁ」
「いいっすよ」
俺は堂々とカバンの中を机の上にブチまけた。
数冊の教科書やノート、筆記用具が机の上に乱雑に並ぶ。
これで終わるはずだった。
最後に一個、見慣れない茶色の小瓶がコロコロと力なく机の上に転がり出た。
「絶倫マムシパワー ハイパーブラックターボ」の空瓶だった。
その瞬間、時間が止まったような感覚に襲われた。
俺はスローモーションのように顔を上げた。
視界すべてを大分の顔が覆っていた。
しまったぁ。
先週のあの日、ビタミンドリンクと間違えて飲んだあと、涼子に空瓶を見られると拙いと思い、カバンの底に隠したのを忘れてた。
く、にしてもこんな。よりによってこんな日に白日の下に晒しちまうとは。
「ああ~らぁ♪ 山葉ちゃん、こんなの飲んで、すごいわぁ~♪」
予想通りの反応だった。
なおも大分は、これ以上の幸せはないといった表情で畳み掛けてきた。
「どぉしてこんなの持ってるのかしらぁ~。誰のために飲んだのか、先生知りたいわぁ」
「朝、疲れてたんでコンビニで買ったんすよ」
東城は口を半開きにして腰に左手を当て、ドリンクを飲み干すフリをしている。
真横の席の春菜が笑いをかみ殺したような顔で東城の背中をパチンと叩いた。
「あ~ら、最近はコンビニでも手に入るのかしらぁ~。ねえねえ、どこのコンビニか教えてくれないかしらぁ。先生も欲しいわぁん」
「え、駅前のエイトセブンっすよ」
その瞬間、大分は勝ち誇った表情に一変した。
「ウソおっしゃ~い。これはコンビニでは売ってないのよぉん。かなり特殊なホ…」
「大分先生、あとは私の方で指導しますので、許してあげてください」
万事休すと思ったとき、かえで先生の助け舟が入った。
大分はまるでメシを取り上げられたイヌかネコのような不快そうな表情でかえで先生の方を見た。
かえで先生は、軽く一礼した。
大分も諦めざるを得なかった。
その後、ほとんどおざなりに持ち物検査は終わり、奴は教室を出て行った。
「じゃあきょうはこれまで。まだ水の溜まってる場所があるから、みんな気を付けて帰るのよ」
結局、かえで先生に何か聞かれることもなく、俺は解放された。
かすみもカバンを持って俺の机に来て、「じゃ、帰りましょう」と声をかけてくれる。
かえで先生に心から感謝した一日となった。