第45話:沙貴子、馴れ初め~その2
文字数 4,078文字
ほかの生徒はイヤホンで音楽を聞いていたり、ノートを開いていたり。
2人がけの席では女子生徒が昨夜の音楽番組の話題に花を咲かせている。
吹奏楽部なのか、フルートのケースを大事そうに抱えている子もいる。
部活かあ。何かに入るのも楽しかったのかもしれないな。
「御山さん、バレーの朝練とかないの?」
部活のことに思いが向き、ふと沙貴子に尋ねてみる。
「いや、あるのよ。でもきょうはちょっと、家でいろいろあって」
特に詮索はしない。
「朝練の日は7時前には来るかな」
「え? 7時前?」
「大会の前とかだと6時台には始まることあるし。でも中学も同じ感じだったし。だからあそこまで混んでる電車は久しぶりだったの」
やっぱり部活に入らなくて正解だったかな。
「東城くんはどうして部活やらなかったの?」
「う~ん」
入らなかった理由は単純だ。
授業が終わったら、さっさと春菜や山葉と遊びに行きたいとか、上下関係とかの煩わしさ、それに沙貴子がさっき語ったように、朝練などで結構な時間を拘束されるのが苦手、そういったことだ。
「なんか、これだ! というのがなかったからね」
返事は適当にごまかす。
「バレー部、男子のはないのよね」
「あ、そうなんだ」
「学校全体でも女子が多いじゃない。男子だけでチームがつくれないとか、敬遠されてるのかな」
「バレーは好きなんだけどね」
「え?」
「小学校の時は、地元のスポーツ少年団でバレーやってたんだよ、これでも。スパイクサーブ結構決まったんだぜ」
これはウソでもでまかせでもない本当のことだ。
スポ少っていうと、野球とかサッカーばかり目立ってるが、たまたま地元に指導経験者がいて、通っていた小学校もバレーに力を入れていたからだ。
少し驚いたような表情の沙貴子。
驚きの中にも、何かを期待しているようにも見える。
いや、ダメだって。
「あの、東城くん」
「いや、あっ!」
直前に割り込んだ乗用車を避けるため、大きな警笛とともに、バスが急ブレーキを踏んだ。
体勢を崩した東城は吊革を離してしまった。
進行方向に体が飛ぶ。窓の外の景色や座っている生徒の姿が瞬時に斜めになって、もうだめだと思った瞬間、
「!」
沙貴子は左手でしっかり吊革を握り、瞬間的に右腕を東城の脇の下に入れガッチリ絡めてくれたのだ。
そのまま引き起こし、オレは垂直に戻った。
なんとも言葉が出てこない。
どぎまぎした表情でお互い斜め下を見てしまう。
「いや、助かったよ」
「…電車の中で助けてくれたお礼、になったかな」
絡めた腕を離すと、沙貴子はつぶやいた。
この一件以来、沙貴子とは会話の回数が増えたような気がする。
以前は朝教室で会っても「おはよう」すらなく、軽く会釈すればいい程度だったのが、
「おはよう、東城くん」
朝練を終え教室に入ってくると、机の横を通りしな挨拶してくる。
「朝練ご苦労様」とか「調子はどう?」
と東城も応じる。
「ねえ薫ぅ、御山さんと何かあったの?」
春菜は逆さにした蒲鉾の断面のような目をして肘でつつく。
「何もねーよ。最近よく見かけるからさ」
「見かけるって、クラスメートなんだから当たり前じゃない」
「いや、駅とか、バスとかで偶然鉢合わせしたことが重なったんだよ」
「ふう~ん」
ジト目とはいえ、特に顔を曇らせるでもなく直後にはじゃれ合いが始まる。
沙貴子はかわいいというのは衆目の一致するところだが、特定の彼氏がいるふうでもなく、男よりもバレー、バレー命のスポーツ少女、というのがほぼクラス全員の認識だ。
事実こうして毎日朝練に打ち込み、授業が終われば行き先は体育館なのだから。
ほぼ毎日東城と行動をともにしている春菜も見方は同様で、こうやって「何かあったの?」と突っ込むこと自体がじゃれ合いの一環と言ってよい。
それから数日たった5月中旬のある日。授業の終わった教室では東城ら当番の生徒たちが掃除をしていた。
教室前部の清掃が終わり、次は後方を掃いたり拭いたりする番だ。
後ろに下げた机や椅子を今度は前方に移動し場所を開ける。
机の上に椅子の座面を重ねる形で一脚ずつ運ぶのだが、力仕事ゆえ、こういった場面では男子の出番が多い。女子が2往復する間に男子は3往復ぐらいといった感じだろうか。
そんな女子の中でも元気印の椎名は別格で、東城と同等の運動量を発揮していた。
「C子、お前要領いいな」
感心して東城が話しかける。
「だって早く帰りたいしねー」
早くも一列運び終わって、ほかの女生徒に手を貸しながら息も切らさない。
「あれ? C子って部活やってないんだっけ?」
「やってたよ。バレー」
「バレー? バレーって御山がやってるあのバレーだよな」
「そだよ」
「何で辞めたんだよ」
机の移動もいつの間にか終わっており、ホウキを適当に動かしながら尋ねる。
「う~ん」
どことなく答えにくそうな椎名。
そんなそぶりを見せられると、余計に聞きたくなってくる。
椎名は内部生だ。
40人クラスのちょうど半分の20人が同様に内部生だが、穐山を除けば、だいたいはおっとりした性格の子が多く、仕方ないとはいえ、まだ男子慣れしてない子もいる。
そんな中でも椎名はどこか共学育ちに似た雰囲気で、話しやすい部類に入る。
その椎名が「う~ん」と唸るんだから、何かあるのは間違いないだろう。
「いや、実はね」
掃くふりをしながら横に来た椎名は周りをキョロキョロ見回し、
「練習が厳しくなってさ、嫌気さしたわけ」
と、ぼそっとつぶやいた。
「バケツの水結構汚れたな。ちょっと汲んでこようぜ」
「え? え?」
拭き掃除用の水は透明感があってバケツの底もちゃんと見えるのだが、東城は椎名を廊下の手洗い場に誘い出した。
◇ ◇ ◇
蛇口を開き、じゃーっと勢い良く水を出す。
「練習がきつくなって嫌になったって、どういうことよ」
「いや、そのまんまなんだけどね」
観念したのか、椎名は雑巾に液体石鹸を染み込ませ、両の手でゴシゴシ洗いながら続けた。
「わたし、中学からバレーだったのね。高校入っても、まあ、またバレーでいっかって感じで、入ったのよバレー部に」
ばしゃーっ。
バケツいっぱいになった水をわざと流す東城。
「部の雰囲気は中学までは勝負度外視っていうか、みんなで楽しくバレーっぽいことしようってレベルだったわけ。実際、滅多にない外との練習試合とかでも勝ったためしないし」
神姫はミッション系ではないが外国人が興した学校ということで、ミッション系学校の親睦団体に入っており、スポーツの交流試合にも参加していると聞く。
ミッション系というとスポーツに本腰を入れていないところが多いみたいで、たまにあるそういった試合や大会もどちらかといえば勝負に無縁の
そんな、しかも練習試合未満の大会でも勝ったためしがないというのだから、言ってみれば同好会以下のレベルだろう。
「高校も同じような感じだって先輩からも聞いていたんだけど。違ったのよ、ぜんぜん」
「違った?」
「そう、違くなっちゃったの突然、高校に上がって少ししたら。部の様子がね」
椎名はセーラー服を腕まくりし、10枚ぐらいある雑巾を一枚一枚これでもかというぐらい搾っている。
「御山さん、入ってきたのね、バレー部に」
「うん」
「レベルがぜんぜん違ってたの」
「どれぐらい違ったんだよ」
「雲泥の差よ。あの人が高校生なら、わたしたちは幼稚園よ。いや、赤ん坊どころか卵子よ」
沙貴子が朝練に精を出していることはこの前バスの中で聞いた。
朝もはよから毎日練習しているわけだから、それなりに得意なんだろうが、高校に入った瞬間、ほかの生徒が卵子並とはどういうことだ。
「ま、そんな部だったけれど、もっと強くなりたいって思ってた子は実際いたわけでね。御山さん、中学から相当やってたらしく、それがいい刺激になって、急にわーっと、頑張ろう! これなら公式戦初勝利もあるかも! って雰囲気になっちゃって、先輩とか顧問の先生も本気出し始めちゃって、別にそれはいいんだけど、わたしとか、同好会以下の下手の横好き未満じゃついていけないのよ、練習にも雰囲気にも」
「で、やめちゃったんだ」
「そなの。5月になる前に集団でね。一人が辞めるって言ったら私も私もって感じで。残ったのはやる気のある子たちだけ」
「さようなら~」「お先に~」「机とゴミだけお願いしますね~」
さっきまで一緒に教室を掃除していたクラスメートが帰ってゆく。
しまった、ここでしゃべってる間に終わってしまったのか。申し訳ない気分でいっぱいで「あ、あとは全部やっとくから」と手を合わせる東城。
「ごめんね」と言いながら椎名も彼女らの後ろ姿を見送ると、
「去年は初めてブロック大会に出て4回戦までいったじゃない」
「え、そうなの? 知らなかった」
「まあ、対戦相手の運とかもあったらしいけど、ノーシードで4回戦よ? 3回勝ったってことよ。これ勝ってたらベスト16だったのよ。1回戦から戦って4回戦進出なんて、今までの神姫のレベルから考えたら奇跡みたいなものなのよ。マリア像が涙を流す奇跡と同じよ」
バケツの中に搾った雑巾を放り込み教室に戻る。
すでにもぬけの殻だが、机だけは前の方に固めてあるままだ。
「それで今年なんか、御山さんの中学から、バレー部であの子を慕ってた子たちも入ってきて、それはもう去年に増してすごくなったって話よ」
「すごいんだな、御山って」
「教科書置いてくなら、くっ、個人ロッカーに入れてよね」
椎名はすでに机の移動を始め、重い一つを抱えてバックしている。
東城は慌てて手を添えて、椎名と2人で所定の場所に下ろす。
こうしてすべての机を元の場所に戻すと時間は午後4時を回っていた。
「御山か」
「あ~、わたしもう帰る」
「ああ、お疲れ。ゴミはオレが捨ててくっから」
「ごめんね。あ、それときょうしゃべったこと、あんまり言わないで」
「ん、分かった」
「じゃね」
まくった袖を戻しながら、椎名は教室を出ていった。
「さってと、ゴミ捨てて帰るかな」
東城も駅前の本屋で春菜と待ち合わせだったことを思い出し、ダッシュでゴミ捨て場に向かった。