第67話:ワインレッドの傘
文字数 3,915文字
「すんません。ご迷惑お掛けしました」
「元気そうでよかったわ、東城くん。何でも相談に乗るから、いつでも職員室にいらっしゃい」」
「残り日数は少ないが、まだ期末には間に合う。しっかりやりなさい」
昨晩からの雪は降り続き、一面の銀世界。
肩にかかった雪は暖房であっという間に水滴となる。
脱いだコートを腕にかけ、職員室を訪れた東城は、かえで先生や伏木教頭らに頭を下げた。
引き篭ったことについては何ら言及されることもなく、その間にあった重要事項を聞かされ、授業で使ったプリントの束を渡されただけだった。
久しぶりの学校。
久しぶりの廊下。
そして、
がらがら…
ホームルームまであと6、7分。
教室内には7割がたの生徒が到着しており、がやがやと朝から騒々しい。
「あーっ!東城さんっ」
指を差した来栖の大声が、教室中に響いた。
視線の集中を浴び、バツが悪そうに頭をかく。
「い、いやぁ…」
駆け寄った生徒たちに、たちまち囲まれる。
「かえで先生、何回行っても会えなかったって心配してたぜ」
「顔色もいいし、元気そうだね」
「試験近いし、私のノートでよかったら貸すから、言ってね」
取り囲んでいるのは来栖のほか、慈乗院や吉村、穐山、紀伊國、柏木、レナーテといった、お馴染みの仲良しグループだ。
「帰りにファミレス寄って、パーっとやろうよ」
「いいね、いいねぇ」
「お昼も一緒に食べましょう」
なんて優しい連中だろう。
篭っている間も東城のことが話題にならない日はなく、みんなかなり心配していたのに、誰一人非難する者はいない。
それどころか、まるで勇者でも凱旋したような歓迎ぶりだ。
東城も次第に笑顔を取り戻し、慈乗院にヘッドロックをかます余裕を見せている。
首を抜いた慈乗院がワケの分からんプロレス技を掛けようと反撃。
それを見た盛岡が東城を羽交い絞めにし、慈乗院を助太刀している。
笑いの渦が巻き起こる。
「まあ、春菜さんいなくなっちゃったけど、気を落とさないようにね」
だが、そんな雰囲気に冷水を浴びせたのは、例によって涼子のひと言だった。
触れてはならない話題。
それが読めないデリカシーのなさ。
春菜と東城は席が隣どうし。
いま、彼女の席はぽっかりと空き、温もりはない。
そこに春菜がいたという面影は、彼女がシャーペンでつけてしまった机の上の薄い引っかき傷と、僅かに残る落書きの跡。
それが逆に侘しさを誘う。
みんなも声をなくしてしまい、なんて続けたらいいのか分からない様子だ。
「ま、落ち着いたら手紙でも書くわ」
東城は自分に言い聞かせるように言うと、視線を落とし席に着いた。
「痛ってーーーーーーーーーーっ!」
が、その直後、東城は飛び跳ねるように立ち上がった。
尻には画鋲が突き刺さっている。
「東城さんが元気になった~!」
一瞬の沈黙の後、ドッと笑い声に包まれる。
どうやら取り囲んでいる隙に来栖が仕掛けたらしい。
ニコニコしながら、「まあまあ」となだめているが、東城も「おめえなぁ、今どき小学生でもしねーぞ、こんなことよぉ」と、尻をさすりながら苦笑するばかり。
やり方はともかく、暗い雰囲気はあっという間に消え去った。
「おはよう・・・・あっ」
一歩先に教室に入ったかすみが驚きの声をあげた。
俺も予想もしていなかった光景に足が止まる。
「よ、よう」
右手を軽く上げる東城。
「お、お前…昨日も行ったんだぜ、俺たち」
「東城くん」
「ごめん」
両手を合わせ、詫びる東城。
「もう、来ないかと思ってたぜ」
「心配したんだから」
「いや、ホントごめん」
東城はなおも謝り続ける。
「…でもま、元気そうでよかったな」
「ああ。ありがとう」
予鈴が鳴っている。
その間にも続々教室に入ってきたクラスメートからそれぞれに声を掛けられ、賑やかになる席の周り。
最後に教室に入ってきたのは御山だった。
彼女は他の生徒とは違って驚くこともなく、少し笑顔をつくると東城に軽く会釈しただけで席に着いた。
ホームルームも近づき、囲んでいた連中も各々着席。
晴れやかな表情のかえで先生が足取りも軽く入室すると、穐山の「きりーっ」という声が響いた。
◇ ◇ ◇
午後には雪もやんで、ほんの少しだけ空には青いものも見えている。
帰り道。
この地方では年に1回ぐらいしかないまとまった積雪で、駅に続く道路は両側に高さ40センチほどの白い塊が積み上げられている。
学校は坂の上にあるためバスも運休となり、除雪はされているとはいえほとんどの生徒が慎重に歩を進めていた。
朝、誰かが言い出してファミレスに行くことになった俺たち。
歩道を2列になって下っていく。
俺はかすみと。どちらも雪で滑らないよう俯きぎみに歩いているため、会話がなかなか続きづらい。
後ろには東城がいて、横には来栖が取り付いているが、不在だった間のことを一方的にしゃべりまくっている。
たまに東城が反応を示しても、いつもどおり見当違いな返事をして、まるで聞いちゃいないって感じだ。
その後ろには御山と花家。さらにその後ろには、涼子と柏木、穐山に紀伊國、慈乗院と吉村、盛岡や西春、その他多数といったいろいろな面々だ。
チェーンを巻いた車が、ゴトゴトと雪を踏み固める独特の音をさせながら、ゆっくり下っていく。
「で、東城さんは引き篭もっていた間、何をしてたんですか?」
アイスクリームの話をしていた来栖が何の脈絡もなく、突然問いかけた。
「何をって、まあ、テレビ見たりゲームやったり、ネット、かな」
「1人でですか?」
「‥そりゃ、まあ」
「いいですね~、それ」
ちぐはぐな割には一応会話らしきものが成立してはいるが、「リハビリ」の必要な東城には話題の振幅が大きすぎるようで、ちょっとばかりイラついている空気が背中越しに感じられる。
「それにしても、よく積もりましたね~、雪」
また話題が変わった。
来栖の相手をするのは、つくづく大変だ。
坂を途中まで下り、左手には花房神社が見えてきた。
こんな日に訪れる者はいないとみえて、境内は足跡一つ付いていない白一色の世界だ。
早苗橋のたもとにある市立美咲の連中だろうか。道の先の方にも生徒の一団があり、橋を渡る姿がぎこちない。
中にはペンギンのような歩き方をしてる奴もいて、立場は同じなのに、つい他人事のように噴いてしまった。
「きゃあっ!」
突然足を滑らせた来栖が、悲鳴を上げて後ろ向きに転んだ。
真後ろにいた花家は来栖を受け止めたまま共倒れで尻餅。
とっさに花家に手を差し伸べた御山も巻き添えで、地面に腰を打ち付けている。
御山の後ろの涼子と柏木も互いにかばいあったまま転び、背の高い柏木が涼子の下敷きだ。
「きゃっ」と小声で叫んだ紀伊國は穐山に抱きつき、穐山が必死に踏ん張ったため、後続に犠牲は拡大しなかった。
「あ~、もう何やってんの」
「大丈夫~?」
「痛った~い」
慣れない雪なのに、履いているのは底に滑り止めなんかない普通のローファー。
こんな日、雪国では長靴が相場なんだろうが、格好を気にする高校生がそんなもの意地でも履くわけない、というか履くという発想そのものがない。
起きるべくして起きた転倒劇だ。
持ち物が歩道に散乱し、プチパニック。
みんなで拾い集めるが、サブバッグはどれも学校指定の同じものなので、ぶら下がってるマスコットやキーホルダーしか目印にならない。
傘もあちこちに転がっており、転ばずに済んだ慈乗院たちが拾い集めている。
その中に、何か引っかかるデザインのものがあった。
「かすみさ」
「え?」
「あの傘?」
俺は一本の傘に視線が集中した。
それは昨日、東城の家の前に掛けられていたのと似た、ワインレッドの傘だった。
同じようにバラの柄がついている。
「え? どの傘なの?」
「あの、濃い赤の」
「あれが、どうかしたの?」
どうやらかすみは昨日、例の傘をそれほど観察してはいなかったようだ。
小声で伝える。
あの傘は、いったい誰が拾うのだろうか。
この中の誰かが昨日、東城の部屋に行ったのか?
断定はできない。
どうせ大量生産品だろうから、偶然の一致ってこともある。
だが、可能性は高まる。
東城を知っているという、狭い世界の中でのことだから。
最後まで拾われずに残ったワインレッド。
その傘は、御山が拾った。
「!」
「御山さん」
かすみは俺にしか聞こえない小さな声で叫んだ。
東城と御山が、いっとき付き合っていたかもしれないことは知っている。
彼女の家で見たアルバムがその最大の証拠だ。
かすみもそれを知っている。
昨日、御山は東城の部屋を訪ねていたのだ。
その直後俺たちが到着し、ノックしてもメッセを送っても、返事はなかった。
そりゃ、ないだろう。
御山だって、誰にも見られず部屋に入ったと思っているんだ。
「こんにちわ」と出てくるはずはない。
にしても東城。
春菜が去ってまだ1ヵ月も経っていないのに。
無性に腹が立ち、春菜の顔が目に浮かんだ。
かわいそうな春菜。
御山も御山だ。
彼女にとって春菜は東城の前に立ちふさがる障壁だったろう。
だが、春菜がいなくなったとたん、待ってましたとばかりに東城の家に押しかけたのか?
あの日が初めて訪問した日なのかもしれない。
でも、別の日にも通っていたのかもしれない。
ひょっとしたら毎日のように一緒にいたのかもしれない。
それは分からない。
けれども…
「はい、これ」
それを見たとたん、俺とかすみは唖然としてしまった。
「あ、御山さん、ありがと」
ワインレッドの傘。
バラの絵があしらわれたその傘を、御山は涼子に手渡した。
「さ、行こ」
歩き出す準備が整い、柏木が声を掛ける。
頭の中をグルグルといろんなことが駆け巡り、まだ呆然としている俺とかすみ。
「何してるのよ、早く行きましょ」
柏木に再度促され、我に返った俺たちが今度は派手にすっ転んでしまった。