第59話 脅迫

文字数 558文字

 黙りこむ大佐を声がうながす。
「いかがです? 彼らを釈放してもらえれば、姪御さんは無事にお返しします」
「しかし……」
「彼らを捕えたのは憲兵隊です。軍の実力者であるあなたなら、手を回して内密に釈放するくらいできるでしょう。その要求が受け入れられなければ、姪御さんの安全は保証できません」
 丁重な口調での脅迫だった。大佐は再び沈黙し、ややあって口を開いた。
「時間をくれないか。私の一存ではすぐに返答はできない」
 いいですよ、と声が応じる。
「待ちましょう。三時間後にまた連絡します。それまでに返事を考えておいてください」
「承知した」
「では、三時間後に」
「待ってくれ! 唯音は本当に無事なんだろうな!?」
「保証します。後はあなたの返答次第です」
「唯音には手を出すな! あの()は何も関係ないんだ」
「我々としても、ぜひ姪御さんを無事にお返ししたいと願っています。それと……」
 念を押すように低く声が続ける。
「軍の出動は無用です。釈放は極秘に行っていただきたい。もし軍が介入すれば、姪御さんの命は保証できません」
 ぎりっと唇を噛むと、了解した、と大佐は答えた。今は屈辱に耐えるしかなかった。
「それでは、よい返事を期待していますよ」
「無事を確認したい。唯音の声を……」
 必死に呼びかける大佐にはおかまいなしに、ふつりと電話は切れた。

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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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