有希の冒険 模造品(6)
文字数 1,839文字
純一の動きは、風より速かった。
一瞬で沼藺との間合いを詰めると、彼女の左ボディにアッパー気味のパンチをぶち込む。沼藺は、それをガードもせず黙って受けた。
勿論、彼女は避けようとも、防ごうとも考えていた。しかし、沼藺の足は重く、地面から上げることも出来なかったのだ。手も、重たいグローブを付けた様に、素早く動かすことが何故か出来ない。
純一は右のフックを沼藺の左顔面に打ちこむ。これも確実にヒットする。次は左ストレート。そして右のアッパー。
「パパ、それ汚い! そんなの絶対避けられないじゃない!!」
有希は叫んだ。有希はその距離からでは、純一の技を邪魔することが出来ず、叫ぶしかなかった。
「汚いも何も……。この体制に簡単に持っていかれた、沼藺の問題じゃないのか? 別に構わないよ、質量操作を一旦解除しても」
純一は有希に返事を返し、沼藺から一旦離れて技を解いた。沼藺は技の解けた反動で、膝に衝撃が走り少しよろける。
「何をしたの? 今のは?」
「それも分からないのですか……。
今のは、あなたの足首から先と、手首から先の質量を増加させたんですよ。
射程距離は今なら10メートル半径ぐらいでしょうか……。この範囲の中なら、僕は全ての物体の質量を変化させられます。この範囲に無造作に入ったら、少しも動くことが出来なくなりますよ。ほら、早くフィールドから出ないと、また身動き出来なくなる……」
沼藺はそれを聞いて、後方に大きくジャンプして、純一の質量操作範囲から逃れた。逃れた心算だった。だが、そんな簡単に純一から逃れることなど出来はしない。
ジャンプの着地の際、純一の位置を確認しようとした沼藺は愕然とした。
なんと、純一も距離を保つように跳んでいたらしく、彼は目の前にいたのである。
沼藺は左に走った。純一も沼藺の正面から外れない様に右に走る。沼藺は急停止し、逆方向に走った。純一もそれに倣う。
沼藺は上に跳んだ……。
だが今度は、純一は上へと跳ばなかった。彼は上に上がろうとする沼藺の左足首を右手で捕え、そのまま下へと沼藺を投げ落としたのである。沼藺は地響きをたてて、闘技場の地面に衝突し、一回弾んだ後、うつ伏せに倒れ込んだ。
「どうしたんです? 沼藺様……。今のは質量操作などしてませんよ」
うつ伏せの沼藺が、悔しさを滲ませた目で純一を睨みつける。
「おい、テツ! 分かっているのか? 手加減するな! 嫌ならギブアップしろ! 私が殺る!!」
耀子が、我慢がならぬとばかりに、大声でヤジを飛ばしてきた。そう言われては、少しは本気で遣らずばなるまい。
「分かったよ……」
そう言って、純一は立ち上がった沼藺の両足を質量操作で固定する。
沼藺には分かっていた。純一には敵わないことを。そして、もう、ここで殺させるであろうことも……。彼女に逃れる術はない。後はもう戦士として、どう討たれるかと云うことだけだ。
純一は沼藺を殴り続ける。
何度も純一の攻撃を受け続け、沼藺は意識が朦朧としてきた。あと少し、もう少しでこの苦痛も終わる。沼藺はそう考えるしかなかった。
そして、遂にその時が来る……。
沼藺の意志が、もう彼女の体を支えることが出来なくなり、沼藺は両膝を、そして両手を地面に着けて四つン這いになった。それを見た純一は、胸元からネックレスの様に掛けられた小さな太刀を取り出し、それを両手で頭上に掲げ、彼女に死の宣告を与える……。
「沼藺よ、よく聞け! これは雷神がその力を秘めた降魔の太刀。名を韴霊剣と言う。僕はこの剣で、何匹もの邪な妖狐を征伐してきた……。銀星狐然り、玉藻の前然り、尾崎真久良もまた然り……」
誰も見てはいないが、観客席の真久良本人は両手を開いて首を横に振っている。
「政木沼藺。その中の一匹に、お前も加わる時が来たのだ。覚悟せよ!」
純一がそう言うと同時に、剣は黒く長く変わり、2メートルになろうかと云う長剣になる。彼がそれを一旦横に薙ぐと、刃先が掠ったのか、沼藺の頬に切り傷が走り、さっと血が浮かび上がった。
「もう、いいから……。早くしてよ」
沼藺は投げ遣りにそう答えた。
彼女が感じるのは苦痛だけで、死の恐怖などもう何処にもない……。
しかし、その剣は振り下ろされはしなかった。純一の手首に黒いロープが巻き付けられ、彼の攻撃を邪魔していたのである。
そして、それとは別に1匹の下駄顔の狐侍が純一と沼藺の間に入り、両手を広げ、剣を振り下ろされるのを命賭けで制止していた。
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