四十五 潜入 私を独りにしないでね

文字数 4,647文字

 二〇二五年、十月十九日、日曜、十二時すぎ。
 M市の、東亜重工M工場の格納庫に集まった人々は、特定の個人の体細胞から育成されたクローンでバイオロイドのレプリカンだ。
 クラリック階級は位によって意識内侵入するセルが決められている。
 アーク位が意識内侵入したネオテニー(人類)のネオロイドが、ネオテニー社会を経済的に発展させて支配し、ネオロイドの子孫に、再度、アーク位が意識内侵入をくりかえしてネオロイドとなり、経済支配を維持してきた。その結果が現在のネオテニー社会だ。
 ビショップ位は、ネオテニーの配偶子を使って培養した独自のバイオロイドをセルにしてペルソナとなり、ペルソナの子孫に意識内侵入をくりかえした。
 プリースト位は立場によってネオロイドやペルソナになるが、ほとんどがアークの指示に従い、人として暮すネオテニーから得た体細胞によるクローンのバイオロイドをセルにしてレプリカンになるか、あるいは、レプリカンの子孫に意識内侵入をくりかえした。


 細面で鼻筋の通った長身の、肩までの髪のリエが近づいた。
「ショウゴ、お帰り!亜空間転移ターミナルが消えたから、もどれないと思ってた。
 四日も、もどるのが遅れたから心配した」
 リエはショウゴを抱きしめた。ニオブは思念波を感知する。リエは思念波を使わずに、亜空間転移ターミナルを修復していたプリースト・リエのレプリカンを演じている。

「ああ、何とかこの時空間にとどまれた」
 ショウゴもクラリックに思考を気づかれぬように、プロミドンが新たに精神の一郭に用意した空間へ自己意識を移行し、精神空間思考しながら、鳶から省吾のレプリカンに意識内侵入したクラリック、プリースト・ショウゴを演じて、リエを見た。
 リエの目は理惠より切れ長だ。顔のほくろは同じだ。クラリックは菅野を洗脳して、保健省の家族健康調査で理恵の体細胞を手にいれたのだろう・・・。

 リエはショウゴの腕をとってカプセル保管庫から巨大格納庫へ歩いた。
「どこへ行く?」
「格納庫で、芳牟田会長の緊急説明があるの」
「監視は?」
「誰の監視?」
 リエは怪訝な顔でショウゴを見た。
 ショウゴは天井を示した。
「クラリックのアーク・ヨヒム(精神生命体ニオブのクラリック階級アーク位・ヨヒム)の監視と、上空からの監視」

 精神生命体ニオブのクラリック階級は上位から、アーク位、ビショップ位、プリースト位、ディーコン位がある。
 一方、アーマー階級は、ジェネラル位、オフィサー位、ソルジャー位。一般市民のポーン階級はシチズン位とコモンであり、シチズン位はニオブの種、コモン位はトトの種である。
 そして今日まで、クラリック階級アーク位、ビショップ位、プリースト位はネオテニー(人間)社会を支配しようとして、アーマー階級とポーン階級とクラリック階級ディーコン位と対立している。


「アーク・ヨヒムは我々を監視しない。偵察衛星はポートしか監視できないよ」
 リエは眼で巨大格納庫の外を示した。
「そうだったな」
 ショウゴは精神空間思考領域から、プリースト・ショウゴのセルの分子記憶を探った。

 東亜重工M工場の離着陸ポートの地下に、実射可能なミサイルサイロと、ロケットエンジンの地下噴射実験場がある。噴射実験場の噴射ガスは地下で処理され地上に噴出しないが、ポート末端に発射口があるミサイルサイロの噴射ガスは撒水で温度を下げて水蒸気とともに、空調の熱交換器を模した巨大な設備からそのまま地上に噴出される。
 統括情報庁と地球防衛軍が管理する情報収集衛星は十六機ある。日本上空の高度四百九十キロメートルには常時三機以上が周回し、非常の場合は百五十キロメートルまで降下して偵察する。
 ミサイルが発射された場合、ミサイルと噴射ガスが情報収集衛星の熱探査対象になる。東亜重工M工場は格納庫のみならず、工場施設全てがこれら情報収集衛星に監視されぬようすべて電磁波遮蔽され、ミサイル攻撃に耐えられるよう耐爆撃構造になっている。


 どうやってアーク・ヨヒムを倒す?
 セル(人の身体)内のクラリックは特殊電磁パルスで消滅する。セルを破壊しても消滅する。この研究所と工場は、ミサイルのほかに特殊武器を作っている。ミサイルでアーク・ヨヒムのセル・吉牟田を破壊す方法もあるが、逃げ遅れたら俺たちが消滅する・・・。
 レーザーや電磁パルス、レール・ガンを使うには、セルの吉牟田をそれら武器のターゲットにしてロックしなければならないがそれは不可能に近い。ここから政府をミサイル攻撃して、地球防衛軍にここを攻撃させるのが最良だが、耐爆撃構造の施設を破壊するのは時間がかかる。その間、セルの吉牟田が逃亡しないように拘束しなければならないが、拘束が可能なら特殊武器でロックできる・・・。

 吉牟田はアーク・ヨヒムに意識内侵入され、本来の意識と精神を消滅されて身体を乗っ取られたネオロイドだ。アーク・ヨヒムはセルの吉牟田が破壊されるのを想定し、乗り移れる他のセルをどこかに用意してるはずだ。アーク・ヨヒムのネオロイドの芳牟田に子孫はいない。乗り移るのはペルソナだ。それを破壊しよう。いや、アーク・ヨヒムに用意されているのはペソナだけじゃない。緊急時はここで作られたすべてのバイオロイドに乗り移る可能性がある・・・・。
 俺を狙撃したレプリカンは二人だったが、思念波攻撃が一人だったのはなぜだ?俺を襲った鳶のレプリカンの任務は、思念波攻撃でモーザを奪うだけだったのか?それならこのセルは・・・・。
「任務を失敗したこのセル、つまり俺は、処分される・・・」
ショウゴとリエはカプセル保管庫から巨大格納庫へ移動した。
「処分されないよ。バイオロイドの育成に時間がかかるの。
 クラリック(精神生命体ニオブのクラリック階級)のアーク位たちは、これ以上、クラリック階級の系列(アーク位、ビショップ位、プリースト位のニオブの精神エネルギーマス系列)も、作ったセル(ネオロイド、ペルソナ、レプリカン)も失うわけにはゆかないんだよ」
 リエは説明する・・・。

 倉本と田辺、狙撃手二人と八人の工作員、河本と村野、省吾を思念波攻撃した鳶のレプリカン、これらでニオブの精神エネルギーマスは十五系列が、使っていたセルを消失または破壊された。
 工作員の系列は亜空間移動で逃れてすでに新たなセルを得ているため消滅していない。倉本と田辺と狙撃手の二人と河本と村野はセルを破壊されて完全に消滅し、鳶のレプリカンに意識内侵入していたクラリックは鳶を破壊されて消滅した。
 その破壊した鳶をマリオンが修復し、鳶に省吾の思念・ショウゴが精神共棲してここに侵入したがクラリックは、省吾の思念・ショウゴが進入したとは気づいていない。


 格納庫の奥の大型ディスプレイに、小柄な白髪の男、アーク・ヨヒムのネオロイド・芳牟田の映像が現れた。あいかわらずくどい説明をしている。
「倉本と田辺は、我々が築いた世界を独占しようとしたため、私がふたりを消滅した。
 狙撃に失敗したギイとリルは、アーマー(アーマー階級の精神生命体ニオブ)にセルを破壊されて消滅した。
 河本と村野は、私の指示を無視してミサイル攻撃し、アーマーにセルを破壊されて消滅した・・・。
 我々が築いた世界をアーマーとネオテニーに支配させてはならぬが・・・」


 有史以来、精神生命体ニオブのクラリック階級アーク位の老いたヨヒム系列は、ネオテニー(人間)社会を支配しようとしてきた。これに対し、精神生命体ニオブのアーマー階級たちはネオテニーが隷属されるのをただ見ていたわけではない。
 アーマー階級とポーン階級とクラリック階級のディーコン位たちは、ネオテニーたちに精神共棲し、常に、クラリック階級の支配に対抗し、支配的立場にいるアーク位のネオロイドをネオテニー社会の地位から引き降ろしてきた。
 クラリック階級アーク位の次席位、ビショップ位とプリースト位の若い系列は、老いたアーク・ヨヒム系列がくりかえす支配思想に嫌気がさしてる。彼らを利用してヨヒムを監禁したい・・・。
 俺の精神空間思考はクラリックに気づかれてない・・・。
 ショウゴはリエの腕をとって、他の者に気づかれぬよう格納庫の隅へ移動した。

「ここではだめだよ。部屋へ行こう」
 リエはショウゴの耳元でささやき、ショウゴの唇に唇を触れた。ふたりの立場はプリースト・ショウゴとプリースト・リエだ。研究員のプリースト位の立場は、任務を遂行すれば行動も勤務もフリーだ。
「えっ?」
 ショウゴはリエの言葉に驚いた。リエはかんちがいしている。
「だって、アタシはショウゴと四日ぶりに会えたんだ。愛しあいたいぞ・・・。アークの演説は主旨を録画で確認できる・・・」
 リエはショウゴの唇を見つめている。

 ショウゴはリエの話し方を懐かしく感じた。レプリカンを演じるリエが精神空間思考していないのが気になり、リエの耳元でささやく。
「わかった。部屋へ行こう」
「うん・・・」
 リエはふりむき、胸の高さで目の前の壁を撫でた。
 人が通れるほどに壁がスライドして入口が開いた。

 二人が通路のような長い空間へ入ると背後で壁が閉じた。
 ショウゴはふりかえって閉じた壁を見た。壁自体が生体センサーで照明か?
「ショウゴも開けられるよ。壁自体が発光体だ。忘れたら分子記憶を読めばいい」
 リエは壁を見るショウゴを見ている。
「分子記憶の細部を読みとれないんだ・・・」
「一時的な意識混濁だ。時間がたてばどうすればいいかわかる」
「そうだな・・・」

 しばらく歩いてリエは立ち止り、ショウゴを強く抱きしめた。身体を密着させてショウゴの頭を両手でつかみ、激しく唇を重ねた。
「格納庫のゲートには監視センサーがある。私たちのことは見られたくない。
 ここなら見られていない。心配だったんだぞ。他の者たちの前で顔にだせなかったけど」
 リエは密着した身体をさらに擦りつけ、ショウゴの背を手と腕で撫でて、小鳥が餌をついばむように何度も唇を重ね、四日ぶりにあったレプリカンを演じている。

「すまない・・・」
 ショウゴはリエのくびれたしなやかな腰に腕をまわして、レプリカンのプリースト・ショウゴを演じようと思いながら、リエの背と尻を撫でた。リエの背と尻が心地よく手になじんでいる。胸にあたるリエの胸と、背を撫でるリエの手が暖かでほっとする。リエと俺の精神の奥から湧きあがるこの感覚、これは省吾と理恵の精神だ・・・。
 ショウゴは自身のセルに、省吾の体細胞から培養したバイオロイドの分子記憶を感じた。
 リエは俺の妻だ。俺たちの精神エネルギーマスは、セルの分子記憶で、少しずつオリジナルのネオテニーの精神と意識に近づいてる・・・。
 この現象はクラリックだけじゃない。ネオテニーに精神共棲してるアーマー(精神生命体ニオブのアーマー階級)とポーン(精神生命体ニオブの一般市民階級)とクラリックのディーコン(精神生命体ニオブのクラリック階級ディーコン位)にもあてはまる。精神生命体の全てのエネルギーマスに生ずる現象だ。若い系列が老いたヨヒム系列に嫌気がさしてるのはそのためだ。
 だが、ヨヒムはその事実を認識していない・・・。

「愛する妻に、心配かけてはいけないな」
「そうよ。私を独りにしない(・・・・・・・・)でね」
 リエは何度も唇を重ねている。マリオンと理恵の言い方だ。
「ああ、一人にしない。早く行こう」
「うん!」
 リエは腕を解いてショウゴの手を握った。
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