第74話 とどまる理由
文字数 541文字
唯音はもう一度、自分自身に確認するようにつぶやいた。
「わたし、どこにも行かない。上海にいるわ。この街で働いて自分の力で暮らしていくわ」
「上海にとどまる理由は本当にそれだけかい?」
「え?」
唐突な問いかけに、唯音はまばたきする。
「どういう意味?」
「いや……何でもない」
悠哉が視線をそらし、黙りこむ。彼女もまた眼をそらし、通りにそびえる石造りのビルに視線を向けた。
悠哉の言いたいことはわかっていた。
今も強い力で、自分をこの街につなぎとめるもの。
正直なところ、自分でもよくわからなかった。
彼との恋は終わったはずなのに、どうしてこんなに胸がうずくのだろう。
今さら、どうにもならないというのに。
リュウの消息は一切わからなかった。自分のために仲間を裏切ってしまった彼は、かつての同志に追われ、もうこの街にはいないだろう。
──忘れるわ。せめて忘れたふりをするわ。
はらはらと舞い落ちるアカシアの花びらを手のひらに受けながら、唯音は自分に言い聞かせた。
だが、人々のささやかな愛や葛藤を飲みこんで、二つの国の状況は悪化の一途をたどっていた。
日本の支配と、それに対する抵抗。中国人の独立を求める声は日ごとに激しさを増し、日本軍は力で押さえこもうとする。
衝突は、時間の問題だった。
「わたし、どこにも行かない。上海にいるわ。この街で働いて自分の力で暮らしていくわ」
「上海にとどまる理由は本当にそれだけかい?」
「え?」
唐突な問いかけに、唯音はまばたきする。
「どういう意味?」
「いや……何でもない」
悠哉が視線をそらし、黙りこむ。彼女もまた眼をそらし、通りにそびえる石造りのビルに視線を向けた。
悠哉の言いたいことはわかっていた。
今も強い力で、自分をこの街につなぎとめるもの。
正直なところ、自分でもよくわからなかった。
彼との恋は終わったはずなのに、どうしてこんなに胸がうずくのだろう。
今さら、どうにもならないというのに。
リュウの消息は一切わからなかった。自分のために仲間を裏切ってしまった彼は、かつての同志に追われ、もうこの街にはいないだろう。
──忘れるわ。せめて忘れたふりをするわ。
はらはらと舞い落ちるアカシアの花びらを手のひらに受けながら、唯音は自分に言い聞かせた。
だが、人々のささやかな愛や葛藤を飲みこんで、二つの国の状況は悪化の一途をたどっていた。
日本の支配と、それに対する抵抗。中国人の独立を求める声は日ごとに激しさを増し、日本軍は力で押さえこもうとする。
衝突は、時間の問題だった。