第2話:水着売り場
文字数 2,544文字
駅前のファッションビルにある水着売り場は、シーズンを控え、早くも混雑していた。
しかし、そこは女物の売り場。
俺は目のやり場に困り果てていた。
水着姿のマネキンや、ハンガーに吊るされた色とりどりの大胆な布キレを前に俺はどうしていいか分からず、動きもぎこちない。
まだ、涼子が横にいて、「あれがいいな」「これもいいな」とかやってるうちはよかったが、彼女が試着室に入っている間は1人っきりだ。
学校帰りの時間帯ということもあり、客層は同じような高校生もちらほら。
うちの学校の生徒もいれば、彩ケ崎向陽や
中には、変態でも見るような視線を向ける娘もいて、居心地はすこぶる悪い。
「何であいつのせいでこんな目に…」
やり場のない怒りが湧いてくるが、それと同時に、避けたいにもかかわらず、早く涼子が出てこないかという期待、いや、渇望というか、そんな複雑な気持ちも交錯する。
もちろん、着替えた涼子の姿を見たいのではない。
早く買い物を終わらせてここを出たい、ただそれだけの気持ちだ。
さっさと放置して逃げてもよかったんだが、「着替えたら見てほしいの」という彼女の言葉に何も言い返せなかった。
試着室の前の床にきれいに揃えて並べてある、こげ茶色のローファー。
スカートを下ろしているのか、ファスナーを引く音がする。
セーラー服を脱いでいるのか、布同士の摺れる音が聞こえる。
体を動かすたびにカーテンが揺れる。
何かこう、そんな些細なひとつひとつの物事や動きを見ていると、このまま置いて逃げるというのもどこか可哀想で、そんな行動はとり辛い。
そんな変な仏心にも似た気持ちを持っているから、涼子に勘違いするなという方が無理だろう。
ここでもまた、ずるずると事態を悪化させ、それに抗うこともできず、ひとつの既成事実を作られてしまう。
こういう積み重ねがどうなるかは想像に難くない。
立場が逆だったら、俺は勘違いするね。
フラグなんて立ちっ放しだろう。
それも1本や2本じゃない気がする。
こうしてレールは勝手に敷かれていくのだ。
「山葉くん、どう?」
試着室のカーテンから顔だけ出した涼子が俺の名を呼んだ。
さっきまで「何よあの男。いやらしい」って感じの視線を向けていた客の女生徒たちもその声に反応し、俺と涼子、交互に視線を向けるとたちまち納得したという表情になり、再び水着選びに没頭する。
「違うんだ!」
「え? 何が違うの? まだ見せてないのに」
俺は声に出して叫んでしまったようだ。
ザーッ。
勢いよくカーテンを開けると、水着姿の涼子が両手を後ろで絡ませ、ぴんと胸を張る。
その白いワンピースの水着は、普通のリゾート用水着より大腿部のカットが大胆だ。
左胸のあたりから右のウエスト部分にかけてワインレッドの太いラインが1本斜めに走っている。
背中は腰のところまで深い切り込みがあり、背中の真ん中でX字形に交差するストラップは、肩や腰の辺りは水着本体と同じ白だが、中心の10センチぐらいは正面のラインと同じワインレッドがアクセントになっている。
この色が、彼女のやはりワインレッドの髪留めの色と見事に合っている。
俺の前で一回転した涼子は、目を輝かせ答えを待っている。
「に、似合ってる」
俺はその姿にクラっときたわけではないと信じたい。
だが、予期せずに胸がぴくんとなり、口をついて出た言葉は、紛れもなく彼女の選択を褒めるものだった。
「やったぁ! ほんとに? そう言ってもらえると思ってた! じゃあ、これに決めるね」
喜んでいる涼子の顔は屈託がなく、憎めない。
もし、同じ状況にあったとして、かすみだったら、こんな顔を見せてくれるだろうか。
こればかりはいくら想像しても答えは出ない。
それどころか、水着を買う現場にこの俺が同行できるかどうかすら分からないのだから。
だが、今、目の前で見た涼子の笑顔、これは事実だ。間違いなく。
「あれ? 山葉くん?」
涼子の支払いを待つほんのわずかなとき、不意に後ろから話しかけられた。
ウエーブし少し栗色がかった髪も鮮やかな
彼女も水着を買いに来たのだろう。
選んだ花柄の水着を胸の前に左手でかかえ、右手には肩からおろしたサブバッグを持ち、レジに並ぼうとしている。
「誰かと…一緒?」
探るように話しかけながら、ときおり視線は何かを探すように宙を彷徨う。
そりゃそうだろう。
女の水着売り場に男1人のはずはないから、花家でなくても同じことをするだろう。
でも、彼女は涼子には気付いていないのだろうか。
花家は地元・美咲の元町中学出身で、家は国道沿いのガソリンスタンドだ。
連休で忙しいときなど、何度か頼まれてバイトをしたことがある。
クラスで東城たちと話をしていたとき、「金がねえなあ」などと言ったのを、たまたま通りがかった彼女が聞いて、後から俺だけに声をかけてくれたのだった。
「少なくてごめんね」と、両親に代わって申し訳なさそうに言う彼女の気遣いが好きだ。
別に恋愛感情ではないが、いつものセーラー服姿ではない、地の彼女と接する時間を持つことが、俺的には友達以上に感じられたのだ。
クラスでも気を遣い、俺がたまにバイトに入ることを彼女は口に出さなかった。
こういう公私を分ける、一歩引いた姿勢が気に入っていた。
彼女はどう思っているのか知らないけれど。
「誰かと一緒よね?」
探すのを諦めたのか、花家が再び同じことを問い掛けてきた。
別に寂しそうとか、非難するとか、そういうふうではない。
ごく普通の質問だ。
「う、うん。ちょっと…な」
「選んであげたの?」
いたずらっぽく笑う。
何となくだが、しかし、すごく残念な気がする。
もう、バイトに声かからないかな…
そんなことを考えたその瞬間、
「お待たせ! じゃあ行きましょ。ああ、花家さん! わたしたち急ぐんで」
涼子は俺と花家が一緒にいることを許さないとばかり、左腕を俺の右腕に絡ませるとぐいと引っ張って売り場を後にした。
「さ、さようなら」
咄嗟に出た花家の声は涼子に向けられたのか、俺に向けられたのか、それとも2人に向けられたのか。
あっけに取られたような彼女の姿が小さくなってゆく。
抵抗できぬまま、俺は涼子に犬のように引っ張られ、ファッションビルを出た。