三十三 狙撃㈢

文字数 3,354文字

 九時過ぎ。
 N市W区の自宅仕事場で、省吾は机の右を見た。
 いつも身近に理恵がいる。可愛い。見てると飽きない・・・。

 着信アラームが鳴った。省吾はセキュリティモニターを外部通信にした。
「佐伯です。田村さんがレーザー狙撃されるとの情報がありました。
 未確認情報ですが、安全確認できるまで、窓際から離れて身を守れる所に避難してください。
 警護ヴィークルの他に、特務班と私がそっちへ飛行してます。
 ポートに着陸します。許可願います」

「着陸してください。
 でも、なぜ俺が?」
 省吾は理恵を見た。
『準備しとくね』
 理恵は省吾を見て、デスクトップパソコンの電源を切った。
 省吾もパソコンの電源を切った。

「理由は不明です。とにかく身を守れる所へ非難してください」
 省吾に佐伯の思考が伝わってきた。
 すで二人がレーザーで狙撃された・・・。
 黒のワゴンも街宣ヴィークルも、N県検警特捜局特務部警護班の特殊車両だ・・・。
 大政同志会の近藤は倉本の元秘書で、旧体制派でクラリックだ。近藤と大政同志会の関連は調査中。倉本の裏組織が大政同志会の可能性がある・・・。
 タブレットパソコンの不審文を書いたのは松浪健一と理佐夫妻。二人は日報新聞N支社の記者だ・・・。佐伯は、クラリックを誘きだすため、松浪に日記を書かせ、俺たちの反応を調べてた・・・。
 クラリックはタブレットパソコンを狙っている。俺たちを抹殺しようとしている・・・。

 省吾は窓を見た。
「今、北西の仕事場に居る・・・。
 窓は防弾ガラスと電圧偏光電磁波遮蔽ガラスです」
「壁もですか?」
「ええ、窓も壁も、防弾防音断熱と電磁波遮蔽の、防災構造です」
「窓からのレーザー狙撃は心配は無いと?」
「徹甲弾を何発も喰らったら防げませんよ」
 一発の徹甲弾なら外層のガラスが弾き返すが、同じ箇所が何発も被弾したら、三重合せガラス三枚の間に窒素ガスを封入した積層構造のガラス全てに穴が開く。それは至難の業だ・・・。

「狙撃に心当りはありませんか?」
「なぜなのか、こっちが訊きたいですよ」 
 ビシッビシッと鈍い音が響いた。

「先生!ガラスにヒビが入ってるっ!」
 理恵の前のガラスにヒビが入って穴になり、省吾の前のガラスにも穴が開いてる。
 まだ外層のガラスに穴が開いただけだ。至難の業だが、誰かがピンポイントで狙撃してる!俺が慌てたら理恵もあわてる。お腹の子供に影響する・・・。

 省吾は理恵の眼を見て微笑むと、理恵に、タブレットパソコンとタブレット携帯端末を持ってゆくよう、仕草で示し、おちついて言う。
「まだ大丈夫だ。居間へ走らずに行くんだ」
「わかったわ。先生も早く非難して・・・」
「うん、わかった」
 理恵は手際よくメガネ端末をかけて、タブレットパソコンを持って居間へ移動した。おちついている。

「佐伯さん、徹甲弾だ!窓ガラスの二箇所が何発も被弾してる。もうすぐ穴が開く・・・」
 省吾はスカウター端末を装着した。
「回線を切り換える」
 セキュリティモニターの外部通信をスカウターの映像通信に切り換え、タブレット携帯端末とメガネ端末をジャケットのポケットに入れ、タブレットパソコンを左手に持った。
 理恵のタブレット携帯端末とスカウター端末が机にあるのに気づき、それらもポケットに入れて仕事場から居間へ歩いた。

『伏せてっ!』
 マリオンがそう伝えた。
『わかった!』
 省吾が伏せる間もなく、バシッと大きな音がして右半身に衝撃が走った。
 左手からタブレットパソコンが床に落ちた。省吾は屈んでタブレットパソコンを抱えた。
「佐伯さん!徹甲弾がガラスを貫通したっ!非難する!しばらく通信を切る!」
 佐伯にそう言いながら、俺は何を言ってる?撃たれたんだぞ・・・と省吾は思った。
 すると省吾にマリオンの声が響いた。
『いいんだ。佐伯はメガネ端末で、3D映像の省吾の顔しか見てない』

「わかりました」
 佐伯の端末は複数同時通信になっている。
 すぐさま本間が警護ヴィークルの警護班に指示した。
「警護班、家の北西だ!」
 本間の指示より早く、家の北西の市道から、警護ヴィークルが省吾の家の北西にある神社へ走った。

 佐伯の端末に、W区からの銃声報告は入っていない。
 短時間に長距離の同一箇所を狙撃できるのは、M2000改無反動消音狙撃銃だけだ。各県の検警特捜局特務部を除けば、狙撃手は射撃競技手などに限られる。
 本間から通信が入った。
「佐伯くん、松浪夫妻を無事保護した。
 田村家の北西の神社に二人。それぞれに狙撃銃と拳銃の反応がある。銃器探査を続行する」
「わかりました」
 パトロールヴィークルの窓に田村家が見えてきた。


 床に穴が開き、血が飛び散っている。左手を右胸に触れると、指の間から血が流れた。
 くそっ、窓の着弾箇所を避けたのに貫通した。
 痛みが・・・、えっ?痛みが無い?なぜだ?
『私が消した。私は省吾の中にいる。理恵の生体エネルギーを使って組織を再生する。早く理恵の所へ行け!』
 わかった・・・。
 省吾は左手でタブレットパソコン拾い、ゆっくり居間へ歩いた。

「ああっ、先生・・・」
 ふらつきながら居間に現れた省吾を、理恵は素早く抱きしめて畳に座らせた。
『理恵、傷に手を当てろ。私があの子たちを救うため、何度もしたように』
『わかったわ・・・』
 理恵は、血が流れる省吾の胸に右手を当て、背に左手を当てた。
 省吾は荒い息を吐きながら、左手からタブレットパソコンを滑り落とした。呼吸するたびに口の周りに血の泡が浮いている。

「だいじょうぶだよ」
 理恵が省吾の眼を見つめている。
「痛みを感じないんだ」
「組織が再生するまで、痛みを感じないようにした・・・」
 理恵の瞳が緑色だ。撃たれたせいでそう見えるのか?ぼんやりしてきた。眠い・・・。
 そう思う省吾にマリオンの声が響いた。
『省吾!眠るな!眠らないと思うだけでいい。生体エネルギーを転送して組織再生する。
 理恵、省吾を頼む。私はクラリックを追う』
『わかったわ』

『マリオン。待ってくれ。理恵のお腹の子どもたちに影響するぞ・・・。
 えっ?妊娠すると言ったのは昨日だぞ?
 それに、なんで子どもたちなんだ?双子か?
 理恵の手が熱い・・・』
『心配ない。理恵を通して、プロミドンがエネルギーを充填している』
『わかった。あそこまで移動していいか?』
 省吾は防災壁に囲まれた居間の片隅を示した。フローリングになった箇所だ。

『このまま歩いて・・・』
『うん・・・』
 省吾は足で、理惠と省吾の二台のタブレットパソコンを居間の隅へ移動させた。
 理恵は省吾の胸に手を当てたまま、這うようにゆっくり移動した。

 省吾は手の血を拭って、防災壁のセキュリティモニタのタッチパネルに触れた。
『攻撃が激しくなれば、ポートの事務所のヴィークルで逃げるよ。壁とシェルターと通路の扉は、理恵の生体認証でも稼動するからね』
 迫り上がる壁の向こうに下り階段が現れた。

 省吾は理恵に手を当てられたまま、ゆっくり二台のタブレットパソコンを手にした。
『先生、どうしたの?生体エネルギーを得て、破壊された組織全体が再生してる。もう、致命傷じゃないよ・・・』
『傷が治ってるのはわかる・・・』
『先生に何かあるの?』
『理恵の認証でも稼動できた方が便利だからそうしておいたんだ』
『わかった』

 この家はかつてイタリアンレストランだった。ワイン貯蔵庫を改造した地下は核シェルター並みだ。ヴィークルの離着陸ポートはレストラン当時のまま広く、ポート南隅に、ポートを管理した小さな事務所があり、正門を閉ざすと、走行ヴィークルはこの事務所の門から出入りする。
 もしもの場合を想定し、省吾は、事務所も核シェルター並みに改造した。地下のシェルターから、この事務所の壁に隠された出口まで、かって、ワインを運んだ地下通路が通っている。ここも核シェルター並みに改造してある。家から地下シェルターへ下りる隔壁も、シェルターから通路に入る隔壁も、事務所の隔壁も、全て、省吾の生体認証で通過できた。
 理恵は省吾に連れられて、何度か地下シェルターから事務所へ行き、そこでコーヒーを飲みながら、W通りと我が家と裏手の森を眺めて、くつろいだ事がある。それらの隔壁が、今は理恵の生体認証で通過できるのだ。
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