第74話:柏木ぱんつリターンズ
文字数 4,019文字
始業式から1週間。
3年生になったという気分は相変わらずなく、2年生、いや1年生のときから変わらぬメンツのまま緊張感のない日々を送っている。
これで席が後ろの方なら確実につっぷしてるところだが、生憎、教卓の真正面。
あまつさえ隣には穐山がいて、そういうわけにはいかない。
席替えの新鮮さが保たれたのは最初のわずか2、3日だけで、授業はまったり進んでいく。
時間の流れるのが、遅い。
授業はかなで先生の英語で、後ろの席の柏木が朗読中。
これですらすらと読まれたら眠りへ
「はい、そこまで。柏木さん、もう少し予習をしっかりしてきなさい」
「はーい」
「のばさない」
「はい」
「あしたは小テストをやります」
かなで先生は少し不機嫌そうに言い放つ。
「え~っ!」
終業のベルをかき消すように非難じみた叫びが上がるが、体はすでに昼飯モード。
御山の号令で頭を下げると、かなで先生より早く教室を飛び出し、駆け込み乗車のダッシュのように食堂へ向かった。
「ふわぁ~、眠てぇけど腹減ったぁ」
食欲と睡眠欲とのバトル。
あくびは出てくるが、今は食欲が優勢だ。
テーブルを囲む顔は十数人のうち7、8人がいつもと同じメンバー。
「食べるか寝るか、どっちかにしなさいよ」
「ある意味、おめーのせいだぞ」
「どういう意味よ」
向かい側の柏木は茄子カレーを食いながら不機嫌そうな声をあげるが、顔はいつもと変わらず怒ってはいない。
券売機のところでは、まだ慣れてない1年生がつり銭の出し方が分からず渋滞を招いている。
このため、いつもよりちょっと生徒の殺到が遅れたおかげで、俺たちはこうして同じ席にありついたってわけだ。
隣のかすみは、自分ちだったらいくらでも食べられるはずの、きつねソバ。
「一ノ瀬ぇ、学校でソバ食べなくってもいいんじゃねーの」
食堂でも御山の隣に座っている東城はチキンカツを口に運びながら、おかしそうな表情を浮かべた。
東城と御山。
1年前ならあそこは春菜の席。
東城と御山が付き合ってるらしいということは、2月の期末試験のころにはクラスのほとんどの連中が知っていた。
登下校が一緒だったり、休みの日に駅前を歩いているところを目撃されたからだ。
四六時中ではないが、肩を並べ、時には手をつないで並んで歩いている姿。
「佐伯さんがいなくなったとたんに乗り換えるなんて、節操のない男ね」
「佐伯さんがいなくなるって聞いたときの御山さんの顔、知ってる?」
「隣のクラスの子、キスしてるところ見たらしいよ」
この2人の態度にはクラスの中でも批判はあった。
特に女子のそれは嫉妬にも似たもので、本当かウソか分からないような話も飛び交った。
東城の耳にもそういったウワサは届いているようだが意に介している様子はなく、春菜をそのまま御山に置き換え、当たり前のように過ごしている。
春菜との連絡が再開したと、先日俺に画面を見せながら教えてくれた東城。
「学校にバレると拙いから、お前だけだぞ」と言いながら見せられたトーク画面には、春菜からの「会いたいよ」という言葉があちこちに見えた。
今も東城のことを思っているのは間違いないだろう。
しかし確実に言えることは、春菜ただ一人だけが今の東城の状況を知らない、ということだ。
俺は新しくなった春菜のアカウントを知らないから、連絡は取れない。
仮に伝えられる手段があったとしても、さすがに躊躇されるだろう。
ただ、御山と東城が頻繁に時を過ごすようになったのは、2人が付き合っているからだけではない。
学級委員となり、創立記念祭の準備やら普段の雑用などで共同作業が多いからだ。
実行委員に選ばれてしまった俺が見てるんだから間違いない。
しかし春菜のときと明らかに違うのは、2人はベッタリではないということ。
春菜とは嫌味ではなく、誰が見ても納得できる感じでカラッとラブラブ状態だったのにだ。
それは委員という立場上そうなのだろうか、それとも「正式に」付き合い始めて日が浅いからなのだろうか。
教室では仲良く話していることも多いが、次の瞬間には非常に冷たい態度をとったりすることもある。
2人の歯車が噛み合っていないというよりも、合わせてくれない東城に御山が必死に合わせようとしている、そう見えるときもある。
たとえば、昨日の放課後も…
◇
◇
◇
施設棟の3階にある予備の教室。
創立記念祭の準備はここで行われており、放課後になると各クラスの担当者が集まってくる。
まだイベント内容などは決まっていないため、今は全生徒に配ったアンケート用紙などもろもろのペーパー類を回収し、データ取りをしているところだ。
俺たちは自分のクラスの分を集計している最中だった。
「おい、山葉。GIGAにメルティーなんたらっていう、新しい格ゲー入ったって知ってるか?」
東城は見ていた用紙から目を離すとゲーセンの話を振ってきた。
「ああ、メルティ・ファイター! 入ったのか、あれ」
「おお、隣の仁科がやったってさ。今度技覚えたらボコってやろーぜ」
本当にゲーセンに行く気があるのかは分からないが、いつもの調子で元気がいい。
もう一人の委員・
だが、
「東城くん、これ、なんて書いてあると思う? 字がちょっと読みづらくって」
隣に座っている御山が1枚の用紙を東城の方に向けた。
「書いた本人に聞けば」
別の用紙を見始めた東城は、目だけを動かし受け取ろうともせず淡白に答えるだけ。
これがもし春菜、いや春菜だけではない、ほかの生徒だったりすれば、
「きったねー字だな! 誰だこれ? ん、野並ぃ? 丸めてほかっちまえば?」
って感じになるところだ。
急に真面目モードになるわけもなく、ゲームの話題の腰を折られてご機嫌斜めになったというわけでもなさそうだ。
「…ん、そうだね。あした、聞いてみる」
御山はそう答えるのが精一杯で、ほかにも何か言おうとしたが、寂しそうに飲み込んだ。
「なんか、あの2人変だねぇ」
その後、別室へコピーを取りに行ったとき、一緒にいた船橋もそんな感想を漏らした。
◇
◇
◇
俺だけの考え過ぎ、というわけではないようだ。
周りは恋人と思っても、どこかはっきりしない東城の態度。
まるで本命の彼女が別にいて仕方なしに付き合っている、そんなふうにも見えてしまう。
奴はやっぱり、今でも春菜なのだろうか。
「いいよ。オレ持ってってやるよ」
その一方で、返しに行く食器をこうやって持ってやったりもする。
「あ、ありがとう」
御山はそんな何気ない小さなことも心底嬉しいようだ。
突き放してるときもあれば、優しいときもある。
「2人の東城」
どちらが本当の東城なのか。
翻弄され、笑顔さえどこか必死にも見える御山が、痛々しい。
食後のお茶にしようということになり、テーブルの上には食器に代わって紙コップのコーヒー。
お金を入れてから出てくるまでちょっと待たなければならない、例のアレだ。
この学校のは湯温調節がなってないのか、やたら熱くてすぐには飲めない。まるでイネダコーヒーのようだ。まあ1杯10円だから文句は言えないが。
「次って宗教よね」
柏木がカップを眺めつつ暇そうにつぶやく。
他の連中も同様に持て余し気味だ。
「柏木んとこって宗教、何」
こげ茶色の液体に映った天井の蛍光灯を見ながら、俺も話題に乗ってみる。
「うち? キリストだよ。カトリックだけど」
「ええっ? お前が、キリスト教ぉ? 似合わねー」
「何よ、失礼しちゃうわね。洗礼も受けたのよっ」
まあ、こんな感じでしゃべってれば冷めてくるかな。
「一ノ瀬んちは仏教だろうな」
東城も適当に合わせてくる。
「そうよ。近所のお寺さんの檀家だし。東城くんとこは?」
「オレんち? オレんトコは…」
「何言ってるのよ、スケベ狂に決まってるじゃない」
「あほ!」
柏木は一体いつまで「ぱんつ&胸揉みの件」で引っ張るつもりなのか、言ってニヤニヤしている。
このまま大学に進んでも言われ続けるに違いない。
学部はあいつと別にしよう。
かすみも思い出して失笑している。
そろそろ飲めるかな。
湯気もさっきほど立ち上らなくなった。
液体の表面も波立って…
波・・・立って?
直後、大きな揺れが食堂を襲ってきた。
一斉に上がる悲鳴。
地震だ。
かなりでかい。
「ハンパじゃねーっ!」
俺たちは慌ててテーブルの下に潜り込む。
厨房のほうからは、積み上げた食器が崩れる派手な音。
建物がミシミシいってて、やばい雰囲気。
テーブルのコーヒーもひっくり返り背中に直撃を食らってしまった。
「あぢー!」
なおもテーブルの奥に隠れようと体を深く突っ込む。
目の前には、体を低くして四つん這いになっている柏木の尻が突き出されている。
俺の後ろからもぐった誰かが必死で体を押してくる。
やめろ! 柏木の尻が目の前にあるんだ。
こんな事態でも手が触れようもんなら柏木のことだ、容赦なく顔面を靴底で蹴られるに違いない。
まるで動きたくない犬のように、両手で踏ん張り全力で抵抗する俺。
危険を少しでも回避すべく、そのままの姿勢で顔だけを右に向ける。
かばうように上半身をかぶせ、御山を背後から抱きしめている東城の姿があった。
そんな2人の姿を見て一瞬気が別のところに飛んだのか、さらに押された次の瞬間、俺がとっさに手を伸ばしたのは柏木の尻だった。
しかし、つかむことができたのなら、まだ良かったのかもしれない。
俺の手は柏木の尻の上を上滑りし、そのままスカートをまくり上げることになってしまった。
ミントグリーンと白の縞パン。
だが、この柄や尻の形を堪能する暇などなく、さまざまなものを踏んできて汚れた校内履きのかかとがオレの顔面に炸裂。
俺の今日の記憶はここまでとなった。