第10話:高校生活の始まり~入学式
文字数 3,943文字
隣の東城も手元の受験票と張り出されている番号をさっきから何度も見比べているが結果は同じだ。
彩ケ崎向陽高校は地元の中堅公立。
ガチガチの進学校とまではいかないが、毎年、帝大にも何人か合格者を出す、そこそこのレベルだ。
必死に頑張れば下の方でギリギリ入れないこともないとは言われたものの、やはり、手の届かない存在だったのだ。
俺たちの姫高生活が確定した瞬間だった。
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東城「山葉ぁ、ほんとに向陽受けんの?」
山葉「一応な」
東城「オレも受けるよ。一応な」
山葉「えっ、マジ? でも俺たちって微妙に無理ぽっくね?」
東城「進路指導の山勝も、せっかくの優先枠で神姫受かってるから余計なことはするなって感じだったしな」
山葉「でも、親も公立受けないと納得してくれね~し」
東城「親ってのは自分の子供のことを過大評価しすぎなんだよな。まあオレたち自身、盛って伝えてるとこもあるが」
山葉「公立も実業系じゃなく普通科にこだわるし。そのくせランク落とそうとすると『逃げるのか』とか訳わかんねーこと言うし」
東城「神姫受かってるからまた勉強しようなんて気、普通起きねーわな」
山葉「姫高単願だったら遊び回れたのに、一応は勉強するフリしなきゃうっせーから勉強机の前に座っちゃいたが、ゲームしかしてなかったぜ」
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所詮、動機が不純以前の問題で、そもそも私学への合格が確定している俺たちにとって、やる気を持続させるなんてことは土台無理だったのだ。
苦労してラスボス倒したと思ったら、より強い真のラスボスが現れる。
ゲームならここでどこかから現れた女神みたいなのが体力満タンにしてくれるわけだが、俺たちの受験ではそんなもん湧いてくるワケもなく、私立受かった時点でHPもMPもゼロというか、そもそもこっちから補給をお断りしたようなもんだ。
これで受かったら真面目に頑張ってきた連中に失礼ってもんだろう。
神姫というのは地元に昔からある美咲女子大付属
もともとは明治時代にドイツ人の商人が子女教育のために興した女学校だったが、それほど時間を経ず日本人も受け入れるようになったという。
ミッション系ではないが、昭和の初めぐらいまでは宗教教育にも力を入れていたようで、その影響か敷地内には今でも現役の礼拝堂があって、週に1回だけ宗教というかキリスト教の授業もあるそうだ。
だが、想像に反し躾ガチガチではなく、比較的自由な雰囲気だと聞いた。
開校当時校門にはドイツ語で「神は汝の子女を祝福する」と書いたアーチが付いていたらしく、これが「神姫」という校名の由来らしい。
地元では「かみこう」とか「ひめこう」と呼ぶ人が大多数だが、古い人は学校を興したシュタウフェナーという人の名前にちなんで「シュタウフェン学校」とか単に「ドイツ」と言う場合もある。そんな学校はどこにもないので、これでもじゅうぶん通じるのだ。
女子大付属と冠がついていることからも分かるように、神姫高校は女子高だったのだ今までは、というかほんの一瞬前までは。
高校と、下にある付属中学は後からできたものだが、もともとの美咲女学校としては100年以上の歴史がある地元女子教育の牙城といってもいい存在だ。
お嬢様学校ということもあり、地元の美咲だけでなく、近隣各市や結構遠くからも通ってくるそうだ。お爺さんのような古い人に話を聞くと、昔は美咲女学校出身の娘をお嫁さんに迎えることは、この地域では一種のステータスだったともいう。
戦争が終わってから女学校は女子大になり、高校や中学が併設された。
小学校は流石にないが、幼稚園はある。大学の短大部には幼児教育の専攻科があるからだ。
よほど素行に問題がない限り大学までエスカレーターなので、中学から人気が高く、小学校で同級生だった女の子も何人か進学した。
しかも、レベルもそこそこ優秀。高校は中学より定員が多いため、高校からの入学にもある程度は対応しており、向陽や進学校の市立美咲を初めとした地元公立を受ける女の子たちも併願先にしていることが多いと聞く。
ところがご多分に漏れず昨今の少子化だ。
相当に揉めたらしいが、4月の新学期から中学、高校ともついに共学化の道を選んだ。背に腹は代えられないってやつだろう。
せっかく門戸を開放するわけだから、数年間は男子の入学にあたって、地元や近隣の中学、小学校に優先枠が設けられ、進路指導教師の勧めもあり、俺や東城は受験先に選んだというわけだ。
「知った顔が何人もいると、ほっとするな」
体育館の入り口。
張り出されたクラス表で、俺と東城はともにN組であることを確認。
同じ中学の連中も何人か入学しているので、顔を確かめようと待っていたのだ。
ピカピカのブレザーに身を包んだ東城は周りを見回し、ときに「よっ」と片手を挙げ、「また同じだな!」と声をかける。
ブレザーはよくある紺色で、胸に校章を中心にしたエンブレムがついている。
ズボンはチャコールグレーだ。
デザイン的には珍しくもなんともなく、派手さもない。
夏は白の半袖カッターシャツになるだけだ。
「早く中に入ろうよ。初日から怒られるのヤだよ」
東城と中学から付き合っていて、ここでも同じクラスとなった春菜がせっつきつつも、嬉しそうだ。
真新しいセーラー服。
襟元の紺のスカーフが傾いていたのか、付き添ってきた母親は急かすでもなく結び直している。
「ん、ありがとう、おかあさん。でも、いいよ、恥ずいよ。自分でやるよ」
女子の制服は2、3年生と同じだ。
共学になったからとてリニューアルするでもなく、女子校時代から脈々と続くデザイン。
後から知ったことだが、この機会にブレザーにしようという計画もあったらしい。
しかし、さすが伝統校。
卒業生を中心に反対の声が沸き起こり、デザインのラフすらない段階で話は消え去ったそうだ。
学校は市からも補助金をもらっている。
武蔵美咲市は女性市長なのだが、この市長自身が神姫出身者だというから、むべなるかなである。
このセーラー服は上下とも紺色で、襟は大きく、色は白。この襟にはちょっと太い黒の線が1本入っている。
袖口のカフス部分と胸当てには同じ太さだが黒ではなく白い線が1本ずつ。
この胸当ての白線の下に校章のマークがカラフルな糸で刺繍されている。
マークの周りには例の「神は汝の子女を祝福する」というドイツ語が金色の刺繍で入っている。
学年バッジは左胸に付ける。
夏は白のセーラー服になるが、代わりに襟が紺色になる。
今度は襟の太線が白になり、半袖の白いカフスに同じ太さの黒線が入る。
白の胸当ても同様の黒線が入るわけで、スカートと紺色スカーフを除けば冬と夏で真逆の色遣いになるという、こだわりようだ。
形としては非常にオーソドックスなものではあるが。
ちなみにソックスはいわゆる紺ハイ。
以前は白のハイソックスと決められていたらしいが、数年前から黒や紺もOKになったという。
それ故か、白いハイソックスの女生徒もちらほら見える。
ただ、市販品は駄目で購買部で売ってるエンブレム入りしか履くことはできないし、ルーズソックスなんてあり得ない。
「手続きの済んだ生徒は速やかに入場しなさい」
講堂の入り口付近でスーツ姿だが妙にいかつい教師がハンドマイクで呼びかける。風紀係に違いない。
俺たちは
正面の壇上には、たぶんこの後で校長とかが祝辞を述べるであろう講演台がセットされ、その頭上には国旗と校旗。両脇には来賓や学校幹部が座るパイプ椅子が置かれている。
こちらから見て壇の右下には吹奏楽部なのか、いろいろな楽器を持った先輩女生徒たちがチューニング中だ。
武蔵美咲市では毎年11月第一週の土曜日に市制施行を記念した周年祭を開いている。神輿が練り、
神姫の吹奏楽部はこれに例年参加しているのだ。
お嬢様学校の生徒による吹奏楽行進というと色眼鏡的に見られそうだが、かつて全国大会に出たこともあるというから腕前はいいのだろう。子供心にも「すげー」と思ったことを覚えている。
しかし、この女生徒たちの中にこれからは男子も混ざるはずなので、これはこれで、今後は見られないであろうレアな様子を目に焼き付ける。
「山岸がいねえな。あいつS組って出てたよな」
座ってもなお東城は落ち着きなく顔を左右に向けている。
クラスは五つある。
創立時、教員の奥さんや恋人の名前をクラス名に冠したというのが理由らしく、それが今に続いている。つまりクラス名はそれぞれがドイツの女性名で、E組がエリザベート、カテリナ組はK、俺たちのナタリエ組がN。ほかにR組がレベッカ、ジモーネがSだから、この五つのアルファベット順ならNは3番目なので、並びでは真ん中ということになる。
それぞれのクラスごとに固まって座っているので、左右に目をやれば見覚えある連中も結構いる。
だが、男子は思うほど多くはなかった。
1クラスは40人ぐらいだが、ブレザー姿はそれぞれ10人もいないんじゃないだろうか。
これは上手くすればハーレムの王になれるかもしれない。
思わず口元が緩んでいくのが分かった。
コンコン
マイクを指でつつく音がする。
いつの間にか壇上では小柄な女性が1人、講演台周辺をチェックをしている。
結構かわいい、というか美人に見える。
学校のパンフで、理事長兼校長は迫力あるおばさんだということは分かっているので、この人は教員なのか、あるいは職員なのか。
ほどなくして、退屈な式が始まった。