有希の冒険 喜津根温泉にて(2)
文字数 2,432文字
どうやら、この宿の大女将らしい。
だが、それにしても若女将とかではなく、大女将自ら挨拶と云うのは、有希が女性だから(若い女性でなくとも良いとの考え)なのか、それとも
「いらっしゃいませ」
女将は上品に三つ指ついてお辞儀をする。有希もそれに応えた。
「お世話になります。とても素敵な処ですね。気に入りました……」
「恐縮です。お気に召して頂き、本当に嬉しく思います」
「で、どうしていらしたのです? 明日お会いするのに?」
女将は、不思議そうに少し眉を
「あらあら、折角腕輪をご用意したのに、外してしまっていたのね」
「ええ、この宿に来た時、一応、安全の確認させて頂きました……。
そうしたら、もの凄い脅威でしょう?
もう、大刀自様と云う方しか、あり得ないと思いました……」
「有希さん……。あ、ご免なさいね、そう呼ばせてね。会ったことは無いんですけど、ずっと、有希さんのことは気に掛けていたものだから……。それにしても有希さんは、お父様と違って、随分と思慮深いのね……」
「父を御存じなのですか?」
「ええ……。あなたと同じくらいの時、別の時空ですけど、初めて、この妖怪世界にお父様は来られたの……」
「別の時空の妖怪世界で……?」
「私は全ての時空の私と精神の相互交換をしているの。だから、別時空であっても、あなたのお父様と会っていることになるのよ」
「へぇ~。父にも少年時代があったり、母とは別のガールフレンドがいたりって、なんだか本当のことに思えなくって……。とても不思議な気分だわ……」
「過去の事だとしても、お父様にお母様以外の女性がいたら、やっぱり嫌かしら?」
「嫌ってことはないですけど……。少し、妙な感じです……」
「そんなものかしらね……」
「で、大刀自様。ここの宇宙人についてですけど……」
有希は膝を進め、女将姿の大刀自に
「ここでそのお話は、止めにしませんこと?
私、ここでは、あなたとゆっくりと非公式なお話がしたかったのよ……。お父様の昔話とか……」
有希としても、それを急ぎたい訳でもない。それに、もう少し父親の少年時代の事も聞いてみたい気がする。
「良かったら、ご一緒にお風呂でもどうかしら? お婆ちゃんと一緒が嫌でなかったら」
「うわぁ、嬉しい! 温泉楽しみだったの。でも、1人じゃ露天風呂って怖いでしょ。
「それは分からないわよ……。あなたの裸を見る為だったら、命も惜しくないって男の子が、そのうち何人も現れるわ。今のうちに覚悟しておくのね。
じゃ、一階の奥に『露天風呂』の張り紙のある扉があるから、そこで10分後に待ち合わせましょう」
有希は、そんなことある訳ないと考えながらも、そうなったら嬉しいかな……とも思う。そして、そう思った恥ずかしさに、思わず首を横に振った。
で……、思い直して「分かりました、10分後」と、有希は返事を返したのだが、もうその時には、大刀自の姿は座敷に無かったのである。
10分後……、
有希は温泉気分を満喫できるよう、浴衣に着替えてから待ち合わせの場所にやって来た。そこにはもう、浴衣姿の大刀自が手ぬぐいを持って待ってくれている。
「ご免なさい、大刀自様、遅くなって」
「大刀自様は止めてくださいね。そうね、静峯とでも呼んで貰おうかしら」
「では静峯様、お風呂、行きましょう!」
その時である。1人の貫頭衣の少年が、血まみれのウサギを持って、有希たちの方に走って来た。だが、静峯も有希も少し驚きはするが、別段取り乱したりはしない。
「あら、お客様。今、露天風呂は女性が入る時間で、殿方は入れませんよ……」
その少年は勿論、あのレナルドである。レナルドは有希の前まで来ると、その血まみれのウサギの死骸を有希に差し出した。
「有希、僕はお前が気に入った。僕の子どもを産んでくれ!」
これには、流石の有希も動揺を隠せない。口に手をあてて、どうしていいか、直ぐには何も答えられなくなってしまう。
「あらあら、困ったわね。有希さん、どうするの?」
「あ、あの、わたし、そう云うの、まだ考えたことが……、全然、無くて。あ……、ご、ご免なさい!」
有希は真っ赤になって、何とか若い友人にそう答え、頭を下げるのが精一杯だった。それでも少年には相当のダメージだったらしく、これ以上には下げられないといった位に首を下に向けて項垂れていた。
「あ、あの、レナルド。別に、レナルドが嫌いだって訳じゃなくて……。わ、わたし、まだ子供だし、そう言うのって……」
有希はどうしていいか分からず、もう完全にパニックに陥っていた。そんな若い友人の腕に例の腕輪があることを確認し、静峯は少し大きめの声を出して、一階で働いている従業員を呼びつけた。
「すみません。こちらの殿方は、お客様のお友達なの。どなたか、ロビーまでエスコートして頂けませんこと?」
その声に反応して、一人のフロント係が露天風呂へ出る扉の前にやって来た。そのフロント係の顔は、ここに居る誰もが知っている者の顔だった。
「と、棟梁?」
「真久良さん?」
尾崎真久良は、その少年の姿を確認し、彼の肩を抱いてロビーの方へと誘っていく。この不思議な展開に、有希は何をどうしていいか、もう皆目見当が付かない。
そんな有希の肩を、静峯はぽんと叩き、彼女の顔に向かってニッコリと微笑んだ。
「だから言ったでしょう? あなたの為なら敵の城にでも忍び込む、勇敢なロメオが何人も現れるって……」
「大刀自様、そんなこと言いました?」
そう言った有希の顔を見て、静峯は声をあげて笑い、更衣室へと続いている戸を開いて、中へと先に入って行ったのである。