有希の冒険 オサキの里(7)
文字数 2,180文字
それは、神の子であろうと、悪魔であろうと、何者でも貫き通す伝説の槍……。ハンターはその槍で、少年ごと串刺しにすべく、有希を背後から狙おうとしたのである。
「この女狐は、相当の高位の妖怪だ。こいつなら、殺して屍にしたとしても、いかようにでも使い道はある!」
そう考えたであろうハンターは、有希の背に槍を突き立てる。いや、突き立てようとした。しかし、その企みは、寸前と云う所で阻まれることになる。
それは有希には、コマ送りの様に、ゆっくりと動いて見えた……。
そのハンターの胴を、抜き打ちに斬り裂いたのは真久良……。そして、それを見た別のハンターは、銃を捨てて森へと逃げようとする……。しかし、逃げる間もなく、彼も使いの狐に背後から襲われ、恐らく、それで彼は命を絶たれたに違いない……。
振り返った状態で、有希はその光景をじっと見ていた。彼女の奇麗な2つの目は、涙が満々と溜まってくる。それは、自分の命の危機の為では無かった。
それでも有希は、自分を守ってくれた友人に感謝をしない訳にはいかない……。
「真久良小父さん……、ありがとう。助けてくれて……」
有希に抱きしめられていた少年は、そう言った有希の涙が、彼女の頬を伝うのをじっと見続けていた。
有希が落ち着きを取り戻し、少年から離れようとした時、真久良に胴を切り払われたハンターは、まだ死に切れていなかった。
その苦しみ悶える姿を見て、有希は黙ったまま、無表情でハンターに近づいていく。
それは彼女の表情が示す通り、ハンターへの同情ではなかった。かと言って、自分を殺そうとしたハンターに対して、強い憎しみを持ってそうしたと云う訳でもない。
有希は極自然に、片膝を付きながら、右の貫手でハンターの左胸を貫いた。その光景を目にし、誰もが驚き息を飲む。使い狐も、少年も、真久良でさえも……。そして、有希がその右手を抜き去るまで、誰も言葉を発することが出来なかった。
少女の突き立てた右手から、滾々と湧き出る赤い血潮。それを恍惚とした表情で眺めている死に行くハンター。そして、悪鬼の様に笑うでもなく、慈母の様に悲しむでもなく、唯、無表情にそれらを見続ける、うら若い少女……。それは、超現実主義の演劇を見ている様な、不思議な光景だった。
有希が右手を抜き、すっくと立ち上がった時、そのハンターは絶命していた。結果としては出血多量によるものだろうが、その主因が真久良の剣によるものか、有希の貫手によるものか、その判別は難しい……。
有希にとっても、その自分の行動を論理立てて説明することは出来なかった。
それは空腹時、明日の朝に取っておいた菓子を、つい口に放り込んだとか、そう云う感覚に近いものに違いない。もしかすると、眠い時、目を閉じたら寝てしまったとか云う、無意識のレベルだったのかも知れない。
しかし、それは、今までの有希には存在しない行動パタンであった……。
死にかけた人間が目の前で横たわると云う状況に、これまで遭遇した経験がないと云うこともあるが、それ以前に、腕輪を身に着けていた間の有希は、間違いなく人間だったのである。だから、その様な衝動を感じる事が有ろう筈はなかった……。
だが、彼女は今、こうして生気を吸い、魔力を使う大悪魔になったのである。それは、成長でもあり、堕落でもあった……。
「し、しかし……。それで良く、人間だなんて言えたものですね……」
真久良の皮肉めいたジョークにも、有希は無言のまま俯いている。
「勘違いしないでくださいね。私なりの最大限の賛辞なのですよ。そして、私個人だけでなく、オサキの里一同も、あなたを最高の賓客として迎え入れることでしょう……。私はあなたを、我らの同志と考えています」
有希は、真久良の精一杯の慰めに感謝し、無理矢理作った笑顔を彼に見せた。真久良は有希が、どうして、そう云う表情をしたかまでは分かりはしない。それでも、この少女が、今、何かを失ったと云うことだけは理解できた。オサキ狐を守るために……。
真久良は考える。
「この少女が失ったものは、愛か、夢か、希望なのか、それは分からないが、我らはそれを確かめ、必ずこの少女に埋め合わせをしてやらねばならない。
それが、狐の誠意と云うものだ。
だが、言葉では駄目だ……。感謝の言葉など、薄っぺらなものだ。我らの誠意は、常に行動で示さねばならない……」
真久良の傍に使い狐が戻ってくる。
「棟梁、もう戻りましょう。奴らの仲間が来るかも知れません。レナルドの両親も心配していると思います」
「分かった……」
使い狐の勧めに真久良は同意し、有希にもそれを促す。
「お嬢さん、勝利に酔っている所、誠に恐縮なのですけどね、私たちは、もう帰ろうと考えています。すみませんが、オサキの里までご同行頂けますかね……」
有希は思う……。
「真久良って人は、どうして、こう云う物言いしか出来ないのだろうか」と……。しかし、心の声は筒抜けで、有希には、少し滑稽にすら思える……。
「分かったわ、狐さん。帰りましょう」
有希はそう言うと、破れて落ちたパーカーのポケットを探り、金属製の腕輪……、即ち魔封環を拾い出し、自らの左手首へと装着したのであった。