第15話 花束
文字数 1,253文字
途中で公園でのクラシックコンサートに寄り道してから、ブルーレディに二人がたどり着いた時は五時近くになっていた。
まずは支配人室で歌手としての契約。それからすぐに着替えとメイクに取りかかる。今日の衣装はトランクの底に入れてきたローズ色のイブニングドレスだ。
街が黄昏色に染まる頃、店は開き、今日も客席は盛況だった。唯音は悠哉たちのバンドと共に、客のリクエストに応えたりしながらスタンダードナンバーを歌っていく。
彼が姿を見せたのは最終ステージが終わって、ほどなくしてだった。
「唯音さん、お客ですよ」
ウエイターにドアを叩かれ、急いで楽屋から出た唯音は、そこに大きな花束を持って立っている男──リュウを見いだした。スーツ姿で、ネクタイをやや無造作に結んでいる。
「あなたは……」
眼をぱちぱちさせる唯音に、彼は挨拶もなしに花束を無造作に突き出した。
「……これを。昨夜、だめになった花の代わりだ」
真紅のばらの花束。彼が言っているのは、昨晩男たちに引きちぎられた、髪に飾ってあった花のことらしい。
思いがけない贈り物に、唯音は花に顔を埋めるようにして微笑んだ。
「素敵な花束ね。どうもありがとう。それに昨日も」
「ケガはなかったか?」
「ええ、あなたのおかげよ」
彼が口もとだけ動かして笑み、花束から一輪手折って彼女の髪にさす。
「もう今日はステージは終わりだろう?」
花束をかかえたまま彼女がうなずくと、彼はさらりと誘いを口にした。
「フランス租界にいい歌い手がいるナイトクラブがあるんだ。行ってみないか」
「あなたと?」
「ああ。君は歌手だろう? よその一流クラブを見ておくのは勉強になると思うが」
そう言いながら彼女の手を取る。
「……強引ね」
けれど決して不快ではない。とまどい。どうして、というかすかな疑問。そして嬉しさ。
「あ、でも待って。着替えていかないと」
「そのままでいい。とても綺麗だ」
唯音の頬がばら色に染まり、彼女はこくりと首を縦に振った。
「わかったわ。コートを取ってくるわ」
──わたし、少し変ね。
楽屋に戻り、鏡の中の自分を見つめ、ほうっと吐息する。
──はすっぱな娘みたいだわ。なぜ、わたしは昨日会ったばかりの男 の誘いにのってナイトクラブなんて行こうとしているのかしら。
考えてみても答えは見つからなかった。これも、万華鏡のようなこの街が見せる魔法なのかもしれない。自分でもよくわからない気持ちのまま、唯音はコートをはおり、バッグと花束を持って再び廊下に出た。
が、共に歩き出そうとして、唯音は、はっと口もとに手を当てた。
「あなたと帰るって悠哉さんに言っておかなくちゃ。でないと心配するわ」
悠哉はバンドマンたちの楽屋にいた。唯音がドアを叩くと真っ先に姿を見せ、二人の姿に眼をまるくした。
「唯ちゃん、それにリュウじゃないか。どうしたんだい」
「これ、いただいたのよ」
はしゃいだ表情でばらの花束を示してみせる。
「そいつは綺麗だ。珍しいな、君が女性に花を贈るなんて」
たまにはね、とリュウがうっすら笑う。

まずは支配人室で歌手としての契約。それからすぐに着替えとメイクに取りかかる。今日の衣装はトランクの底に入れてきたローズ色のイブニングドレスだ。
街が黄昏色に染まる頃、店は開き、今日も客席は盛況だった。唯音は悠哉たちのバンドと共に、客のリクエストに応えたりしながらスタンダードナンバーを歌っていく。
彼が姿を見せたのは最終ステージが終わって、ほどなくしてだった。
「唯音さん、お客ですよ」
ウエイターにドアを叩かれ、急いで楽屋から出た唯音は、そこに大きな花束を持って立っている男──リュウを見いだした。スーツ姿で、ネクタイをやや無造作に結んでいる。
「あなたは……」
眼をぱちぱちさせる唯音に、彼は挨拶もなしに花束を無造作に突き出した。
「……これを。昨夜、だめになった花の代わりだ」
真紅のばらの花束。彼が言っているのは、昨晩男たちに引きちぎられた、髪に飾ってあった花のことらしい。
思いがけない贈り物に、唯音は花に顔を埋めるようにして微笑んだ。
「素敵な花束ね。どうもありがとう。それに昨日も」
「ケガはなかったか?」
「ええ、あなたのおかげよ」
彼が口もとだけ動かして笑み、花束から一輪手折って彼女の髪にさす。
「もう今日はステージは終わりだろう?」
花束をかかえたまま彼女がうなずくと、彼はさらりと誘いを口にした。
「フランス租界にいい歌い手がいるナイトクラブがあるんだ。行ってみないか」
「あなたと?」
「ああ。君は歌手だろう? よその一流クラブを見ておくのは勉強になると思うが」
そう言いながら彼女の手を取る。
「……強引ね」
けれど決して不快ではない。とまどい。どうして、というかすかな疑問。そして嬉しさ。
「あ、でも待って。着替えていかないと」
「そのままでいい。とても綺麗だ」
唯音の頬がばら色に染まり、彼女はこくりと首を縦に振った。
「わかったわ。コートを取ってくるわ」
──わたし、少し変ね。
楽屋に戻り、鏡の中の自分を見つめ、ほうっと吐息する。
──はすっぱな娘みたいだわ。なぜ、わたしは昨日会ったばかりの
考えてみても答えは見つからなかった。これも、万華鏡のようなこの街が見せる魔法なのかもしれない。自分でもよくわからない気持ちのまま、唯音はコートをはおり、バッグと花束を持って再び廊下に出た。
が、共に歩き出そうとして、唯音は、はっと口もとに手を当てた。
「あなたと帰るって悠哉さんに言っておかなくちゃ。でないと心配するわ」
悠哉はバンドマンたちの楽屋にいた。唯音がドアを叩くと真っ先に姿を見せ、二人の姿に眼をまるくした。
「唯ちゃん、それにリュウじゃないか。どうしたんだい」
「これ、いただいたのよ」
はしゃいだ表情でばらの花束を示してみせる。
「そいつは綺麗だ。珍しいな、君が女性に花を贈るなんて」
たまにはね、とリュウがうっすら笑う。
