第68話:絶交
文字数 2,950文字
涼子の傘。
東城の部屋の玄関に掛けてあった傘。
本当に東城の家を涼子は訪ねていったのだろうか。
ファミレスで行われた「復帰記念パーティー」。
その間も俺は、ずっとそんなことを考えていた。
パーティーの最中も涼子が東城にべったり張り付いたりすることはなく、それどころか離れた席で盛岡あたりと話し込んでいる。
前、俺が涼子に付きまとわれていたころは、わざとベタベタするなど周りへこれ見よがしな態度をとっていた彼女が、今回はそんなそぶりを見せることもなく、どちらかといえば淡白だ。
あの女の性格からすれば、実に似つかわしくない。
ワインレッドの傘。
涼子の傘。
これはただの偶然で、たまたま涼子が同じ物を持っていただけなのだろうか。
そもそも、あの日見た傘。色は確かにワインレッドでバラの花のデザインだったような気もするが、たかだか昨日のことにもかかわらず、柄が本当にバラだったかどうかすら怪しく思えてきてしまった。
「でも、本当に紅村さんなのかしら」
かすみが耳元でささやく。
「うーんん…」
結局はそれに尽きる。
仮に涼子だったとしても、部屋に入ったからといって、だから何なんだ。
東城の元にはすでに春菜はおらず、寂しさから涼子、というか他の女の子に走るのは奴の勝手だし、それは十分に想像のつくことだ。
あるいは、涼子が前々から東城を狙っていて、春菜がいなくなったことで好機到来とばかりに押しかけたとしても、俺の知ったことではない。
だが、涼子が東城を好いているなんてことは今までの様子からは全く想像できないし、脈絡がない。
彼女は俺に、俺だけにアタックを掛けていたはずなのだから。
東城にしても、涼子は奴の好みからはかけ離れている。
それとも、まさか彼女は俺のことでも相談するため東城を訪ねていったとか?
いや、いくらデリカシーのない涼子とて、引き篭もって悲しんでる奴の家に押しかけ色恋の相談なんてあり得ないだろう。
さっぱり分からない。
ワインレッドの傘。
涼子の傘。
謎は深まる。
確証も何もなく、あの日あの部屋に行ったのが涼子だと勝手に思い込んでいるだけかもしれない俺たち、いや、俺。
「ま、放っておこうか。分かる日が来れば分かるわけだし」
おかわりした2杯目のコーヒーに砂糖を入れながら、自分に言い聞かせるように言葉を返す。
相変わらず涼子は盛岡と盛り上がっていて、東城とは特に話をするでも目配せするでもない。
「リア充」がどうのこうのと言っている。
東城は御山と来栖に両側を挟まれ、相槌を打ったり軽いジョークを飛ばしたりと、謹慎前と変わらない雰囲気で、涼子のことは気にも留めていない様子だ。
「ちょっと、そこ何コソコソしゃべってんのよ」
隣の柏木が突然割り込んできた。
「え? 別にコソコソなんてしてねーって。かすみにいろいろ、その、何だ、連絡事項があってよ、な、かすみ」
「え? ええ、まあ」
「ほーら、かすみも困ってるじゃなーい。山葉ホントうそつくのへタね」
「ウソなんか言ってねーって」
「私のぱんつの色とかしゃべってんじゃないの~?」
「ぱんつの色だぁ? おめえ、いまだに根に持ってんのか」
思わぬところで昨年の文化祭ネタが飛び出し、狼狽する俺。
そんなやり取りに気付いたのか、東城がコーヒーカップを持って俺たちのところにやってきた。
「柏木、わりーな、席替わってくれ」
「え~? 私、山葉と話してるんだからぁ」
「いいだろ今だけ。来栖の相手してやってくれよ。ありゃ、ネジが一本取れてるわ」
「もーっ」
東城は強引に柏木と席を替わると俺の隣に腰掛けた。
席に着くなり「ホント、悪かった」と朝と同じように謝ってくる。
朝、昼休み、そして今。
きょう東城は俺たちに謝ってばかりだ。
「もう、東城くん、いいわよそんな。謝ってばかり」
こうなるとサスガにうんざりなのか、かすみが苦笑しながら応じている。
それでも東城は、俺たちの来訪に応えなかった理由、すなわち、春菜の件で心底落ち込み誰にも会いたくなかったということ、会わないことを繰り返しているうち、ますます会い辛くなったということ、期末も近く、両親にドヤされ観念したという、同じ説明を繰り返した。
だが、そんな説明はどうでもいい。
本当は、あの日、東城の部屋に行ったのが誰なのか知りたい。
しかし東城が答えるとは思えないし、仮にその答えが涼子だったとして何て反応していいものやら。
俺は時間が解決するだろうと思い、特に問いただすことはしなかったが、
「私たち以外にも、誰か行ったの?」
核心を突きかねない質問を、かすみがあっさりと言ってのけた。
「…うん。まあ」
東城は言いよどむ。
「あ、ご、ごめんなさい。詮索するつもりじゃないの」
かすみは質問しておきながら、はっと気付いた様子で慌てて右手を左右に振った。
ホッとした表情の東城。
このままでは話が終わってしまう。
俺はせっかくなので、ちょっと追及してみる気になった。
「かえで先生は来たんだろ?」
「まあ、2、3度な」
「理事長とかは?」
「さすがに、そりゃなかったな」
「ほかは? クラスの連中とか来た奴いんの?」
「少しだけな」
「何だ、意外に冷たいな」
「まあ、みんなも忙しいだろ」
「別のクラスの連中は?」
「来る理由ないだろ」
「隣のK組でもお前に興味持ってるのが何人かいるって聞いたぜ?」
「誰だ、そんなウワサ飛ばすのは」
少し東城もイラついている感じだ。
カップを片手に視線を逸らす。
かすみも冷や冷やして視線を俺に向ける。
「1年生にも人気あるはずだしな」
「…ねーよ」
「お前、女子にウケけがいいから誰か行ってるんじゃないかって思ってたぞ」
「ウケなんかよかねーよ」
語気には「いい加減にしろよ」という雰囲気が含まれてくる。
「ウソつけよ。御山とか…」
しまった。
よりによって御山の名前を出してしまうとは。
これだったら、まだ正直に涼子と言った方が良かっただろう。
かすみもさすがに焦りの表情に変わった。
「お前、何か言いたいことあんのか?」
さっきまで一応は冷静に見えた東城だったが、御山という名前を聞いたとたん音を立ててカップをテーブルに置いた。
場が静まる。
東城と御山のことは、家庭訪問の時に見たアルバムや、体育館裏で胸に顔をうずめて泣く姿で知っている。
だが、このことを俺たちが知っているなんて東城は知るはずもない。
「悪いのは確かにオレだけどな、お前さっきから何だ。いちいちムカつくんだよ」
東城は早口でまくし立てると立ち上がり、俺を威圧する。
拙いこと言ったのは俺だ。
ここは「ごめん。悪かった」と謝れば済むはずだったのだが、
「そんなんだからお前、妹に嫌がられんだろ」
東城がなおも続けて言った一言に、今度は俺がブチ切れてしまった。
「なにっ」
こっちも立ち上がり、東城の胸倉を掴む。
「ちょっと、やめてよ!」
かすみがとっさに俺の腕をつかんで制止する。
東城はそんな俺たちの姿を見ると、ふっと鼻で笑い、御山の方へ視線をそらした。
それ以上は何も言わない。
そのまま数秒。
まるで時間が止まったように、音もない。
発散できない怒りに身を震わせつつも、痛いところを突かれ、ただ睨みつけるしかできない俺。
東城は向き直るとコーヒー代をテーブルの上に置き、店を出ていった。
御山が慌てて後を追い、そのまま戻ってくることはなかった。
外では再び雪が降り始めていた。