第33話 知らせ

文字数 879文字

 リーリが彼に想いを寄せていることはわかっていた。だが、彼もそうだったのだろうか。
「でも、もし恋人だったとしても、それは昔の話でしょう?」
 遠慮がちな、しかしもっともな反論に、リーリの頬がかっと赤く染まった。憎しみに瞳がきらめている。
「今は自分ひとりが愛されてるつもり? 大した自信ね」
「わたし、そんなつもりじゃ……」
「でもね、いい気になってるのも今のうちよ。あの人は、あなたみたいなお嬢さんの手に負える男じゃないわ。あなたなんか利用されてるだけよ!」「……どういう意味?」
 不審そうに問い返す唯音に、リーリがはっとして口もとを押さえた。
「わたしが利用されているって、あなたは何か知ってるの?」
「知りたけりゃ本人に訊いてみるのね」
 彫りの深い美しい顔に嘲笑の色が浮かぶ。
「リーリ、あなたは何を知ってるの!?」
 真っ向から二人の娘が睨みあった時だ。楽屋のドアを大きく叩く音がした。
「はい?」
 誰だろう。訝しく思いながら返事をすると。
「唯ちゃん、いるかい!?」
 ひどくあわてた悠哉の声がして、唯音は急いでドアを開けた。
「よかった、ここにいてくれて」
走ってきたらしく、悠哉は息を弾ませている。
「悠哉さん、どうしたの?」
「いいかい、落ち着いて聞いてくれ。貴堂大佐が狙撃されたんだ」
「おじさまが!?」
 悠哉のもたらした知らせに、唯音は愕然として眼を見開いた。
 店に来る途中で見た、物々しい兵士の姿。あれは、そのせいだったのだ。
「自宅から陸戦隊本部に向かったところで事件にあったらしい。今しがた、店に連絡が入ったんだ」
「それで具合はどうなの!?」
 言いづらそうに悠哉が一瞬、言葉を詰まらせる。
「まさか……」
「いや、命に別状はないらしい。だが重傷だそうだ」
「そんな……」
 両手を握り、唯音はうめくような声を出した。
「支配人には事情を話して休みをもらった。とにかくすぐに病院に行こう。その格好のままでいいね?」
 まだ舞台衣装に着替えていなかった唯音は悠哉にせかされ、バッグを持って楽屋を出た。
 ひとり楽屋に残ったリーリは無言で、底光りのする眼をして二人の姿を見つめていた。

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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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