第36話:恋敵の下級生・3
文字数 2,168文字
それを知ることなどもちろんできず、東城たちと行ったファミレスでも話はほとんど上の空、コーヒーの味も何も分からぬまま時間は過ぎてしまった。
夜になり、部屋に一人でいるとますます思いが募ってくる。
その思いというのは、かすみに対する気持ちと、かすみがいなくなってしまうのではないかという恐怖の二つだ。
しかし、その二つは同じウエートを占めているわけではなく、恐怖の方が
かすみが別の男、それも下級生なんかに盗られてしまうという、恐怖というよりも、そう、
屈辱にも近い感覚。
この数日の間で、あまりにも多くのことが起き過ぎた。
美砂を巡るいろいろなこと。
何ら落ち度のない東城を痛めつけたこと。
そして、全く解決しなかった涼子の件。
これは、俺に対する何らかの罰なのか?
俺は、あらゆる場面で「それが正しい、これが最良だ」と信じて行動しただけなのに、なぜこんな目に遭わなければならないのだろうか。
今まで、かすみのことを幼馴染だからという理由だけで、心の底では勝手に安全パイのように思い込んでいたのかもしれない。
彼女は俺と付き合って当たり前という、思い上がりがあったのか。
そして、そのしっぺ返しがこんな形でやってきたのか。
かすみと河合が付き合うことになったのか確証なんてないにもかかわらず、ネガティブなことばかりが頭の中を駆け巡り、くたびれ果てた。
◇
◇
◇
翌朝、教室で見たかすみの表情はいつもと変わらないものだった。
普段どおり他のクラスメートと挨拶しているし、教室にやってきた時間も同じだ。
そういえば、かすみとは同じ駅を利用しているにもかかわらず、一緒に帰ることはあっても、登校したことはほとんどなかったよなと、今になって思い当たる。
もう少し、まめにフォローしていればよかったのか。
昨夜の思いが反復される。
たった一人、今までは歯牙にも掛ける以前の存在だった下級生の登場で、これほどまでに脳内メモリーが占有されることになろうとは…
もう、我慢できない。
きょう、俺は彼女を誘おう。
俺は昨日あなたの後をつけました、あなたが下級生の男子と花房神社に入っていくところを見ました、それで妄想が膨らみ居ても立ってもいられなくなったんです、なんてことは言えるわけはないが、一緒に帰ることで、何か感じ取れるかもしれない。
それに、そもそも俺の誘いを受けてくれるなら、脈は変わっていないということだ。
そうだそうだ。
だいたい俺は、かすみが河合に告白でもされ、付き合うことになったと勝手に思い込んでいただけだ。
何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。
そこまで考えると妙にハイな気分になってしまった。
結構俺って単純?
ちょうど教室に入ってきた東城と春菜を見つけ、「ちーっす」と声を掛ける元気まで湧いてきた。
よし!
昼休みにでも帰りの「予約」をしよう。
吹っ切れてしまった俺は、いつになく授業が頭に入る効果も得て、午前中はあっという間に過ぎ去った。
そして昼休み。
かすみは声を掛ける間もなく教室を出、午後の授業ギリギリまで戻ってくることはなかった。
今は午後最後の授業だ。
昼休み、かすみを誘うことはできなかったが、これで「予約」の芽が消えたわけではない。
彼女だって別の知人と昼食をとることはある。
今日だってそうだったのだろう。
あと少しで授業は終わる。
ホームルームが終わったら直ちに声を掛けよう。
「ではそういうことで、みんな忘れちゃだめよ」
かえで先生から連絡事項が伝えられ、ホームルームは終わった。
部活へ行くため身支度を始めたかすみの席に俺は向かった。
そのときだった。
「ねえ、あの1年生って、ほら」
クラスの女子が廊下に佇む下級生を見つけ声を上げた。
開いたドアの向こうから教室内を窺っている。
あの野郎、かすみを迎えに来たに違いない。
昨日のことを知っているのは俺だけ。
クラスの連中もなぜ河合があそこに立ち、そして誰を目当てに来てるのかは知るはずもないだろう。
俺は一瞬ひるんだが、構わずかすみに声を掛けた。
「きょう、部活が終わったら久しぶりに一緒に帰らないか」
こんなとき、前のかすみだったらほとんど二つ返事で応じてくれたはずだ。
それどころか、彼女の方から誘ってくることも多かった。
だが、一瞬の沈黙の後、
「い、いいけど…」
と言いよどみ、はっきりと答えてくれない。
「何か都合でも悪い?」
ここで引き下がるわけにもいかず、俺は続けた。
「実は…もう、誘われちゃってるの…3人で帰ってもいいなら、私はいいんだけど」
かすみの発した言葉は、俺が最も考えたくない内容だった。
3人というのは、かすみと俺、それに河合のことだろう。
しかし、ここで俺が降りたらどうなる。
河合と、場合によってはかすみにも誤ったメッセージを送ることになる可能性が高い。
俺は努めて明るく、「なんだそんなことか。いいよいいよ、じゃ、部室棟の前で待ってるから」と伝え、かすみも少し安心し「うん」と応じてくれた。
とにかく約束はできた。
そうと決まればこちらのもの。
河合がついてこようが知ったことではない。
俺とかすみの付き合いの長さを見せ付けてやる。
俺はさっさと教室を出て、図書室へ向かうことにした。
入り口のところに立っている河合のすぐ横を通るが、一切視線を合わせることはなかった。