第93話:劣情
文字数 2,852文字
あの日から4日目。
きょうも美砂の顔は見ていない。
俺とは絶対に顔を合わせないよう避けている、いや、合わせないように調整されているからだ。
学校からの連絡で母が戻ってきている。
俺たち3人は登校したあの朝、教室に行くことなく理事長室に連れて行かれ3人別々に聴取を受けた。
理事長だけでなく、教頭や担任もいた。
東城や美砂がどう受け答えしたのかは知らない。
だが俺は、すべてのことを包み隠さず伝えるしかなかった。
かえで先生は両手で顔を覆い泣いていた。
聞き取りが終わっても授業に出ることは許されず、1週間の自宅謹慎となった。
母さんは学校からの連絡でその日の夜、俺と美砂の身柄を引き取るため学校にやってきた。
謹慎を言い渡されはしたものの、親不在の家に帰すわけにもいかず、そのまま職員室で待たされていたからだ。
その翌日、母さんは再び学校に呼び出され、理事長に断罪されたそうだ。
多感な子供を放ったらかしにしたあなた方は親として失格だ、こんなことが起きても仕事を理由に戻ってこない父親も親としての義務を放棄している、これは完全なネグレクトだとまで言われたという。
そう言われ、観念したのだろう。
もはや母さんが樺太に戻ることはない。
自分たちがそうであったからか、若い子の色恋沙汰には理解のある両親とはいえ、もはやこれまでだろう。
謹慎の間、俺と美砂は個別に母さんと話し合った。
「私、東城さんとセックスしたの」
そのことを含め、美砂がどこまで本当のことを話したのかは分からない。
だが俺は、学校で答えたときと同様、美砂と東城がどういう関係であるのか、美砂が以前の美砂の性格ではなくなってしまったこと、美砂が俺をどう罵ったのか、春菜が今どんな状況なのか、一切のことを母さんに伝えざるを得なかった。
嘘をついても、脚色しても、説明に綻びが出ることは分かりきっている。
隠すことはできない。
「ジョージが美砂のことを大切にするのは当然だし、わたしも嬉しいよ。だけど手だけは上げてほしくなかった」
涙を流す母さんに俺は何も言い返せず、黙って頷くことしかできなかった。
登校したあの日。
俺が治療を受けた病院からは朝イチで学校に通報があったらしい。
顔は合わせなかったが、同じ病院には美砂と東城も訪れていたという。
あいつもきっと、美砂との関係を洗いざらい喋っただろう。
不在だったうちとは違い、東城の両親は直ちに呼び出され、同じく謹慎となった東城はそのまま両親に連れられ学校を後にしたという。
今は土曜日の晩。
母さんとの食事を終え、部屋に戻ると入れ替わり美砂が部屋を出た。
今度は美砂が母さんと食事をとるのだろう。
俺と美砂が顔を合わせたくないという事情をくんでのことだが、こんなこといつまでも続けられない。
そんなことより、母さんが気疲れで倒れてしまわないか心配だ。
俺は美砂だけでなく、母さんも傷つけてしまったのだ。
友達のような母さん。
何でもフランクに話せて、俺や美砂の話もよく聞いてくれて。
小さいころは3人でよく一緒に買い物に行ったり、親父が疲れて寝てるもんだから日曜なんか公園でキャッチボールに付き合ってくれたり、その代わり料理を手伝わされたりもしたけど、楽しかったな、あのころは。
「いいじゃない! どうして会っちゃいけないの!」
突然、階下から美砂の怒鳴り声が聞こえた。
食卓のドアを叩きつけるように締める。
間髪入れず、どかどかと階段を上がってくる音がする。
東城に会いたいとでも言って喧嘩になったのだろう。
昨晩もそうだった。
食卓で突っ伏して泣いていた母さん。
以前、美砂には俺と東城、春菜の3人の関係を壊すなと言った。
だが、その3人の関係どころか、このままでは俺の家族まで壊れることになる。
いや、もう壊れた…か
美砂が夜中に抜け出さないよう母さんは玄関前の廊下にソファを置き、そこで寝ている。
もう、この家は目茶苦茶になった。
◇ ◇ ◇
最初に殴ったのは確かに俺だ。
だが、諸悪の根源は東城だ。
東城は春菜とは別れたと言っていた。
あまりにも気の毒な春菜。
俺が抵抗がある、いや、あったのは、ほかに相手がいるのに、東城が美砂と付き合うことだった。
奴が言うように、春菜と別れたのなら、その条件はクリアしたことになる。
だが、事ここに至って、もはやそんなことはどうでもいいことだ。
百歩譲って東城と春菜が円満に別れたとしても、ふらふらと女を替えるような奴に、妹を渡すわけにはいかない。
このまま放置して、将来あの2人が結婚したとして、俺は祝福できるのか?
「あの時はお互い若かったな」などと笑っていられるのか?
そんなことは決してない。
今はお互い、好きな相手のことしか見えていないが、特に東城の場合は、結婚してからだって絶対ほかの女に手を出すことは見えている。
ここわずか数カ月の出来事で、それはよく分かった。
それはすなわち、俺の妹、美砂を不幸にするということだ。
今は口をきいていないし、あの日、殴ってしまったけれど、美砂には幸せになってほしいというのは、血を分けたきょうだいなんだから当然だろう。
以前、美砂本人からシスコン呼ばわりされた。
私に妬いてるのかとも言われた。
ああ、そうかもしれない、そうかもしれないよ。
平たく言おう。
認めてやるよ。
つまるところ俺は、美砂が他の男を好きなることが許せないんだろう。
ほかの男に抱かれるのが許せないんだろう。
それが東城でなくっても、いい顔しないんだろう。
そうさ、そうだよ!
俺はな、美砂、お前のことが好きなんだよ!
小さかったころのように「お兄ちゃん」って言ってほしいんだよ! 慕ってほしいんだよ!
いつまでも処女のままでいてほしかったんだよ!
ちっくしょう!!
俺は、俺は…
昨日、
妹で、
自分を、
慰めてしまった…
決して手に入らない、決して手に入れてはならない女の子。
その子のことを考え、その子の顔を思い浮かべ、その子との交わりを想像し、お兄ちゃんという声を思い出しながら!
お前が夜、部屋にいたとき、すぐ横の部屋で俺は、お前でしちまったんだ!
すさまじい罪悪感だった。
それなのに今だって、昨日の、自分の、行為を思い出すだけで、欲情している。
最低だ。
こんな思い、なぜしなきゃならない?
こんな思いをさせたのは、
東城が、奴が、俺の妹をとったからだ。
どうしてこんな思いをしなきゃならないんだ!
きょう一日、部屋で冷静にいられたのが不思議なぐらいだ。
だが、夜になり、今この瞬間も、美砂がすぐそこの壁一枚隔てたところにいるってだけで、俺は…。
美砂、お前は……誰のところにも、行くな。
行かないでくれ。
誰のところにも、行かせるものか。
美砂…うう、美砂。
美砂の笑顔が見たい。
以前のような日々に戻ってほしい。
1年のときに教えてもらった美砂のインスタアカウント。
その中では部活で作った料理や、それを前にした笑顔の美砂の写真もあったはず。
笑顔が見たい。
くったくのない妹の笑顔を。
だが、俺はとうの昔にブロックされ、スマホの中ですら妹の笑顔を見ることはできなくなっていた。