第69話:誕生日~その1
文字数 3,292文字
東城は帰宅後も不機嫌さは治らず、引き篭もっていたときと同じように、黙殺を決めた。
どうせまたおせっかいな奴が押しかけて来たか、訪問販売か何かに違いない。
ファミレスで山葉と険悪なムードになり店を出てきたはいいが、喧嘩を売ってきたのはある意味あいつだ。
なのにオレが先に店を出るなんて、まるで負け犬のようで釈然としない。
そのまま電車に乗り、彩ケ崎の駅までついてきた沙貴子も慰めてはくれたが、彼女だっていたたまれなかったはずだ。
山葉はただ単にカマをかけただけだろう。
だが、それが図星だったのだから。
「山葉さん、まさか知ってるのかしら」
電車の中で、沙貴子は落ち着かない雰囲気だった。
「いや、まさか。確かに昨日、あいつは訪ねては来たけど」
「私が部屋に入るのとタイミングが近かったし、見られたのかしら。だとしたら…ごめんなさい」
「沙貴子が謝る必要ないよ。適当なこと言ってるだけだよ、あいつ。それに…」
「それに?」
「あいつ、本当に見たのならあんなこと言わない。ちゃんと黙ってる。そういう奴だから」
沙貴子はもともと東城、いや男に興味はなかった。
それが電車の中で助けられて以来接する機会が増え、東城への気持ちが特別なものへと変化していった。
しかし東城には中学のときから付き合っている春菜がいて、沙貴子もそのことは十分に承知していたはずだ。
だが、気持ちは膨らみ続け2年生の1学期に告白し、東城も迷いはしたが、それを受け入れていた。
「春菜さんとのことは邪魔しない。でも、私も思っているということは分かって」
この言葉どおり、控えめな沙貴子が表に出ることはなく、他人からは単なるクラスメート同士にしか見えない高校生活を送っていたのだ。
たまに何かの偶然で東城と一緒に帰れたり、同じ当番になることが嬉しかった。
食堂で同じテーブルを囲んだり、試験で同じ設問を間違える、そんな些細なことさえ幸せだった。
そこに春菜がいてもだ。
しかし、春菜の影になればなるほど思いは募り、また、東城は東城で、春菜がいるにもかかわらず、沙貴子を振り切る勇気が持てず、校内のチャペルで写真を撮りたいという彼女の願いを受け入れ、右に春菜がいれば左に、左に春菜がいれば右に、沙貴子がいることを善しとしてしまっていたのだ。
沙貴子がそのときだけは春菜の存在を忘れることができる手段、バレーボール。
彼女は鬱憤を晴らすよう、これに打ち込んだ。
しかし、体育祭での事故でバレーの道が閉ざされた瞬間、悲しいはずなのに、彼に抱き上げられたことで思いはより強いものとなってしまった。
それでも状況は変わらず、心を募らせたまま3ヵ月。
春菜はいなくなり、沙貴子が表に出る機会が巡ってきた。
でも、はやる気持ちを抑える。
「他人の不幸」に付け入るような、そんな人間とは思われたくない。
「第2の告白」をするなら、いつが相応しいのか…
そして、あの日。
すなわち、昨日。
◇
◇
◇
「…ということで、今夜からかなり寒くなるという予報だから、みんなも風邪引かないよう気をつけるのよ」
授業後のホームルームが終わり、かえで先生からの注意事項が伝えられると、生徒は足早に、教室を後にしていく。
空は午後から鉛色に変わり、今にも降り出しそうだ。
東城が来なくなって久しい。
春菜と並んで空いている彼の席を眺める。
沙貴子は今日こそ彼の部屋を訪ねようと心に決めていた。
あすは東城の誕生日。
誕生日だからこそ出てきてほしい。
そして、プレゼントをみんなの前で渡したい。
そのためには、何としても…
校舎の出入り口は行き場を失った生徒で溢れていた。
教室を出て階段を降り、昇降口にやってくる僅かの間に
吹き抜けになっている昇降口は、学校創設者の像が中央に据えてある広い玄関ホールといった雰囲気だ。
そこに「帰宅部」の生徒が30人ほど、外の様子を見て呆然としている。
急に降り出した雨は意外に強く、そして冷たい。強行突破は不可能だ。
「こんなときに」
沙貴子は唇をかんだ。
朝、出掛けに見た天気予報では確かに午後は雨になると告げていた。
しかし、抜けるような冬の青空に、つい傘を持たずに出てしまったのだ。
「いいよ、一緒に行こ」
「ありがとー」
傘を持っている仲間を見つけ、地獄に仏とばかりすがる者。
勝ち誇ったように、一人、傘を広げて出て行く者。
時計を見る。
まだ3時。
時間はあるが、やむ気配はない。
東城の家に行っても、彼を説得するのにどれほど時間がかかるか分からない。
早く行きたい。
「あ、御山さん」
意外な声に振り返る。
立っていたのは紅村だ。
「傘、ないんなら私の使って」
「え? でも、紅村さん」
「折り畳みがカバンの中に入ってたの。だから、1本余り」
紅村は折り畳みではない、手にした1本を沙貴子に差し出すと「困ってるときはお互いさまだからね」と笑顔をくれる。
あまり接点のない紅村が、どうして親切にしてくれるのかは分からない。
たまたま彼女の目に入ったのが沙貴子で、もし自分でない別の生徒だったとしても同じように傘を貸してくれたのかもしれない。
だが、今は時間がない。
「ありがとう、紅村さん」
自分の不備に少しの怒りを感じながらも、思わず巡ってきた運に幸先の良いものを感じ、沙貴子は紅村と並んで校舎を出た。
ワインレッドの傘をさして。
◇ ◇ ◇
沙貴子の来訪は東城にとっても、気の休まるものだった。
それまでも、訪ねてくる者は何人かいたが、ほとんどが2人、3人と連れ立っていた。山葉たちがそうであったように。
しかし、ずるずると引き篭もっている感情を吐露するにも、相手が複数というのは落ち着かないに決まっている。
来栖や柏木もやってきたが、この2人は東城を置き去りに話を始めるのは目に見えている。
意外にも穐山と紀伊國がやって来たこともあるが、これでは穐山の説教を聞くだけである。
だから、誰にも会おうとは思わなかった。
そして、一人でやってきた沙貴子。
多くの言葉は必要ない。
彼女の気持ちは分かっている。
「教室でも、顔が見たい」
伏し目がちだが、しっかりとした口調。
「私と一緒に3年生になろうよ」
みんなも心配している、というのが常套句だ。
だが、彼女の言葉には私という主語があり、そこに含まれる強い意志。
このまま篭っていていいはずはない。
おざなりでなく、本当に心配してくれている人がいる。
揺らぐ心。
彼女がいるなら、またやっていける、そんな気が沸き上がってくる。
連絡の取れない春菜。
連絡をくれない春菜。
自宅の電話も住所も分からない。
春菜の両親から学校に申し入れがあったらしい。
「東城には連絡先を教えないでほしい」と。
かえで先生に聞いたと沙貴子が教えてくれた。
学校も、親からの申し入れには耳を傾けなければならない。
かえで先生のように理解のある教師ばかりとは限らない。
なにしろ駆け落ち未遂をした「問題児」のレッテルが貼られているのだから。
なので仮に、家ではなく、あちらの学校に春菜宛の手紙を書いたとしても、彼女の手には渡らないだろう。
だが、春菜の方から手紙を出すことはできるはず。
しかしもともと筆不精の彼女は気が回らないのか、ハガキ一枚届かない。
「これからは私を本当の彼女にしてほしい」
沙貴子がぽつりと漏らしたひと言。
この微妙に開いた心の隙間に、彼女の思いが入り込むのは必然だった。
東城は沙貴子を求め、沙貴子は東城を求めた。
そして、翌日からの登校の決心がついた。
◇
◇
◇
外からは、もう一度ノックする音が聞こえる。
早く帰れよ。俺はいないんだって。
でも待てよ。
駅前で別れた沙貴子が…来たのか?
彼女の母は厳しく、きょうは帰ると言っていたはずだが…
耳を澄ます。
「東城さん」
防音の効いた鉄のドア越しに聞こえる、くぐもった声。
だが、沙貴子ではないその声を聞いたとたん、東城はドアに近づき、のぞき穴に目を当てた。
施錠を解き、ドアを開ける。
「遊びに来ちゃいました。お誕生日、おめでとうございます」
そこにはニコニコ笑顔で佇む、美砂の姿があった。