第11話:高校生活の始まり~自己紹介
文字数 6,630文字
これから1年間過ごすことになる教室へ整列して向かいながらも、春菜はきょろきょろ見回している。
「廊下も広いし、中学とダンチだな」
東城もどこか満足そうだ。
窓だけでなく、床や壁もきれいに磨き上げられ、俺たち新1年生を迎えてくれる。
もともとは戦火もくぐり抜けた木造の校舎だったらしいが、20年ぐらい前に建て替えられ、耐震性もバッチリだと聞く。
木造の校舎は当然女学校として使っていたのだが、戦後、大学になって付属の中学と高校ができたとき、敷地と建物を中学と高校に譲り、美咲元町駅北西に土地を買い移転した。幼稚園も大学敷地内にある。
つまりここには大学生と幼稚園児はおらず、中学生と俺たち高校生だけがいるのだ。
建て替えにあたっては旧校舎の面影を残そうと意匠にこだわったらしく、外観も内装も茶色を基調としたレトロな雰囲気を醸しており、外側に押すと下が少しだけ斜めに開く教室左右の窓は黒い鉄製の桟で仕切られたおしゃれなものだ。
使えるものはほとんど旧校舎から移設したそうで、ドアのカーブした長い取っ手も、廊下や階段の手すりも年季の入った真鍮色をしている。
天井には、よくある長い蛍光灯ではなく、六つの乳白色の丸いカバーに覆われた簡素なシャンデリアが等間隔でぶら下がっており、これも旧校舎の「お下がり」だそうだ。
廊下にあるタイル張りの洗面所や階段室の壁面を飾っている木の板もひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。
高校、中学とも校舎は4階建てだ。
1年の教室は2階にあり、2年は3階、3年はその上だ。
1階は昇降口で、ほかに職員室や理事長室に医務室と会議室などがある。
1フロアには教室が六つあり俺たち1年生は共学化で生徒が増え5クラスになったので空きは一つだが、現在の2、3年生は3クラスしかないため、そのフロアでは三つの教室がもぬけの殻ということになる。その昔は各学年とも6クラスでは足りず、隣の今は施設棟として使われている建物にも複数の教室があったらしい。
音楽室やパソコンルーム、視聴覚教室などはこの施設棟に分散して存在し、1階には食堂のほか、調理器具の揃った家庭科室、実験道具が並ぶ理科室などもある。
敷地内にはこれとは別にさっきまで入学式をやっていた講堂兼体育館やプール、部室棟のほか、噂に聞いたチャペルがある。
そのいずれもが統一されたデザインになっているから驚きだ。
生徒を率い先頭を歩いているのは、さっき講堂でマイクを点検していた女の人だ。
教室に入ると、とりあえずは出席番号順に窓側先頭から座るよう促され、移動が始まる。
机の上には番号を手書きした紙がテープで貼ってあるから、人差し指で数える必要もなく迷わない。こんなことでも、俺たちがいた公立中学とは違うなと感心してしまう。
椅子を引くガタガタいう音。しかし大多数が初対面の連中だから、当然無言だ。
40人クラスで出席番号36の俺が座ったのは廊下側の列の前の方。
15番の春菜と21番の東城は中程の列にいる。
ピカピカのスクールバッグだけは持ってきたが、中に入っているのは財布とスマホ、念のための筆記用具とノート1冊のみ。
どこに置くのか分からないので、とりあえず机の上に寝かせる。
だが、同じデザインでも明らかに年季の入ったバッグを持つ生徒も結構いる。
こういうご時勢なのでエコか流行りのSDGsか知らないが、ひょっとしたら卒業生とかから「新入生のために」と、いわゆる「お下がり」が回ってくるルートでもあるのかな。偶然なのか、その生徒たちは全員がバッグを机横のフックに引っ掛けている。
教壇には先ほどの引率女性が立ち、全員の着席を確認すると、チョークを手に黒板に何かを書き始めた。
紫村かえで
「みなさん、入学おめでとう。そして、入学式ご苦労様でした。退屈だったでしょ?」
え?
「私は、しむら・かえで。みなさんナタリエ組の担任です。よろしくね」
伝統ある女子校の先生はお硬く、女ならシスター、男なら神父みたいに厳格な人だろうと勝手に思っていた俺。
自身の
壇上での紫村先生は遠目にも美人に見えた。
そして今、眼の前にいる姿は、美人も弩級だ。
歳は20代後半から30代前半だろうか。
さすがに極端に若くは見えないが、それがかえって面倒見の良さそうな印象を与える。
「よろしくね」というフレンドリーさにも好感が持てる。
自分も神姫中高の出身で、美咲女子大を出てこの学校に就職し、担当は国語であるという自己紹介。
プリントを回しつつ、学校のカリキュラムや年間行事、部活動の説明、宗教色が強かった時代の名残なのか宗教の授業、奉仕活動についての説明もある。
黒髪のショートで白のブラウスに青いリボンのスーツ姿が似合ってる。
…いいな(はあと)
鼻の下が倍の長さに伸びたとき
「じゃあ、今度はみんなの自己紹介を聞かせてくれるかしら」
という言葉で我に返った。
じ、じこしょうかいい?
考えてみればそうだよな。
中学の時だって、入学後や進級後の最初のホームルームでは簡単とはいえ自己紹介があった。
だがきょうは、そんなこと頭の片隅にすらなく、何の考えもない。
出身中学名と名前と、よろしくお願いしますだけじゃ駄目かな。
何か笑わせるネタで受けを狙った方がいいのか?
待てよ? 趣味とかも言わされるのだろうか? 家族構成とか、ま、まさか、宗教は何かとか言わなきゃいけないのか? 俺んち、宗教って何だっけ? じいちゃんの葬式は寺でやったから仏教…かな? え、まさか? 仏教だとハブられる、なんてことないよな…。と、東城や春菜んちはどうなんだろう? こんな話したことないけど、
§
§
§
「オレんち? キリスト教だぜ」
「と、東城、お前そうだったのか!」
「え? 私のうちもカトリックだよ。洗礼も受けたって言ったじゃない」
「は、春菜、どうして今まで教えてくれなかったんだよ!」
§
§
§
勝手な想像がどんどん膨張し、頭の中が混乱してくる。
冷や汗も出てきたぞ。
うわ~どうしよう。
まあいい。俺は36番だ。
こういうのは1番から始まるだろ。
そいつらの話す内容を聞いて、自分の番までに考えればいいんだ。
そうだ、そうしよう。
「じゃあ、ランダムにしようかとも思ったけど、いきなりもアレだから出席番号順に1番の穐山さんからお願いね。前に出て黒板に自分の名前を書いて、ここでみんなに向かって話してちょうだい」
げえええええ!
ランダムって、綺麗な顔して何えげつないこと思いつくんだ、あの先生!
まあいい。
番号順なら余裕だ。
俺に順番が回ってくるころには、みんないい加減飽きちまってるだろ。
それだ、それに賭けるんだ!
「穐山冴子だ。これからもよろしくお願いする」
ぱちぱちぱちぱち。
一部の生徒が拍手すると、穐山とかいう生徒はさっさと席に戻ってしまった。
おい!
おいって!
それで終わりかよ!
それとさ「これからも」って何だよ!
あんたのこと今初めて知ったんですけど、俺!
「穐山さんは高校でもフェンシング部に入るのかしら」
「はい、この後すぐに入部手続きを取ります」
「高校の大会はレベルも高いから、頑張ってね」
「はい。ありがとうございます」
紫村先生も知ってて当たり前のように問いかけ、直立不動とはいえ穐山も普通に応じている。
だめだこりゃ。
1番目の紹介から、俺は絶望的なアウェー感にさいなまれた。
「じゃあ、次は2番の朝戸さん、お願いね」
「はい。
そこで俺はハッと気がついた。
そうだ!
ここは下に中学がある。
高校からも入れるとはいえ、大半の生徒は下の中学からの持ち上がりの内部生だ。
だからこいつらほとんどが顔見知りで、自己紹介なんてする必要もなく、高校1年生最初の日からリラックス、中学の延長で仲良くワイワイやれるんだ。
スクールバッグが古いのもこのためか。中学から同じのを使ってるわけだ。
嗚呼…
でもな、せっかく高校入ったんだし。
新しい同級生とも仲良くなりたいしな。
東城や春菜も大切な友達だが、見知った仲間とだけつるんでばかりだと、打ち解けられないだろうし。
付属中学出身の子たちだって、別に敵ってわけじゃないんだし。
俺が勝手にアウェーだって思ってるだけなんだし。
打ち解けなきゃ。打ち解けなきゃ。
でもなんて言おう。
穐山って子は何か怖そうなオーラ出してたし。
朝戸って子はすでに友達いそうな雰囲気だったし。
変なネタしゃべって滑ったら最悪だし。
あうあう。
いろいろなことが頭の中で回転している。
3番目と4番目の子の説明は聴き逃してしまい、今は俺と同じ中学出身で幼馴染のかすみが壇上に立っている。
そうだ。
かすみがいた。
幼馴染で幼稚園の時から知ってるかすみ。
小学校では仲良かった。中学ではずっとクラスも違ってあまり話すこともなかったが、ここでこうして同じクラスになったんだ。
頑張ってくれ、君が俺らのトップバッターだ。
初球をセンター前に弾き返すんだ。
一ノ瀬かすみ
読みやすい綺麗な字で書き終えると、かすみはこちらに向き直った。
「はじめまして。一ノ瀬かすみと申します。彩ケ崎中学出身です。部活はたぶん茶道部になると思います。おばあちゃんがお茶を習っていて、昔から点てたお茶を頂いていたからです。私のうちは彩ケ崎駅の近くにあって、
か、カンペキだ…
膝の前で両手を重ね深々と頭を下げるかすみ。
内部生の子たちも大きな拍手を送っている。
確かに非の打ち所もない、糸をひくようなセンター前ヒットだ。
しかし、ハードルが…上がっちまった。
あまりにもカンペキすぎて、参考になりゃしない。
俺は、何を話したらいいんだろうか。
自己紹介は順調に進み、今は14番の
この子も内部生で、「また」とか「同じ」なんて言葉があちこちに出てくる。
それでも、ここまでにも俺たち以外の公立中学出身者が何人かいて、それなりに挨拶をこなしている。
次はいよいよ、春菜だ。
「はい、五丁田さんご苦労様。じゃあ次は佐伯さん、お願いね」
黒板の方に向かう春菜は、ちょっと歩きがぎこちなく、体も小刻みに震えてるように見える。
普段の
にしても入学初日からスカート短いな、あいつ。怒られんのか?
佐 伯 春 バキッ
名前を書いている途中で白墨が折れた。
ガチガチだぞ、あいつ。
だが、
「名前書いてる途中で折れちゃいましたけど、打たれ強さには自信があります。
はじめまして。一ノ瀬さんと同じ彩ケ崎中出身『さえき・はるな』です。面白いことが大好きですので、この学校のこともたくさん知りたいです。そのときはいろいろ教えてください。よろしくお願いします!」ペコリ
春菜は機転の効く子だが、ここでもそれを遺憾なく発揮したか。
あかん。確かに機転は効くが、一方ポカもそこそこある春菜なので、俺は何かミスるんじゃないかと勝手に思ってた、いや、ミスの前例を作ってほしいと密かに期待していたのだが。
あれだな。人の失敗を願ったって、そんなときに限って起きない。
というか、そんなこと願う俺ってサイテーだよな、うう。
その後も各自の自己紹介は順調に続き、今度は東城だ。
東城は見た目もそんなに目立つわけでなく、ガタイがいいわけでもない。
秀才でもなければ、サッカー部のエースストライカーでもない。
だが、妙に女にもてる。
女なら誰彼構わず声をかける節操なしかというと、そういうことはもちろんなく、中学でも春菜一筋だった。
なのになぜ女にもてる、あるいは好意を抱かれるかというと、奴は女に親切なのだ。
年齢や美醜は関係ない。相手を選ばない。差別をしない。下心もない。
その人がスーパーで買い物中の主婦であれ、新聞配達中のパートのおばさんであれ、歩行器を押したおばあさんであれ、困っていれば必ず助ける。
さりげなく気を配り、自然にサッと手を貸すことができるという、これはもう、持って生まれた才能、特技、あるいは、困っている女を引き寄せてしまう磁石みたいな存在なのだろう。
中学の時も、たとえプリント運びみたいな些細なことであっても東城は自然に手伝ってくれたりするものだから、女の子たちの評判は非常によかった。
春菜という彼女がいることを、じゅうぶん承知していてもだ。
で、この神姫高校だ。
この前までは女子校。
クラスに何人もいる内部生の子たちは中学までの3年間を女だけの学校で過ごしてきた。ワクチン打ったって男への免疫なんてないだろう。
しかも、男子生徒があまり集まらなかったため、このクラス40人のうち、男は俺を含めたったの8人だ。
東城ワールド間違いなしだろう。
「はじめまして」
東城の自己紹介が始まった。
「東城薫と言います。一ノ瀬さんや佐伯さんと同じ彩ケ崎中から来ました。かおるという名前で小さいころはよく女の子と間違われましたが、男です。一応」
プっと噴く音がする。春菜に違いない。
「部活とか何も決めてませんが、クラスで男手とか必要だったら何でも言ってください。楽しく3年間過ごしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします」
今座っている俺の両側は内部生の子だ。
ちらっと顔を伺う。
頼もしいものでも見るような、何ともいえぬ表情だ。
「ご苦労さま、東城くん」
自己紹介が終わり、紫村先生がねぎらう。
先生も女だ。東城のこの挨拶、効き目はあったのだろうか。
「じゃあ東城くん、さっそくだけど、全員の自己紹介が終わったら後で教科書を運ぶの手伝ってもらえるかしら。お願いね」
うん。抜群だったようだ。
初日にして全開とは、天然磁石め。
よどみなく進んでいく自己紹介の儀式。
平均すれば1人1分も話しているとは思えないが、かれこれ開始から30分も経過し、
「では、次は山葉くん」
俺の番がやってきてしまった。
平常心だ山葉! 平常心だ俺!
自分に言い聞かせながら、斜め前方、距離にすればわずか5、6歩の黒板に向かう。
動きは大丈夫か。脚と腕がユニゾンしてないか。まさかズボンのファスナーがオープンソーシャルになってないか。確認する暇なんてない。
チョークを手に取る。
ふうっと深呼吸。
山 キィィ
いきなり黒板上を滑って、背筋を刺激する音が響く。
後ろから「ひぃ」と体をすくませた空気が背中に刺さる。
一瞬手を止めるが、構わず名前を書き終え、向き直って39人のクラスメートと相対する。
全員が俺のことをじっと見てやがる。
どこに目を合わせればいいんだ。
もういい、とりあえずほぼ正面延長線上にいる春菜だ。
しかし彼女は和ませようとでもいうのか、ウインクなんか送ってくる。
「あは」
げ、変な声出しちまった。
内部生の子たちが珍しいものでも見るような表情だ。
いかん、観察なんてしてる場合じゃない。何かしゃべらないと。
「おはようございます」
俺は何を言っているんだ。
クスクスと笑い声が漏れる。
第一印象が全てだというのに、これでは初日にして変なやつの烙印を押されちまう。
とそのとき、
「おはようございます!」
とオウム返しに返事をしてくる女の子。
みんなも一斉にその声の方を向く。
ああ、確か春菜のちょいと前で自己紹介した子だ。
名前なんつったっけ。くる、来栖さん、だったかな。
そのまま俺は春菜ではなく、来栖さんと顔が合ってしまい、目を離すことなく
「山葉譲二です。かす、いや、一ノ瀬さんと幼馴染でした。まさか高校が一緒になるとは思っていませんでした。なんか男子少ないですが俺も頑張ります。校舎も気に入りました。食堂もあって驚きました。電車通学なので帰りに定期券を買います。以上よろしくお願いします」
と、何が以上よろしくなのかさっぱりわからん意味不明な挨拶を、一気にまくし立ててしまった。
春菜や東城は声に出せない笑い声を必死にこらえて悶絶し、かすみは困った表情のままうつむいてしまう。
「あら、一ノ瀬さんと幼馴染なんだ。心強いわね」
紫村先生のツッコミも右の耳から左の耳へ通過していき、夢遊病者のように俺は自分の席に戻った。