第40話 来訪

文字数 764文字

 眼を閉じてじっとしていると、今度はまぶたに白い包帯姿のおじが浮かんだ。
 急な入院ですもの。身の回りの品が必要だわ。明日、いろいろと用意しなくちゃ。
 できるだけ実務的なことを考えようとするのだけど、頭がうまく働かない。
 ──リュウが抗日活動をしているという噂が……。
 悠哉の言葉が耳の奥で反響し、激しく首を振った時だ。ノックの音がして、唯音はびくっと肩を震わせ、顔を上げた。
 誰?
 訪問者は、こつこつと小さな音を立てて部屋のドアを叩き続けている。
 唯音はおそるおそるドアの前まで行き、外に向かって声をかけた。
「……どなた?」
 俺だ、と静かな声がした。
「リュウ!」
 急いで鍵を外し、ドアを開ける。そこにはいつもと変わらない姿でリュウが立っていた。黒のチャイナ服を着て、手には小さな箱を持っている。
「どうしたの、急に」
 突然の来訪に、とまどいながら問いかける唯音の顔を、ひょいとのぞきこむ。
「店に行ったら休みだって聞いたんでね、具合でも悪いんじゃないかと、様子を見に来たのさ」
「わたしの?」
「他に誰を見に来るっていうんだ?」
 おどけた口調で笑顔を向け、彼は手にしていた白い箱を差し出した。
「ほら、フランス租界の店のケーキだ。美味いって評判なんだ。好きだろう?」
「……ありがとう」
 お礼を言って白い箱を受け取った刹那。感情があふれ出して唯音は彼にしがみついた。
「唯音?」
 リュウが眼を白黒させて彼女の名を呼ぶ。
「どうした?」
 何を、どんな風に話したらいいのかわからなくて、唯音は口ごもった。
 リュウはそんな彼女の頬をそっとはさんで自分の方を向かせると、じっと見つめた。
「顔色も良くないな。どこか悪いのか?」
「いいえ、病気なんかじゃないの」
「何があった?」
 心底、彼女を心配する瞳だった。その眼差しが唯音を安堵させ、落ち着かせてくれた。

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登場人物紹介

貴堂唯音(きどうゆいね)


十八歳。日本での窮屈な暮らしから逃れ、歌手をめざして上海にやって来る。

中原悠哉(なかはらゆうや)


唯音の義理の兄。上海でジャズ・ミュージシャンをしている。

リュウ


唯音が出会った中国人の青年。上海を離れていたが、ある目的を秘めて戻って来る。

貴堂大佐


唯音のおじ。武官として上海に駐在している。

早くに妻を亡くし、唯音を実の娘のように可愛がっている。

アレクセイ


ナイトクラブ「ブルーレディ」のウェイター長。彼が子供の頃、祖国で革命が起こり、両親と共に上海に逃れてきた。

リーリ


ブルーレディの踊り子。リュウとはかつて恋人同士だったと言うが……。

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