第82話:空いた席
文字数 4,748文字
教室内でかわされるヒソヒソ話。
当事者が現れると一斉にやむが、また我慢できなくなったように始まる下世話な話題。
みんな悟っている。
みんな知っている。
昨日、何があったのか。
授業中に泣き出し、保健室に運ばれた御山。
率先して助けるはずの東城が、嫌そうな顔をしていれば、どんな鈍い奴でも分かるだろう。
理由なんかは知らない。
だが、御山と東城に何かあった。
その何かというのは、「別れた」ということ。
それだけで十分過ぎるネタだ。
「きりーつ」
と、突然の号令にぎょっとするクラスメートら。
しかも声を発したのが、今まさに話題にしている東城なのだから無理もない。
そうだった。
あいつは学級副委員長だった。
御山がいない今、毎度の号令はあいつの仕事になったわけだ。
慌てて立ち上がる。
ホームルームのため、かえで先生が入ってきた。
「きょうからしばらく御山さんは欠席するそうです」
伝えられたのは、ただそれだけ。
隣の席と顔を見合わせ、頷きあう連中。
探るように覗き見て、またヒソヒソ。
何とも嫌な空気だ。
春菜のためにも、あいつが御山と別れたのはいいことなんだが、何ともな。
いったいどういう経緯だったのかは、もちろん分からない。
ただ、昨日の今日では、さすがに春菜のことを伝えるのは躊躇される。
内容が内容だけに、あいつにも荷が重いだろう。
春菜の転校していった先、北麗女子は系列とはいえ、名前の通りまだ女子高のままだ。
共学になったのは6校あるなかでも、俺たちの神姫だけ。
校舎の改修などで多額のカネがかかるため、全部いっぺんにというわけにはいかないからだ。
108年前、系列で2番目に誕生した春菜の通っている学校は、政治経済界にも多くの人材を輩出しているかの地で頂点を極めた女子校。
良家の子女が多く通いプライドも高く、教師もそれこそ「異性交遊なんてまかりならん」という連中ばかりだそうだ。
そんな中に放り込まれた春菜。
聞かれるがまま、共学のこと、男子生徒のこと、そして東城のことを話したら総スカンを食ったのだという。
嫌われるのは構わないがと、春菜も言っていた。
しかし、クラスには5人組の仕切ってる連中がいて、「学校のしきたりを教える」という名目で、それはかなり理不尽なことをされたらしい。
さすがに春菜も内容は言わなかったが、あいつが話したくないというほどのことだ、相当なことだろう。
しかもそれは今も続いているという。
ほかのクラスメートも5人組に逆らえないためか手助けしてくれず、教師も春菜がこちらで家出騒動を起こした「問題児」と見ているため、相談にも取り合ってくれない。
まさに、四面楚歌なのだ。
早く伝えて手紙も渡さなければならないのだが、少し様子を見ることにしよう。
いずれにせよ、春菜を助けてやれるのは、あいつしかいない。
授業は淡々と進み、6時間目も終わった。
この時間になると、もう御山の話題に飽きてしまったのか、ヒソヒソチラチラも少なくなり、普段どおりの教室を取り戻している。
きょうは記念祭実行委員会の作業日。
船橋、東城と3人連れ立って毎度お馴染みの教室へ向かう。
いよいよ今月末には系列校から交流生徒の来訪が始まる。
その第1弾は、あの、北麗だ。
◇ ◇ ◇
<5月8日放課後>
「連休前にコメント集の編集は終わってるから、きょうは他のクラスの分と合わせて印刷に回すわよ」
文句を言いながらも、こういうのが結構好きみたいで張り切っている船橋。
いつの間にか仕切り役になっており、
「ああ、山葉」
と、俺を呼ぶときも呼び捨てだ。
ま、別にいいが。
「なんだ?」
「あんたコメント書かなかったから、私が適当に書いといたから」
「ええっ!? 勝手に何書いたんだ、おめー」
「まあ、彼女が欲しいとか、そんな感じ」
「んがー!」
「それはそうとさ」
人の怒り、狼狽なんか気にすることもなく、船橋は俺を無視して東城の方に顔を向ける。
「それはそうと、東城って、別れたのよね?」
遠慮も知らん女である。
「ああ。にしても直球だな」
「いいじゃない、みんな知ってるんだから。でさ」
「でさ?」
「私と、付き合わない?」
聞いた瞬間、怒りもどこかへ吹き飛んで、
「(´∀` )(∀` )(` )( )( ゚)( ゚д)( ゚д゚)ハァァァァァァァ???」
って反応で、船橋の顔をシゲシゲ見てしまった俺。
「何、変な顔で見てんのよ」
「いや、だって船橋。お前さ、昨日別れた奴にそんなこと言うか?」
当の東城はニヤニヤしながら成り行きを見ている。
俺は代弁してなお続けた。
「告るにしてももう少し考えろよ。デリカシーのないやつだな」
「デリカシーがないって何よ、失礼な男ー!」
「いや、だってそうだろ。お前逆だったら嬉しいか?」
「嬉しいわよ!」
「やっぱデリカシーないわ、こいつ」
「!ぶぎゃらゃぎびぇ……」
突然、何なのかワケの分からない技をかけた太めの船橋。
俺の人生の最後に見たのが、船橋だなんて……どさっ
「やっと静かになったわね」
「返事がない。ただの屍のようだ」
「とまあ言うのはおいといて」
さっきと打って変わり、船橋が真顔になった。
「御山さん、気をつけた方がいいわよ」
「気をつける?」
「付き合ってたんなら知ってると思うけど、あの子、すごい執念深いでしょ」
確かに美砂の家の前に夜中まで立ってたり、オレの家の前で待ち伏せて美砂と言い争いになったり、普通じゃないところはあるよな…
「…そうなのか」
「私、彼女と中学同じだったから知ってるんだけど、あのころもいろいろあったのよ」
「いろいろ?」
「あの子、最初のころはバレーあんまり上手くなくってさ…」
◇
◇
◇
中1で何気なくバレー部に入った沙貴子は、下手は下手なりに楽しんでいたらしい。
部員との関係も可もなく不可もなくという感じだったという。
ところが当時、男子のバレー部にはみんなが憧れてる3年生の先輩がいたそうで、この先輩がある日、沙貴子に告ったんだそうだ。
あれだけかわいいんだから、理由も分かる。
で、沙貴子も軽い気持ちでOKしたはいいが、彼女は潔癖症なところがあるから、キスはもちろん、手すらあんまり握らせなかったという。
これで欲求不満が溜まったのか、この先輩の男は別の女生徒からの告白になびいてしまったらしい。
この女生徒というのが、バレー部でも結構目立つ2年生の子で、告って1週間もたたないうちに体の関係になったとか、そんなウワサが流れた。
沙貴子にしてみれば、一方的に振られたわけだ。
これだけならともかく、横取りしたこの女生徒は沙貴子の目の前で先輩とキスしてみせたり、よせばいいのに他の部員に「下手だの」「部の面汚し」だの沙貴子の悪口を吹聴して回ったんだそうだ。
この女生徒は部でもリーダー的な存在で、当然バレーも上手い。
ほかの部員も逆らえないから、沙貴子の味方なんて誰もしてくれない。
こういう場合、いじけて部を辞めたりするのかもしれないが、沙貴子の場合は違った。
練習を重ね腕を上げ、秋ごろには1年生では異例のレギュラーに抜擢されるまでになったのだという。
で、代わりにレギュラーから外されたのが、この2年生。
全国でもバレー強豪で知られる橘花女学院から、このままいけばスポーツ特待も、って話があったほどだからショックも大きく、声も掛けられないほど落ち込んでいたという。
ここまでならまだ、沙貴子には正当性もあるし、切磋琢磨で? バレーも強くなってよかったなということになるのだが、彼女の復讐はこれにとどまらなかったというか、これからが本領だった。
その部では「レギュラーの命令は絶対」というしきたりがあったらしく、沙貴子はこの2年生を練習相手として指名した。
レギュラー落ちのショックでやる気をなくしていて、ロクに練習相手にならないのにだ。
ところが、他の部員や監督の前では
「あの人は私の恩人なので恩を返したい」
「先輩のおかげで今の私はある」
などと持ち上げ、レギュラーをとっても先輩を立てる練習熱心ないい奴と株が上がる。
言ってみれば「褒め殺し」みたいなものだが。
殺し文句は「わたし、先輩のこと尊敬してるんです」。
で、いざ、実際の練習や紅白戦では、沙貴子から執拗にスパイクで狙われ、体も心もズタズタ。
練習がない日や休みの日も、教室や自宅にまで行き、不在なら不在で電話やメールで、「教えてください。特訓してください。一緒に橘花目指しましょう」と、どこまでも狙いを外さない。
日曜日にカーテンを開けたら、家の前に立ってたなんてこともあったらしい。
精神的にやられた2年生は、泣いて許しを願ったが全く無駄で、笑みをたたえたまま、追い詰めるだけ追い詰めていく陰湿さだったそうだ。
この2年生は、もはや練習の相手にならないほど実力も落ち、成績も下がってひところの活発さなんか見る影もなし。
しまいには、バレーのボールを見ただけで取り乱すほど精神まで崩壊。
練習相手なんか務まるはずもなく、他の部員からも哀れみや蔑みの目が突き刺さることに。
以前は目にかけてくれていた監督からも「お前がいては御山の邪魔だ」と退部にまで追い込まれてしまった。
もちろん相手の3年生もさっさと別の女に乗り換え、彼女は部を辞めてからは不良と付き合うようになって、タバコを吸ったり、万引で補導されたり、スケバングループに入って恐喝、どこのどいつか分からない相手の子まで妊娠。
ここまで落ちるかというところまで徹底的に落ちていったそうだ。
当然、立場は完全に逆転。
橘花からは「御山がスポーツ特待の有力候補」と名指しでスカウトまでされたそうだが、復讐のため強くなったバレー。
もとより橘花に入る気なんかさらさらなく、今の神姫に落ち着いたという。
2年生の子は、まだ長いはずの人生のレールをわずか13、4歳で完全に曲げられてしまった。
一応、どこかの高校には進んだらしいが、1年の1学期には何をやったのか退学処分に。
その後、どうなったかは誰も知らないという。
ある意味、学校という世界かも、社会からも、合法的かつ巧妙に「消し去った」ことになる。
◇
◇
◇
「その執念深さが良い意味で実って、バレーの力もついたわけなんだけど、あの子、バレーできなくなったでしょ?」
「ああ」
「そのバレーがなくなり、ある意味、生きがいだったと思うのよね、あなたのこと」
「‥‥」
「それがなくなったら…あ~、怖っ」
「‥‥」
「で、結局のところ、あの子の性格からすると、自分を振った男よりも、その男と付き合ってる女の方に憎しみが向くっていうか」
確かに、去年の体育祭の前、バレーの練習。
異常とも思えるほど春菜を痛めつけていた沙貴子。
あのときの様が、ありありと蘇る。
「憎しみかよ」
「そうよ。考えてもみなさいよ。2年生の子と3年生の男。どっちが悪いって言ったら、御山さんに告っておきながら、2年生の告白にへらへらOKした3年の先輩でしょ。そりゃ、女の方も彼女の悪口言ったりはしたけど、それは男が手に入ってからの話なんだし」
「‥‥」
「東城、あなたまさかあの子と寝てないでしょうね?」
「ね、寝てねーよ」
「ならいいんだけど。処女まで捧げて振られたなんてことになったら、あなたじゃなく相手の子、マジ命危ないよ」
「だ、大丈夫だよ。誰とも付き合わねーし」
「別れた理由は、ほかに好きな女の子ができたとかじゃないわよね? なにしろ今回は学校まで休んでるんだから、ただ事じゃないわよ」
「違うって! 同時に複数の女を好きになるほど器用じゃねえよ、オレは」
「そう。でも、私なら太刀打ちできるから。どう? 付き合わない? 私と」
あっけにとられ船橋の顔を見る。
「…私の初めて…東城なら‥いいよ」
そう言うと船橋は、急にしおらしく視線を逸らし、手を握った。