第31話 アレクセイ

文字数 661文字

 厳重な警戒の通りを抜け、ブルーレディに急ぐ。店の裏口まで来て、やっと安堵の息をつく。
「おはよう、ユイネ」
 ほっとしたところに突然声をかけられ、どきっとして振り向くと。
「ああ、アレクセイ」
 相手の顔を見て唯音は笑いかけた。仲のいいウエイター長だった。ロシアの出身で、彼がまだ子供だった頃に革命が起こり、両親と共にこの街に逃げてきたのだと言っていた。
「もうっ、驚かさないで。びっくりしたわ」
「そいつは悪かったね。でも、どうしてそんなにびくびくしていたんだい?」
「何か事件があったらしいの。来る途中で物々しい警備が敷かれていたわ」
「やれやれ、また事件か」
 額にかかる金髪をかきやり、彼は眉根を寄せる。
「いつになったら安心できる世の中になるんだろうな」
「まったくね……」
「ところで、話は変わるけど」
 アレクセイが先に立ってドアを開けてくれながら、いたずらっぽい視線を投げてよこす。
「最近、ブルーレディでの噂を知ってるかい?」
「知らないわ。なあに?」
 唯音がたずねると、彼は片眼をつむってみせた。
「君のことさ。もっぱらの噂だよ。ユイネが最近とても綺麗になった。恋でもしてるんじゃないか、ってね」
「まあ」
 口もとに手を当てて唯音は赤くなった。
「僕もそう思うな。本当に、近頃のユイネは綺麗になった。あ、もちろん前から美人だったけどね」
「とってつけたように言わなくていいわ。お世辞が上手ね、アレクセイ」
「お世辞なんかじゃないよ。ユイネの恋人が羨ましいくらいさ」
 リュウの姿が心をよぎり、くすぐったいような甘やかな気持ちで、そっと微笑む。

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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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