第34話 病院
文字数 1,230文字
今しがた来たばかりのブルーレディの裏口から出て、南京路でタクシーを拾う。唯音が乗り込むと、悠哉は運転手に向かって虹口地区の病院の名を告げた。
「唯ちゃん、大丈夫かい?」
蒼白な唯音を悠哉が心配げにのぞきこむ。うつむいていた唯音はゆっくりと顔を上げ、自分に言い聞かせるように、
「大丈夫よ。この上海でおじさまの身内はわたしたちだけですものね。しっかりしなくちゃ……」
タクシーの窓の外は、路面電車や車が慌ただしく行き交っている。車はひっきりなしにクラクションを鳴らし、人々はひょいと器用によけながら通りを渡っていく。
活気と喧騒に満ちた街は、いつもの通りなのに……。
上海の状況が不穏だということは、わかっていたつもりだった。でも、自分の大切な人たちが巻き込まれるなどとは、考えてもみなかったのだ。
十分ほどして虹口地区の病院に到着すると、タクシーを降り、二人は正面玄関に急いだ。病院も厳重な警備が敷かれ、入り口で兵士が二人を呼び止める。
「待て。名は? 用事は?」
「貴堂唯音と申します。貴堂大佐の姪です。こちらは親戚にあたる中原悠哉さん。おじが怪我をしたと連絡をうけてきたのですが」
彼女の話を聞くと、兵士の横柄な態度が一変した。大佐の身内というのが効いたらしい。
「それは失礼しました。今、確認を取りますので少々お待ちください」
足止めをくらい、唯音は唇を噛んだ。一刻も早く病室に駆けつけたいのに!
と、病院のロビーに士官らしい男性が姿を現し、二人に声をかけた。
「ああ、これは貴堂のお嬢さん」
自分を知っているらしいもの言いに、唯音はその軍人を見つめた。
「……鬼城 中佐さん?」
「ええ。お久しぶりですね」
鬼城中佐はおじの親しい友人で、唯音も以前に何度か本国で会ったことがあった。軍人とは思えない、穏やかな紳士だ。
「貴堂大佐に面会に来られたのでしょう? どうぞお通りください」
そう告げて中へと招き入れてくれる。
「あの、おじはどんな具合ですの?」
「生命に別状はないと医者も言っています。ただ、銃弾が右肩を貫通しています。治っても後遺症が残るかもしれない、とのことです」
「……」
「病室まで私がご案内しましょう」
警備の兵士たちの敬礼の中、二人は中佐の後について病院の長い廊下を歩いていく。
「それで、狙撃犯人は捕まったんですか」
問いかける悠哉に中佐は眉根を寄せ、かぶりを振った。
「今、軍が全力をあげて捜査していますが、残念ながらまだ捕まっていません。反日分子の仕業と思われます。今、この街では軍や警察の取り締まりにもかかわらず、日本や列強諸国への抵抗活動が続いていますからね」
軍人らしく、冷徹に状況を説明してくれる。
「さあ、こちらです」
奥まった一室のドアを指し示す。
「眠っておられるかもしれません。もし起きておられても、あまり長くお話はされないように」
「どうもありがとうございました」
丁寧に頭を下げる唯音と悠哉に、穏やかな笑顔を見せて中佐は廊下を引き返していく。
「唯ちゃん、大丈夫かい?」
蒼白な唯音を悠哉が心配げにのぞきこむ。うつむいていた唯音はゆっくりと顔を上げ、自分に言い聞かせるように、
「大丈夫よ。この上海でおじさまの身内はわたしたちだけですものね。しっかりしなくちゃ……」
タクシーの窓の外は、路面電車や車が慌ただしく行き交っている。車はひっきりなしにクラクションを鳴らし、人々はひょいと器用によけながら通りを渡っていく。
活気と喧騒に満ちた街は、いつもの通りなのに……。
上海の状況が不穏だということは、わかっていたつもりだった。でも、自分の大切な人たちが巻き込まれるなどとは、考えてもみなかったのだ。
十分ほどして虹口地区の病院に到着すると、タクシーを降り、二人は正面玄関に急いだ。病院も厳重な警備が敷かれ、入り口で兵士が二人を呼び止める。
「待て。名は? 用事は?」
「貴堂唯音と申します。貴堂大佐の姪です。こちらは親戚にあたる中原悠哉さん。おじが怪我をしたと連絡をうけてきたのですが」
彼女の話を聞くと、兵士の横柄な態度が一変した。大佐の身内というのが効いたらしい。
「それは失礼しました。今、確認を取りますので少々お待ちください」
足止めをくらい、唯音は唇を噛んだ。一刻も早く病室に駆けつけたいのに!
と、病院のロビーに士官らしい男性が姿を現し、二人に声をかけた。
「ああ、これは貴堂のお嬢さん」
自分を知っているらしいもの言いに、唯音はその軍人を見つめた。
「……
「ええ。お久しぶりですね」
鬼城中佐はおじの親しい友人で、唯音も以前に何度か本国で会ったことがあった。軍人とは思えない、穏やかな紳士だ。
「貴堂大佐に面会に来られたのでしょう? どうぞお通りください」
そう告げて中へと招き入れてくれる。
「あの、おじはどんな具合ですの?」
「生命に別状はないと医者も言っています。ただ、銃弾が右肩を貫通しています。治っても後遺症が残るかもしれない、とのことです」
「……」
「病室まで私がご案内しましょう」
警備の兵士たちの敬礼の中、二人は中佐の後について病院の長い廊下を歩いていく。
「それで、狙撃犯人は捕まったんですか」
問いかける悠哉に中佐は眉根を寄せ、かぶりを振った。
「今、軍が全力をあげて捜査していますが、残念ながらまだ捕まっていません。反日分子の仕業と思われます。今、この街では軍や警察の取り締まりにもかかわらず、日本や列強諸国への抵抗活動が続いていますからね」
軍人らしく、冷徹に状況を説明してくれる。
「さあ、こちらです」
奥まった一室のドアを指し示す。
「眠っておられるかもしれません。もし起きておられても、あまり長くお話はされないように」
「どうもありがとうございました」
丁寧に頭を下げる唯音と悠哉に、穏やかな笑顔を見せて中佐は廊下を引き返していく。