第72話:秘密のブログ~その2
文字数 3,956文字
「なんだ、見られちゃったんだね」
放課後、屋上に通じる階段室に呼び出した涼子は、しれっとした表情の中にも、何か勝ち誇ったような雰囲気を醸し出していた。
「あれ、何だよ。消せよ、紅村」
「山葉くんとの大切な記念だもん。わたし、消さない」
◇
◇
◇
「ただいま」
メッセで連絡があったので、いないことは分かっていたが、一応帰ってきたことを告げる。
やはり、美砂はいない。
夕食も好きにしろということで、すでにカツどんを食べていた俺はかすみの家から戻ると、さっそく室内の捜索を始めた。
涼子のブログのアドレスが書かれた紙。
あれはいったいどこへやっちまったのか。
かすみの部屋ではあまり下手なことはできなかったが、ここは自分の部屋。
何ら遠慮はいらない。
手始めにカバンの中身をベッドの上にブチまける。
いつ入れたのか分からないボロボロのティッシュが、はらりと舞い落ちる。
教科書やノートを逆さにして振ってみるが、消しゴムのカスが落ちてくるだけ。
ブレザーのポケットにもそれらしきものは何もなく、引き出しに着手する。
勉強机の大小四つの引き出しは中身にまとまりがない。
無理やり押し込んで潰れた食玩の箱があったり、パーツの外れたヒーローのフィギュアがあったり。
あまりにも古い中学時代のノートなんかも入っている。
さすがにこの中は探すまでもないか。
もう一つの引き出しも見てみるが、どうも気配が違う。
人間と言うのはおかしなもので、どこにしまったのか分からなくても、「ここじゃない」という漠然とした決め付けが外れることは、あまりない。
その逆も然りで、「臭い」と思ったところは、たいていはそれなりに「臭い」のだ。
そんな動物の勘みたいなものが働き、ここにはないと告げている。
勉強机の捜索は早々に切り上げた。
あとは、押し入れ、本箱、ベッドの下、CDラック、平積みされている雑誌の間…
結局、動物の勘が怪しい空気を捉える場所はどこにもなく、小一時間で諦めると俺はパソコンの電源を入れた。
何かしらのキーワードを放り込めば、あるいは。
ただ、漫然と探しても時間の無駄だ。
クラスでもブログをやっている連中は若干いる。
たとえば、パソコン同好会の村本なんかがそうだ。
あいつのブログにリンクかあるいはコメントなんかはないだろうか。
村本ブログのURLはすぐに分かるも何も、無警戒なことに神姫高サイトの部活紹介コーナーから隠しリンクが貼られているのだ。
前に慈乗院が見つけたらしく、茶飲み話で教えてくれた。
さっそく見つけてクリック。
村本のブログは「村本のブログ」という何のひねりもない名前で、好きな音楽や鉄道、写真、アニメなど趣味のことがジャンル分けされて書かれている。
日記のコーナーも連日更新しているようで、あいつらしい几帳面さだ。
ただ内容はというと校内の出来事がほとんどなく、電車やアニメのことばかりで、どこかヨソで知り合ったのだろうか、趣味仲間からのコメントがついている程度。涼子に繋がるものは何もない。
リンクコーナーも同様で、数件、神姫の生徒らしき個人リンクがあるにはあったが、内容は似たり寄ったりで俺の探すものには行き着けなかった。
そう、甘くはないわな。
制服を脱ぎスエットに着替えると、検索のポータルサイトを開いた。
本名ってことはあるわけないとは思うが、一応、涼子の名前で検索する。
苗字が同じ別人や店の名前ばかりが引っかかる。
次は学校の名前、路線名、近所のファミレスや、果てはかえで先生の名前など組み合わせて調べてみる。
徒労とも思える時間が過ぎていった。
途中、まったく関係ないサイトに長居したりして、時計の針は午前1時を回ったか。
気付かなかったが、美砂はいつの間にか帰ってきて、もうすでに寝ているようだ。
あすは紀元節で休みだが、俺もそろそろ寝るか。
あさって学校で誰かに探り入れてみるのもよかろう。
だが落とす前、ふと思って、あるキーワードを入れてみた。
俺の本名と萩窪という地名、そしてpassion heart 2という、あのラブホの名前だ。
「まさか、な」
予想に反し、いや、ある意味予想どおりなのだろう。
望みは叶った。
検索結果として表示されたのは、涼子のブログだった。
そして、そこに書かれていたことは…
◇ ◇ ◇
「プライバシーの侵害どころじゃないだろ、ふざけるな。削除しろ!」
きのうは祝日だったが、丸一日やり場のない悶々とした思い、いや、怒りが収まることはなく、放課後の今、校舎の屋上で涼子を問い詰めている。
肩を掴み「おい!」と手荒に揺すってみても、涼子が動じることはない。
「本当のこと、書いてあるだけじゃない」
「本当のことって、あんなウソ、どこが本当だ! おまけに人の写真、勝手に晒しやがって!」
◇
◇
◇
ホテルに行ったのは去年の初夏。
半年以上前のことだが、部屋の内装なんかはおぼろげにも覚えていた。
それをフラッシュバックさせる、あの写真。
ホテルのベッドで女に寄り添って眠る、俺の横顔。
もちろん相手は涼子で、きっとあの女がスマホで撮影したんだろう。
添えられた文章。
そこには「愛」だの「恋人」だの「彼氏」だの、俺と涼子が付き合っているかのような、読むのも恥ずかしい単語が連ねられていた。
俺の知らない俺。
知らない間に撮られた写真。
これは一体何なんだ!
別の日の日記もそうだ。
また、違う月の日記も。
俺との架空の日々を綴った、半ば狂気にも近い創作日記。
その世界での俺は涼子を愛し、狂おしいほどにのめり込んでいることになっている。
冷静に読めば、エロ狂いかハーレムクイン読み過ぎ女の妄想ということはすぐに分かるだろう。
ただ、ところどころに散りばめられている事実。
たとえば、プールに行ったこと、溺れかけたのを助けられたこと、体育館裏で重なって転んだことや、ファミレスで一緒にバイトしたこと、4人で花火をやったことなどが織り込まれているため、虚構もすべて現実味を帯びてしまう。
その虚構を、実際に起こったものとして補強するように使われている、何枚もの写真。
少しでも知っている奴、たとえば東城や春菜が見たら、そこはファミレスでのバイト風景だとか、花火をした河川敷だとかいうのが一発で分かってしまう。
嘘の部分も嘘ではなくなってしまうだろう。
すべてが嘘というわけではなく、なまじ混ぜ込まれている事実。
そこが、最もタチの悪いところなのだ。
◇
◇
◇
「別にあれで山葉くんのこと、どうこうしようなんて思ってないから」
「…誰か、見たのか、あれ」
「カウンター5万は超してるけど、ログ見ても個人は特定できないからね」
「5万も…」
「まあ、ほとんどはわたしでしょ。毎日何度か開くし。ああ、でも市内だけど、わたしと違うログも、たまに取れるけどね」
「…管理者に通報するからな」
「好きにしたら」
悪びれず説明する涼子に、何ら手の打てない俺。
苦労はしたが、俺でも辿り着けた魔のブログ。
ほかの誰かも、探そうと思えば探し当てることができてしまうだろう。
かすみ、だって…
さらに怒りが込み上げる。
力任せに、もう一度涼子の肩を掴むと彼女はよろけ、階段室の壁に背中を強打してしまった。
「痛っ」と言ったまま、うなだれて動かない。
うつむいた顔に乱れた前髪がかかり、読めない表情。
「…酷いこと、するんだね」
「ご、ごめん。で、でも、酷いことって、それは紅…」
「わたしのこと、そんなにも嫌いなの」
「ち、そうじゃなく、問題をすり替えるなよ」
「去年、好きだって言ってくれたよね。すぐそこの、階段の踊り場で」
「…」
「山葉くん、嫌だって言わなかったよね」
「だけど、その後で断っただろ。済んだ話だろ」
「でも、いっときでも『うん』って言ったんだよ。断らなかったんだよ。嫌なら最初から断ってよ! 人をその気にさせて、その後も何度も何度も煩わしそうに、わたしのこと邪魔にしてさ」
「く、だから、『ごめん』って謝ったじゃないか」
「謝れば済むの? 人の大事な人生を弄んで、大事な時間を台無しにして」
「知るかよ! そっちが勝手に舞い上がってただけだろ」
紅村はうつむいたままだ。
「わたし、中学でこっちに来たから」
「…」
「馴染めなかったんだよね。言葉が変だって言われたりして。一生懸命、標準語で話そうって直したんだよ」
「…」
「この学校選んだのはね、伝統あるいい学校だって聞いたから。変なこと言ったり、嫌なことする人いないと思ったのね」
「…」
「1年のとき、特に親しい子とかもいなかったけど、態度もみんな普通でね。そんな普通ってことだけで嬉しかったの」
「…」
「でもね、怖くてさ。仲良くしゃべってるみんなのところには入っていけなかった」
「…」
「でね。2年のとき、あの日にね、山葉さんが助け起こしてくれてね」
「…紅村」
「あんな事故でもね、気遣ってもらえるって嬉しいなって」
「…紅村」
「ごめんなさい。わたしが悪かったの。わたしが勝手に…勘違い…しちゃっ…」
「紅村、いい。言わなくていい。俺も…悪…かった」
「なんかね、寂しくって…こうだったらいいなとか、思いだけが募っちゃって…」
俺は紅村を抱き寄せた。
胸に顔をうずめ、肩を震わせて泣く紅村。
彼女の寂しさに全く気づかず、邪魔者扱いしてしまった。
慣れない土地に来て、楽しくない中学時代を過ごし、やっと、高校で落ち着けたのに。
俺は、自分だけのことを考え、紅村を傷つけていたんだ…
「でもね、山葉くんと一緒にいられたときは、楽しかったよ」
「…うん」
「そんな山葉くん困らせたくないから」
「…」
「普通に接してくれるだけでいいから…」
泣き喋る紅村の頭を優しく撫でる。
「嫌いにだけは、ならないで」
「…大丈夫」
その2日後、涼子のブログはもう誰にも見つけられない場所に封印された。