第18話 不夜城

文字数 525文字

 深夜、ミッシェルも閉まる頃、二人は夜風に吹かれながら港沿いを歩いていた。
 夜の外灘(バンド)は車のライトが絶え間なく流れ、さながら光の川だった。不夜城──眠ることのない街。
「楽しかったか?」
「ええ、とても」
 風になびく髪をかきやりながら唯音ははしゃいだ声で答え、それからふっと真顔になってたずねかけた。
「どうして? リュウ、どうしてあなたはわたしを誘ってくれたの?」
 彼が少しからかうような口調で問い返す。
「いけないかい?」
「──いいえ」
 とっさにかぶりを振る唯音に、彼は自分でもとまどうようにつぶやいた。
「さあ、なぜだろうな……」
 背後から追い越していく車のライトに、不意にある女性の面影が浮かび上がった。
 スン・メイイン。優しく美しかった父の妹。といっても彼女は養女だったから、直接血のつながりはない。にもかかわらず両親が死んだ後、自分を育ててくれた。
 彼女は歌が好きで、よく金糸雀(カナリア)のような声で口ずさんでいた。唯音の歌声はどことなくメイインに似ていた。
 白い船が港を静かにすべっていった。その窓の明かりを眺めながら、二人は黙って歩き続けた。
 唯音は心が揺れるのを感じていた。この精悍(せいかん)な若い男に。
 彼女はまだ何も知らなかった。彼の素性も、秘めた任務も……。




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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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