第16話:大雨の宿~その2
文字数 3,390文字
4400円の部屋。
高いのか安いのか、相場なんか知らない。
エレベーターに乗り、部屋のある階で降りる。
カーペットの敷き詰められた廊下の両側には、分厚そうなドアが並んでいる。
その中の一つのドアの上で、乳白色の案内灯がゆっくり点滅し、入室をいざなう。
恋人同士なら、部屋に入った瞬間、ここで抱擁するのかもしれない。
しかし、俺たちは違う、
いや、少なくとも俺だけは違うぞ。
部屋に入るなり、俺は乱雑にカバンをソファに投げた。
クッションがいいのか、ワンバウンドする。
とにかく、濡れた体を何とかしなくては。
バスルーム前の幅の広い洗面台の近くにふかふかの気持ち良さそうなバスタオルが二つ掛けてあるのを見つけたると、ひとつを自分の頭にかけたまま、もう片方を涼子に投げてやった。
「ふう。ほんとう、おおごとになっちゃったね」
さっきまで震えていたはずの涼子もひと安心したのか、少し元気が戻ったようだ。
「俺、服脱ぐからさ、入ってこいよ、風呂」
恋人じゃないんだ。
服を脱ぐところなんか見られてたまるか。
それに涼子が脱ぐところも興味ない。
もちろん一緒に風呂に入るなんて、もってのほかだ。
冷えた体を温めるため、一刻も早く風呂に入りたいのはヤマヤマだが、そこはぐっとこらえ彼女をバスルームへ追いやった。
「じゃあお先に。すぐに出るね」
涼子はバスタオルを再びタオル掛けに戻すと、バスルームに消えた。
水道の蛇口を開く音とシャワーを使う音が聞こえてくる。
部屋の中には俺1人。
とりあえず頭を拭きながら部屋の中を眺め回す。
あんまり広い部屋ではない。
ロビーで見たほかの部屋の中には1万円を超す部屋もあったが、写真で見る限りかなりデカそうだった。
やっぱり値段で違うよなと納得してしまう。
きっと設備とかでも微妙にランク付けされてるんだろう。
うっは~、このベッド。
部屋の割にベッドだけが異様にデカい。
まあ、俺はソファーで寝て涼子ひとりここで寝てもらおう。
お、これは今話題の8Kテレビってやつかよ。
イケダ電機とかヨドヤバシで見たことはあるが、こうやって自分でリモコン操作するのは初めてだ。
「いらっしゃいませ」なんて画面に表示されている。
どれどれ。
ん? なんだこりゃ?
押すトコ多すぎないか、このリモコン。
番組表だけじゃなく、歌本まである。
カラオケもできるのか。
ああ、確かにあそこにマイクもあるな。
しかもそこに見えるのはゲームのコントローラーだ。
へえ、こうなってるのか。
どんなゲームができるんだ?
ん? どぎまぎメモリアル? こんなの始めたら終わらんだろ。
とかなんとか言いつつ、しばらく電源を入れたりスイッチを押したりしながら夢中になってしまった。
にしても、それほど大きな部屋でないのに、やけに開放感があるんだよな、ここ。
よく見ると、ベッドのある壁面には巨大な鏡がついていた。
「うっわ~」
驚きというより、なんかおぞましいモンを見たような感じだ。
してるトコ、自分らで見るんかい?
「くそ。コンビニも閉まってたし、冷蔵庫ねーかな」
独り言を言いながら、冷蔵庫を探す。
クローゼットの横の壁面に埋め込まれた、高さ50センチぐらいの冷蔵庫を探すのにちょっと手間取る。
「お。あるある。旭日ドラフト? ビールじゃん、これ。 俺が飲めるモンねーのかな」
冷蔵庫の中には飲み物やスナックがぎっしり詰まっていた。
値段はついていないが、さっきの番組表かなんかに挟んであるんだろう。
ま、100倍もするわけねーだろうし、1本いただくか。
ビタミンドリンクだと思い、一気に飲み干した茶色い空き瓶のラベルを見て、思わず、ぐおお!っと叫んじまった。
「絶倫マムシパワー ハイパーブラックターボってなんだよ!」
どうりで味が変だと思ったが、もう遅い。
原材料を見ると、マムシだのオットセイだのサイの角だの女王蜂だの、得体の知れないものが羅列されている。一応、国産って書いてあるが、でーじょーぶか、これ!
「こんなの飲んだのがバレたら、涼子のやつ何勘違いするか分かったもんじゃねえ。だいたい、ターボって何だ? 意味分かんねーし」
空になった瓶に再び蓋をすると、カバンを開け教科書の下に押し込んだ。
冷や汗をかきながら、今一度部屋の中を見渡してみる。
ベッド近くの照明や空調コントロールのついたコンソールの下にも何かある。
さっきの冷蔵庫よりひと回り小さいドアがついているが、表面はガラスだ。
中にはなにやらピンク色のものや変な棒状の器具が並んでいるが、それを見た瞬間、俺は凍りついた。
以前見たエロ本の広告に同じようなものが並んでいたのを思い出したのだ。
「こ、これは…いかんだろ」
狼狽して俺は立ち上がった。
少し脚がもつれて、コンソールの上に手をつくと、指先がティッシュの箱に触れた。
部屋のインテリアと同じ色のティッシュボックスに入っているそれは、量がたっぷりだ。
その横には蓋付きの小さな箱が置いてあったので、ナニゲに開けてみる。
「う…枕元に、こ、こんな。ええい、没収、没収! ま、まあ、いずれ別の機会に出番はあるだろうから、それまでの辛抱だ」
俺はその没収した2つのブツをサイフの中にしまった。
しっかしまあ、初めて来たが、至れり尽くせりだな。
照明はシャンデリアみたいに、金色の飾りがひらひらといっぱいぶら下がっている。
手洗いも当然温水シャワー付き。ペーパーの先端も三角形に折られ、いかにもホテルって感じ。
こういう真似、たまに美砂がやるんだよな。
さっきは気付かなかったが、洗面台も広くて豪華だ。
石鹸や髭剃り、歯ブラシなんかは当然で、化粧品の瓶もずらりと並んで壮観だ。
それに鏡のでっかいこと。
蛇口なんかは金色で、お湯なんか待たずに出てくる。
「す、すげえ」
と、シャワーの音が止まった。
そうだ、涼子が入ってるんだった。
出てくるのを察した俺は部屋に戻るとソファに腰かけ、何食わぬ顔をした。
「お先に、ありがとうね」
しばらくするとバスローブ姿の涼子が頭を拭きながら戻ってきた。
プールで溺れたときといい、よくよくバスローブ姿には縁があるとみえる。
なんか、理不尽な気もするが。
「お湯、張ってあるから入ってね」
「お、わ、わり。いいから、先に寝てろよ」
「うん、分かった。疲れたしね」
ぎこちなく礼を言うと、俺は待望の風呂に向かった。
部屋の割に風呂は意外なほど広かった。
洗い場もそうだが、脚を思いっきり伸ばしても向こうに届かないんじゃないかと思えるほどの浴槽。
しかもジェットバス!
壁にはテレビまで埋め込まれ、どこにスピーカーが仕掛けてあるのか四方から音が出てくる。
さらに驚くことに、その黒い浴槽にはライトが埋め込まれ、この音に合わせて長く光ったり短く光ったりしている。
「こんなの美砂とかかすみとか見たら何て言うかな」
思わずそんなことを考えちまうが、口が裂けても教えてやれないな。
ああ、気持ちがいい。
生き返るようだ。
俺は涼子が突然風呂に入ってくるんじゃないかという危惧もちょっとばかり持っていたが、浸かったままかれこれ30分。あいつも疲れてたようだし、寝ただろうか。いや、寝ててくれ。
ゆっくりと至福の時を過ごし、ほっかほかに温まり満足そうに風呂からあがった。
バスローブに着替え、恐る恐る部屋に戻ると明かりは消され、涼子の寝息も聞こえる。
つか、この明かり何よ?
ただ明かりを消したんじゃなくって、別の「黒い明かり」がついてて、妙に
まあ、そういうもんなんだろうな。
空調も適度で気持ちいい。
これならソファーで寝ても風邪を引くこともないだろう。
俺はバスローブのまま、ソファーで横になろうとした。
ん? なんか濡れたものに手が触れた。
ソファーの上には、涼子の制服が広げて並べられ、水分を吸ったソファーが湿っている。
「く、これじゃ寝れんじゃねーか」
ハンガーあるんだから、せめて吊せよ。思わずベッドの涼子を睨みつけるが、こちらに背を向けているので気付かないか。
にしても、気持ちの良さそうなベッドだな。
羽毛布団なのだろうか、見た目はでかいのにふっかふかで軽い。
このまま湿ったソファーで寝るのもいいが、何か悔しい。
それに掛け布団がないとやはり寒くなってくるような気もする。
仕方ないので、同じベッドにもぐりこむと、涼子との間隔を広くあけ、さらに背を向けて寝ることにした。
「じゃ、おやすみ」
一応声をかけたが、返事はなかった。