第39話:恋敵の下級生・6
文字数 6,022文字
ちょっと困惑気味だが、ふっと目を逸す瞬間、どことなく笑顔にも見えるかすみの表情。
告白されたとの言葉を聞き、後頭部にガツンという衝撃を受けた。
食事の片付けが済んだ俺は部屋に戻り、あれこれ考えた末かすみにメッセを送り、今こうして会っている。
時間は9時を少しだけ回ったところ。
夜ということもあり、場所はかすみの家からも見える、猫の額ほどの小さな公園。
河合という男を目の当たりにし、美砂からも僅かな情報を得たとはいえ、肝心のかすみの気持ちは、そして、河合とかすみとはどういう関係なのかはさっぱり分からず、考えるほどに居ても立ってもいられなくなった俺は、無理して時間を作ってもらったのだ。
言葉が継げない。
何て反応すればいいのか。
「でも、断ったのよ」と、かすみが続けてくれればどんなに嬉しいことか。
しかし、期待する台詞は聞けず、気まずい沈黙が続く。
頭の中ではぐるぐると、河合とかすみが神社に入っていった、あのシーンがリプレーされている。
さらには、手を握られ、あるいは抱き合ったり、果てはキスされたりと、見てもいない逢瀬の妄想が膨らんでゆき、嫉妬に狂いそうだ。
俺はかすみが好きだ。
かすみも俺のことが好きなはずだと思っていたから、わざわざ告白する必要なんてないと信じていた。
あまりの安心感に、幼稚園以来、手すら握ったこともない。
それが、昨日や今日沸いて出た下級生ごときに、かすみを盗られてしまうのか。
今ここで、「俺だってかすみが好きなんだ」と言ってしまえばいいんだろうか。
だが、河合が告ったから慌てて言っていると思われてしまわないか。
今まで手も握ったことなかったのに、今頃何? と思われてしまわないか。
考えは、悪い方にしか向かわず、喉のところまで出てきているにもかかわらず、言葉を搾り出す勇気が足りていない。
しかし、今言わなければ絶対後悔する。
今言わなければ、もうチャンスはない。
今言わなければ、明日にはもっとかすみが遠くなってしまう。
それだけは、理解できる。
それこそ、当たって砕けろ、なのか。
言わずに後悔するぐらいなら、言って後悔した方が、まだいいのだろうか。
いや、きっとそうに違いない。
もういい。
とにかく「好きだ」と言っちまおう。
そうすれば、少なくとも俺は楽になれる。
かすみは困るだろうか。
いや、困ったっていい。
俺だってこんなに苦しんだんだ。
俺だけがこんなに苦しむのは不公平だ。
かすみだって、俺のことに心を砕いてくれたっていいはずだ。
知らない奴が今の俺の心を覗き見たならば、なんて自己中心的な男だと呆れるだろう。
そんなものはどうでもいい。
はっきり言います。かすみを困らせてやると。
それで河合を追っ払い、再びかすみとの日々を取り戻すことに繋がるならお安いご用じゃないか!
こうなればヤケだ。
後のことは、そのとき考えればいいんだ。
俺は突然スイッチが入ったのか、一歩前に進み出ると、上ずった声で半ば叫んでしまった。
「お、俺と結婚しないか!」
は?
け、結婚?
ワンワンと、どこか近くで犬が吠えている。
結婚って、い、いや、そうなったら俺だって、う、嬉しいに決まってる…けど
あー、なんつうか、俺は「好き」とは言おうと思ってたんだが、けっ、結婚なんて言葉、どど、どこから湧き出してきたんだ。
失敗した!
かあーっと、顔が熱くなってきたのが分かる。
アニメとかで肌色の顔がピンク色に染まっていく、まさにあのシーン。
今、体温計を挟んだら間違いなくメーター振り切ってる。
かすみの顔なんて、とてもじゃないが恐ろしくて確認できない。
俺は大慌てで自転車に飛び乗ると、夜の公園にかすみ一人をを取り残し、猛スピードで逃げ散った。
◇
<翌日>
◇
結局、かすみに告白するどころか、一気に結婚してくれなんて言葉を吐いてしまった俺。
河合に言い寄られたことで触発され、思わず出てしまった言葉なのか、それとも、もともと持っていた気持ちがほとばしったのか、あるいは、その両方なのか。
まだ先の長い人生。
そもそも、誰かと結婚することになるのかどうかすら分からないのに。
だが、かすみに河合以上のインパクトを与えたことだけは確かで、教室で顔を合わせたときも、目を合わそうとせず頬を赤く染め、俯いていた。
あれがもし彼女の気に食わないことだったのなら、このような態度はとらないだろう。
作戦は的中だ。
とにかく俺は何となく優位に立ったっぽい。
あとは、河合本人をどう料理すべきなのか。
勢いも乗ってきたことだから一発かましてやりたい気分ではあるが、東城と美砂の件じゃあるまいに、暴力でねじ伏せるわけにもいくまい。
毎日地道にかすみを誘って帰る、そして河合に見せつけ分からせる、時間はかかるかもしれないが、できるのはそれしかないだろう。
かすみに「今日も一緒に帰ろう」とメッセを送る。
ややあってOKの返事が届いた。
よっしゃ!
確信する。俺は河合に勝ったのだと。
返事には「恥ずかしいこと言わないと約束してくれる?」とも書いてあった。
へへ。完全勝利目前だな。
◇
◇
◇
こうして数日。
河合が教室ドアのところでかすみを待ち伏せることもなくなった、ある放課後。
かすみとの待ち合わせで部室棟に向かうため靴箱をあけたところ、中に封筒が入っているのに気付いた。
よもやラブレターなどということはなく、それは河合からのメッセージだった。
「きょうの部活後、校庭端の焼却炉のところでお待ちしています」と書いてある。
俺はかすみとこの後すぐ待ち合わせだ。
焼却炉は以前、鶯谷にスク水を拾ったところを見つかった、あまり印象としては良くない場所。
無視してもよかったが、河合と決着をつけるときが来たのだと思い、かすみには野暮用で遅れると伝え、向かうことにした。
◇ ◇ ◇
河合は先に来て待っていた。
この前ファミレスで妙にきびきびとした動きを見せていたときとは打って変わり、どこか落ち着かない。
ここ数日はずっと俺がかすみと帰っていることもあるし、かすみからも、それなりのことは伝えられているんだろうから当然だ。
じわじわと効果を発揮しているようだ。
こりゃ、始まる前から勝ったに等しいな。
河合よ、お前は既に死んでいる、ってやつかw
だが「山葉先輩は一ノ瀬先輩と付き合ってるんですか」などと気弱になって、当たり前のことを手始めに聞いてくるのではないかという俺の予想は、真っ向から覆された。
「体育館裏で女生徒を襲いましたよね」
いきなりのひと言だった。
あの体育館裏での一件は確かに出来事としてはあったが、あれは冤罪だったということは証明されている。
いまさら何を言いやがる。
そんなことで俺を脅したつもりになっているのか。ばからしい。
俺は直ちに反論したが、河合は引かなかった。
「疑いを掛けられる行為をした時点で、その人間はアウトです。たとえ無実だといわれても、黒が灰色に変わっただけに過ぎません」
あくまでそうくるか。
何か言い返そうかとも思うが、実は河合の弱点など何も知らないことに気付く。
その上、
「それに、紅村さんって人でしたっけ。その人と一ノ瀬先輩と二股かけてるなんて最低ですね。まともな人間のやることじゃあありません」
などと、なおも畳み掛けてくる。
「あ、あれは違う」
思わず狼狽した声を上げてしまう。
この野郎、どうしてそんなこと知ってやがる。
涼子でも
「どう違うんですか? 慌てた声を出して」
「あれはあの女が勘違いしているだけだ」
「勘違いするようなことを、言ったりやったりしたんですよね」
「何だと!」
「そして、同じことを、人のいい一ノ瀬先輩にもしたんだ、あなたは。ほんとうに卑怯者ですね」
いかん、こいつの調子の良さは知っている。
このままではペースにはめられてしまう。
「あなたには一ノ瀬先輩と付き合う資格なんてありません」
「知ったようなことを言うんじゃねー」
「それに、バレー部員の着替えを覗いたっていうじゃありませんか。卑怯者のうえに変態ですか」
「てめーな!」
「てめーとか、何だとじゃなく、ちゃんと反論してくださいよ。語彙の少ない人ですね」
「お前な、誰に聞いたんだ、そんなこと」
「そんなこと、ですか。ふっ。ぼくのクラスにはバレー部の子が何人かいるんですけどね。彼女らがウソをついているとでも? 少なくとも、あなたなんかよりは、はるかに信用できる子たちですよ」
ずいぶん前、御山の着替えを覗いたのは確かだ。
しかし今の1年生が入学する前の話で、まさかこんなところで持ち出されるとは。
かすみもこのことは知っている。
間違えて部室棟に迷い込んで覗いてしまったということはちゃんと説明し、彼女も理解してくれている。
黙っているのが嫌だったから、俺の方からわざわざ、恥を忍んで伝えたのだ。
彼女以外で、このことを知っているのは当事者の御山とバレー部員を除けば、他にはほとんどいないはずだ。
バレー部員は更衣室に男子の侵入を易々と許したということが外部に漏れるのが拙いと判断したため、他言無用で引き締めたと聞く。
そのため不幸中の幸いで、俺はクラスでも何食わぬ顔で普通にやってこれているのは事実だ。
なにしろ、あの東城や春菜だって、このことを知らない。
それなのにバレー部員の奴ら、河合にぺらぺらしゃべりやがって許せねー。
「先輩、脇が甘いんですよ。好きな女の子がいるのに、他の女の子の着替えを覗いたり、襲ったりしますか、ふつう?」
「だからな、全部説明してやる」
「聞きたくありませんね。どうせ自分に都合のいい解釈を並べ立てるだけでしょ。時間の無駄です。あーあ、もうちょっとマシなことが聞けるかと思っていたのに、買いかぶりすぎでした」
会う直前までは勝っていると思っていた俺は、完全に劣勢だ。
河合の落ち着かなかった様子は見せ掛けだったのか、勝ち誇った表情で見下している。
「妹さんがいますよね」
「それがどうした」
「ぼくと同じクラスなんですが」
そんなこと言われなくても分かってる。
「覗いたこと、妹さんはご存知なんでしょうか?」
「!」
そんなこと、美砂は知ってるはずはない。
事件は俺が1年、つまり美砂が入学する前に起きたことだし、そもそも美砂には何の責任もない。
もしそんなことで美砂が傷つくようなことになれば…
「以前、クラスのバレー部の子が妹さんに、学校にお兄さんがいるか? って聞いていたんですよ」
「…」
「ぼくは咄嗟に拙いと思ったんで、そのバレー部の子をさりげなく呼んで、美砂さんには責任のないことだから、お兄さんの恥ずかしい話は言っちゃだめだよって伝えたんですけどね」
「…」
「そんな犯罪行為がクラス中に知られたら、妹さん『変態兄のいる妹』って烙印押されますよね。やっていけるんですか、卒業まで?」
くそっ、こいつの言うとおりじゃないか。
俺は脇が甘すぎたんだ。
涼子のことを河合がどう言おうが、そんなもんはどうでもいい。
だが、美砂のことを、まるで人質のように…
「そんな人に、一ノ瀬先輩を渡すわけにはいきません。あの人にとっても不幸です。あの人の人生の汚点になります」
ほとんど何も言い返せず、俺は怒りで一歩前に進み出た。
「殴るんですか? それで気が済むのでしたら、好きにしてください。でも、あそこで女の子が見てますよ」
河合の視線の先を見ると、離れた場所ではあるが、確かにそこには女生徒が2人、こちらの方を窺っている。
雰囲気的に3年生かもしれない。
もし俺が河合に手を上げようものなら、今度こそ完全にアウトだろう。
女子、特に上級生に人気があるといわれる河合を殴ったとあれば、100対0で俺が悪いと通報される。
どうしてこんなことになった。
なぜ下級生ふぜいに俺が脅されなきゃならんのだ。
このままでは卒業までいびられ続け、せっかく告白したっていうのに、かすみとだって上手くいくはずはない。
ちっくしょう!
惨めだ。俺はなんて惨めなんだ。
「まあ、今回は引いてもいいですけどね」
「…」
「そんな変態のお古なんて、ははは、まっぴらゴメンですからね」
俺は一気に沸騰した。
俺のことをどう言おうとかまわんが、美砂のことを持ち出して脅し、あまつさえ、かすみのことを侮辱しやがったんだ、こいつは!
一度でも好きになった相手のことを、言うに事欠いて、許さん。
俺は拳を握り締めた。
もうどうなってもいい。
かすみと、美砂のため、俺はこいつを屠ってやる!
「そこまでだ」
突然、背後から聞き覚えのある女の声がした。
この前と同じ、木の上から着地したのは鶯谷だった。
俺は前にも経験しているのでさほど驚きはなかったが、当然初めてのことだったのだろう、河合は突然の
鶯谷はいい獲物でも見つけたかのように、ニヤニヤして腕を組んだままだ。
しばらくは俺たち2人を交互に見やっていたが、黙って首を左右に傾けポキポキ鳴らすと河合の方に近付き、ぽんと肩に手を掛けた。
「おい、河合の坊ちゃん」
ドスの利いた声だ。
河合は硬直して何も言えない。
それを見て鶯谷は続ける。
「脇が甘いのはお前もじゃねーのか?」
「な、何のことですか」
「犯罪行為だの変態だの卑怯者だの、まあ、言ってることはあながち間違っちゃあいないけどな」
「だから何なんですか」
「とぼけんなよ。犯罪者って言うんなら、お前も同じ穴のムジナだ。駅前の本屋から黙って持ち出したのは何冊だ?」
「変なこと言わないでください」
「ほう、そうかい」
鶯谷はスマホを取り出すと、ゆっくりと河合の方に画面を向けた。
俺からは何が写っているのか見えないが、河合の表情がみるみる青ざめていくことから、すぐに悟った。
あの鶯谷だ。よほど決定的なシーンだったのだろう。
「俗に言う、警察沙汰ってやつか、ひょっとして?」
「何が目的なんですか」
「はあ?」
「あなたのやってることは脅迫ですよ」
「あ~あ、なんか指の調子が変だな。誤送信しちまいそうだ」
「お、お金なら出します!」
大慌てでポケットに手を突っ込み、カネを捜す河合。
鶯谷は「ふっ」と鼻で笑うと、とてもゆっくりした動作でスマホをポケットにしまった。
そのまま奴の方を品定めするように、つま先から顔まで眺め回し、
「なめんな!」
次の瞬間、蹴り上げた鶯谷の右足が奴の股間を直撃した。
ぎゃっと叫んで昏倒する河合。
遠くから見ていたさっきの女生徒も、相手が鶯谷だと分かったのか、とっくの昔に逃げていなくなっている。
呻き声を上げ、まるで地を這う虫のように、のた打ち回る河合。
俺も、あまりの迫力に指一本動かせないまま一部始終を眺めているしかなかった。
鶯谷、次は何をする気だ。
だいたい鶯谷がなぜ河合を襲ったのか分からない。
何か機嫌の悪いことでもあったのか。
まさか、俺も殺られるのか、ここで?
「部室棟前で一ノ瀬が待ってたぞ」
だが、鶯谷はそれだけ言うと、ふあ~っと