第22話 ピアノバー
文字数 1,237文字
一行は南京路を横切り、港の方角へと歩き出した。ピアノバー、ビリーは大通りをひとつ外れたところにあった。ピアノの形をした小さな赤いネオンの看板が灯されている。
「こんばんは、マスター」
水澤が先に立ってドアを開けると、カウンターの中にいた温厚そうなマスターが顔を上げた。
「これは皆さん、おそろいで」
グラスを磨く手を止め、愛想のいい笑みを向けるマスターは四十代の前半といったところだ。蝶ネクタイがよく似合っている。
「お久しぶり!」
「邪魔するよ」
「どうぞどうぞ、大歓迎ですよ」
唯音は仲間たちと共に店内に足を踏み入れた。店の規模はさほど大きくはない。ソファの席が二つ、あとは小さなテーブルが三つ。それにカウンターといった程度だ。
カウンターの右端の奥に、つつましい店には不似合いなくらいの立派なピアノが置かれている。これがピアノバーの所以 なのだろう。
「珍しいね。他に誰もいないなんて」
気さくに話しかける水澤に、たまにはこんな晩もありますよ、と肩をすくめてみせる。
「何になさいます?」
「みんな、水割りでいいかな」
ああ、とメンバーたちがうなずき、
「マスター、わたし、お手伝いします」
「とんでもない、お客さんに、しかもこんなに綺麗なお嬢さんに手伝わせるなんて、バチが当たりますよ」
気になさらないで、と笑顔で唯音は水割りの入ったグラスを銀色のトレイに載せ、それを悠哉がテーブルまで運ぶ。といっても狭い店なので、ただ単にカウンターからテーブルに移すといった具合だ。
「マスターもいかがです?」
葉村の誘いに、どうも、とグラスを手に取る。
「乾杯!」
店内にはレコードが流れていた。陽気で、そのくせどこかもの哀しいディキシーランド・ジャズだ。
「そういえばフランス租界に新しくできた店を知ってるか」
「准海路のダンスホールのことかい?」
「うん、その店だ。アメリカから来たバンドが入ってるんだ。すごい音を出すぜ」
「それなら聴いた! 確かにすごい演奏だった。さすが本場から来ただけのことはあるな」
いつしかすっかりジャズ談義に花が咲き、場を水割りが盛り上げる。
「そうだ、せっかくピアノバーにいるんだ。リュウ、一曲弾いてくれないか」
「俺が?」
クラリネットの秦 の言葉に、意外な思いで唯音はリュウを見た。言われた本人も怪訝そうに問い返す。
「久しぶりに君のピアノが聴きたい」
「ピアノなら俺より葉村さんの方がずっと上手だろう」
「いや、君のピアノには素晴らしいものがあるよ。私も久々に聴きたいものだな」
グラスを片手に葉村は熱心に言い募 る。
「リュウ、あなたはピアニストなの?」
小首をかしげて問いかける唯音の横で、とびきりの腕なんだぜ、と悠哉が付け加える。
唯音は彼と、店のピアノとを見比べた。初めて会った時、確か悠哉がそんな話をしていた。
あの時。屈強な西洋人たちと戦っていた彼と、ピアノとの間に違和感を持った記憶が鮮やかに甦った。
「もう昔のことさ」
屈託のない悠哉たちとは裏腹に、彼は苦い表情で答えた。
「こんばんは、マスター」
水澤が先に立ってドアを開けると、カウンターの中にいた温厚そうなマスターが顔を上げた。
「これは皆さん、おそろいで」
グラスを磨く手を止め、愛想のいい笑みを向けるマスターは四十代の前半といったところだ。蝶ネクタイがよく似合っている。
「お久しぶり!」
「邪魔するよ」
「どうぞどうぞ、大歓迎ですよ」
唯音は仲間たちと共に店内に足を踏み入れた。店の規模はさほど大きくはない。ソファの席が二つ、あとは小さなテーブルが三つ。それにカウンターといった程度だ。
カウンターの右端の奥に、つつましい店には不似合いなくらいの立派なピアノが置かれている。これがピアノバーの
「珍しいね。他に誰もいないなんて」
気さくに話しかける水澤に、たまにはこんな晩もありますよ、と肩をすくめてみせる。
「何になさいます?」
「みんな、水割りでいいかな」
ああ、とメンバーたちがうなずき、
「マスター、わたし、お手伝いします」
「とんでもない、お客さんに、しかもこんなに綺麗なお嬢さんに手伝わせるなんて、バチが当たりますよ」
気になさらないで、と笑顔で唯音は水割りの入ったグラスを銀色のトレイに載せ、それを悠哉がテーブルまで運ぶ。といっても狭い店なので、ただ単にカウンターからテーブルに移すといった具合だ。
「マスターもいかがです?」
葉村の誘いに、どうも、とグラスを手に取る。
「乾杯!」
店内にはレコードが流れていた。陽気で、そのくせどこかもの哀しいディキシーランド・ジャズだ。
「そういえばフランス租界に新しくできた店を知ってるか」
「准海路のダンスホールのことかい?」
「うん、その店だ。アメリカから来たバンドが入ってるんだ。すごい音を出すぜ」
「それなら聴いた! 確かにすごい演奏だった。さすが本場から来ただけのことはあるな」
いつしかすっかりジャズ談義に花が咲き、場を水割りが盛り上げる。
「そうだ、せっかくピアノバーにいるんだ。リュウ、一曲弾いてくれないか」
「俺が?」
クラリネットの
「久しぶりに君のピアノが聴きたい」
「ピアノなら俺より葉村さんの方がずっと上手だろう」
「いや、君のピアノには素晴らしいものがあるよ。私も久々に聴きたいものだな」
グラスを片手に葉村は熱心に言い
「リュウ、あなたはピアニストなの?」
小首をかしげて問いかける唯音の横で、とびきりの腕なんだぜ、と悠哉が付け加える。
唯音は彼と、店のピアノとを見比べた。初めて会った時、確か悠哉がそんな話をしていた。
あの時。屈強な西洋人たちと戦っていた彼と、ピアノとの間に違和感を持った記憶が鮮やかに甦った。
「もう昔のことさ」
屈託のない悠哉たちとは裏腹に、彼は苦い表情で答えた。