第19話 来客
文字数 1,454文字
上海での生活、そしてブルーレディの舞台にもだいぶなじんできた頃。
「ユイネ」
今夜の最初のステージを終えて休憩に入った唯音に、仲良しのロシア人のウエイターが呼びかけてくる。
「なあに? アレクセイ」
振り返る唯音に、彼は愛想よく奥のテーブルを親指で示してみせた。
「あそこの席にユイネに会いたいって人が来てるよ」
「わたしに? 誰かしら」
唯音は首をかしげた。彼が指差した席は奥まった位置にあり、客の姿までは見えない。
一瞬、リュウかとも思う。今夜、店に来てくれることになっている。が、リュウならいちいち名指しなどせず、直接声をかけてくるはずだ。
「わかったわ、どうもありがとう」
金髪のウエイターにお礼を告げ、指示された席に向かう。
「失礼しますわ。ようこそ、ブルーレディへ」
テーブルの脇に立ち、お決まりの挨拶を口にして唯音は眼を見張った。
「おじさま!」
そこに座っていたのは貴堂大佐だった。
「こんばんは、お嬢さん。まあ、座りなさい」
眼を細めて笑いながら、おどけた口調で椅子を勧めてくれる。私服姿のせいもあって軍人らしい厳しさはずいぶん和 らいでいる。
唯音は、はしゃいだ声で、
「いついらしたの?」
「少し前だ。来た時にはちょうど唯音が舞台で歌っていた」
「わたしの歌はいかがでした?」
「とても良かったよ。すっかり立派な歌い手だな」
「お世辞でも褒めいただいて光栄だわ」
「世辞などではないさ。正直、唯音があんなに歌えるとは思わなかった」
はにかんで微笑しながら、おじの隣に腰を降ろし、グラスにウィスキーを注ぐ。
「唯音もどうだね?」
唯音は柔らかく首を横に振った。
「せっかくのお気持ちですけど、わたし、まだ舞台があるので……」
「ほう。さすがはプロの歌い手だな。では、歌姫にはオレンジジュースにしておこう」
おじは片手を上げてウエイターを呼び止め、ジュースを注文する。
「仕事には慣れたかね?」
「ええ、何とか」
「困ったことはないかね?」
「大丈夫よ。お店のみんなも親切にしてくれるし」
ならいいが、と優しい眼差しで笑む。その暖かさにつつまれていると安心できる。唯音にとっておじは今でも父のような保護者なのだ。
「嬉しいわ、おじさまが来てくださって」
「唯音の歌を聴きに行くと約束しただろう。もっと早く来たかったのだが、仕事が山積みになっていて、すっかり遅くなってしまった」
「相変わらずお忙しいのね。お仕事、大変なのでしょう? せめて今夜くらいはゆっくりなさっていって」
「そうしたいのは山々だが、実はこれから人と会う予定があってね」
まあ、と唯音は軽く眉をひそめてみせた。
「そんなに忙しく働いてばかりいると、お体を壊すわ」
「平気さ。倒れている暇などないし」
「もう、おじさまってば」
唯音が呆れたように苦笑した時だ。悠哉がテーブルに近づいてきた。
「やあ、悠哉くん」
「こんばんは、大佐。ようこそ、ブルーレディへ」
悠哉はにこやかに挨拶すると、唯音の方を向いた。
「唯ちゃん、せっかくおじさんと水入らずで話しているところを悪いけど、そろそろ次のステージが始まるよ」
「もうそんな時間?」
壁の柱時計に眼をやり、唯音はあわてて立ち上がった。
「すみません、大佐」
「いや、気にせずに。私もそろそろ暇乞 いするよ」
「せっかくいらしてくださったのに、もうお帰りになるなんて残念だわ」
「心遣いはありがたいが、さっきも言ったように予定があってね」
そんな会話をしながら三人はテーブルを離れた。大佐を見送るために唯音と悠哉は店のエントランスまで一緒に歩いていく。
「ユイネ」
今夜の最初のステージを終えて休憩に入った唯音に、仲良しのロシア人のウエイターが呼びかけてくる。
「なあに? アレクセイ」
振り返る唯音に、彼は愛想よく奥のテーブルを親指で示してみせた。
「あそこの席にユイネに会いたいって人が来てるよ」
「わたしに? 誰かしら」
唯音は首をかしげた。彼が指差した席は奥まった位置にあり、客の姿までは見えない。
一瞬、リュウかとも思う。今夜、店に来てくれることになっている。が、リュウならいちいち名指しなどせず、直接声をかけてくるはずだ。
「わかったわ、どうもありがとう」
金髪のウエイターにお礼を告げ、指示された席に向かう。
「失礼しますわ。ようこそ、ブルーレディへ」
テーブルの脇に立ち、お決まりの挨拶を口にして唯音は眼を見張った。
「おじさま!」
そこに座っていたのは貴堂大佐だった。
「こんばんは、お嬢さん。まあ、座りなさい」
眼を細めて笑いながら、おどけた口調で椅子を勧めてくれる。私服姿のせいもあって軍人らしい厳しさはずいぶん
唯音は、はしゃいだ声で、
「いついらしたの?」
「少し前だ。来た時にはちょうど唯音が舞台で歌っていた」
「わたしの歌はいかがでした?」
「とても良かったよ。すっかり立派な歌い手だな」
「お世辞でも褒めいただいて光栄だわ」
「世辞などではないさ。正直、唯音があんなに歌えるとは思わなかった」
はにかんで微笑しながら、おじの隣に腰を降ろし、グラスにウィスキーを注ぐ。
「唯音もどうだね?」
唯音は柔らかく首を横に振った。
「せっかくのお気持ちですけど、わたし、まだ舞台があるので……」
「ほう。さすがはプロの歌い手だな。では、歌姫にはオレンジジュースにしておこう」
おじは片手を上げてウエイターを呼び止め、ジュースを注文する。
「仕事には慣れたかね?」
「ええ、何とか」
「困ったことはないかね?」
「大丈夫よ。お店のみんなも親切にしてくれるし」
ならいいが、と優しい眼差しで笑む。その暖かさにつつまれていると安心できる。唯音にとっておじは今でも父のような保護者なのだ。
「嬉しいわ、おじさまが来てくださって」
「唯音の歌を聴きに行くと約束しただろう。もっと早く来たかったのだが、仕事が山積みになっていて、すっかり遅くなってしまった」
「相変わらずお忙しいのね。お仕事、大変なのでしょう? せめて今夜くらいはゆっくりなさっていって」
「そうしたいのは山々だが、実はこれから人と会う予定があってね」
まあ、と唯音は軽く眉をひそめてみせた。
「そんなに忙しく働いてばかりいると、お体を壊すわ」
「平気さ。倒れている暇などないし」
「もう、おじさまってば」
唯音が呆れたように苦笑した時だ。悠哉がテーブルに近づいてきた。
「やあ、悠哉くん」
「こんばんは、大佐。ようこそ、ブルーレディへ」
悠哉はにこやかに挨拶すると、唯音の方を向いた。
「唯ちゃん、せっかくおじさんと水入らずで話しているところを悪いけど、そろそろ次のステージが始まるよ」
「もうそんな時間?」
壁の柱時計に眼をやり、唯音はあわてて立ち上がった。
「すみません、大佐」
「いや、気にせずに。私もそろそろ
「せっかくいらしてくださったのに、もうお帰りになるなんて残念だわ」
「心遣いはありがたいが、さっきも言ったように予定があってね」
そんな会話をしながら三人はテーブルを離れた。大佐を見送るために唯音と悠哉は店のエントランスまで一緒に歩いていく。