第83話 空爆

文字数 537文字

 どのくらい気を失っていただろうか。
 爆音と振動で、唯音は眼を覚ました。
 耳をつんざくような音がして、窓ガラスがぴりぴりと揺れている。
 いったい何が起きたのか。ゆっくりと体を起こし、ふらつく足取りで窓際へと歩いて行った唯音はそこで見た光景に息を呑んだ。
 市内に戦闘機が飛来していて──この街で最も安全と思われてきた共同租界が爆撃を受け、炎上していたのだ。
 南京路が港に突き当たる角のホテルが無残に破壊され、もうもうと黒煙を噴き上げている。
「そんな……」
 眼前に広がる光景が信じられず、何度も首を横に振る。
 ──みんなは……。
 黒煙が上げる場所からは離れているものの、ブルーレディも共同租界にあるのだ。
 ブルーレディは……安全だと信じて避難したみんなは……。
 窓に額を押し当て、唯音は炎上する街を食い入るように見つめていた。

 同時刻、虹口地区に入っていたリュウもまた、茫然と煙を上げる街を見つめていた。
 ──バカな! 空軍は気でも違ったのか !?
 市内にはまだ大勢の市民がいるはずだ。同胞まで殺す気か !?
 やり場のない怒りに、彼は拳で壁を叩いた。
 ──唯音……。
 彼女の笑顔が脳裏に浮かび、うつむいていた彼は顔を上げた。
 今はせめて、彼女の安否だけでも確かめておきたかった。

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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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