第47話 帰宅

文字数 735文字

 虹口(ホンキュウ)地区の静かな住宅街。その一角にある西洋風の屋敷の前で一台の車が止まり、ドアが開いた。中から降りてきたのは貴堂大佐と唯音、家は大佐の自宅だった。
 先に車を降り、唯音は大佐に向かって手を差し出した。
「おじさま、大丈夫?」
 ああ、と大佐が苦笑する。
「唯音に手を引いてもらわなくても歩けるさ」
「でも、やっと退院できたばかりですもの、無理なさらないで」
「そうだな。気遣いを感謝するよ」
 車を運転してきた部下に礼を述べると、大佐は久しぶりに自宅の玄関先に立った。
 あの狙撃事件から、ひと月あまり。
 相変わらず上海の状況は不穏だったが、大佐の回復は順調だった。ようやく退院許可が下り、唯音に付き添われて家に戻ってきたところだ。
 とはいえ撃たれた右肩はまだ自由には動かせず、当分は不便を忍ばねばならない。
 玄関の呼び鈴を鳴らすと、待ち構えていたように手伝いの女性が扉を開けてくれた。四十半ばの近郊の村の出身だ。
 彼女は大佐を見ると、顔中くしゃくしゃにして笑いかけた。
「だんなさま、もういいのか?」
「大丈夫だ。シュウレイにも心配をかけたな」
「だんなさまみたいないい人を撃つなんて、犯人は悪い奴だ」
 彼女はもらっている給金以上に自分の雇い主が好きらしく、心底憤慨している。
「さあ、早く中に入って。だんなさまがいた時のままにしてあるよ」
 弾んだ声に迎えられ、二人は玄関から応接間に入った。久しぶりの我家で、大佐がゆったりとソファに腰を降ろす。
「シュウレイ、すまないがお茶を持ってきてくれるかね」
 おお、と何度もうなずいて彼女は台所に行き、しばらくしてジャスミン茶とヒマワリの種を持って戻ってきた。
「ありがとう」
 大佐と唯音がお礼を言うと、また顔中くしゃくしゃにして笑い、引っ込んでいく。

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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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