二十三 再設定

文字数 3,579文字

 二〇三二年、十一月十九日、金曜、十九時。
 R市、帝都大学大学院工学研究科、土木建築工学系列土木建築学系、第一研究室

 谷底の霧の中から、玄武岩の柱状節理が迫り、ゆっくり身体が回転した。玄武岩の先端に後頭部がぶつかった瞬間、
「わあっ!」
 と叫び、目が覚めた。

 天井の白い石膏ボードが見えた。シューと音をたててガスストーブが赤々と燃え、壁の時計がコチコチ秒を刻んでいる。省吾は暖まったリノリュームの床に仰向けに寝ていた。

 床で後頭部をしたたか打ったはずだ・・・。
 手を触れても異常はない。起きあがってソファーベッドに座りこんだ。
 夢だった。現実でなくて良かった・・・・。
 壁に二〇三二年のカレンダーがある。
 時計は、二〇三二年、十一月十九日、金曜、十九時を示している。
 二〇二七年でも、二〇二八年でもない・・・。記憶がはっきりしない。床に後頭部を打ったせいか?あまりひどければ病院へ行こう・・・。

 机の目覚まし時計が鳴った。
 なんでこんな時間に・・・。
 そうだ!実験を終えたら眠いのでしばらく仮眠したんだ・・・。
 これから何かする予定だったはずだ・・・。何だったろう?
 身体がだるい。節々が痛む・・・。疲れが酷いな・・・。


 コツコツと廊下に靴音が響いた。実験室のドアがノックされ
「今晩は。すみません・・・」
 声がした。
 ドアを開けると、ポニーテールの理恵が、実験室のドアから顔をのぞかせ、
「ああ、良かった~。あなたがいて!」
 パステルピンクとブルーの毛糸の手袋をした、耀子の小さな手を引いて入ってきた。
 耀子はパステルトーンのグリーンとイエローとブラウンの、大きなチェック柄の防寒ウエアを着こみ、理恵は黒のタートルネックのセーターに、ダークグリーンの、グレンチェック・ウールコートを着ている。二人とも見覚えある服装だ・・・。

「おとうさん、むかえにきたよ~」
 耀子が、まぶかに被ったパステルピンクとブルーの毛糸の帽子を脱いだ。天然パーマの薄茶の巻き毛が現れている。耀子が大きなまん丸の目を、ラキラさせて笑顔でいう。
「きょうは~、ようちゃんと~、おかあさんと~、おとうさんの~、おたんじょうの、お祝いの日だよ~」
「二人であなたを迎えにきました。ねっ!」
 理恵は耀子を抱きあげて省吾に抱かせ、省吾と耀子を抱きしめた。
「うん、きましたあ~」
 省吾は理恵と耀子の匂いに包まれた。理恵の省吾への思い、何事にも興味を持つ耀子の思いと暖かさが伝わってくる。

「すまない。実験を終えたら、あまりに疲れたんで、眠ってた・・・」
 省吾は、理恵の頬と耀子の頬に唇を触れた。
「近藤のおじちゃんたちが、はやく社長をつれてこいって、ビュッフェでまってるよ~」
 耀子は省吾の顔のざらつく髭を撫でている。
「社長業は、卒業まで私にまかせる事ね。近藤さんや立原さん、馬谷さんがいるから、心配ないよ。早苗ちゃんも真理ちゃんも卓磨君も、そうするのに賛成してる」
 耀子が省吾を見て理恵を真似る。
「近藤のおじちゃんも、そういってるよ~」
「近藤さんの奥さん、京子さんも来てるわよ。恵美子お姉さんも、ご主人、高田さんといっしょに」
「そうだな」
 省吾は耀子に頬ずりした。
「あははっ、ひげがいたいよ~」
 耀子は笑っている。

『人間関係が記憶とちがう・・・』
『ちがっていいのよ』
「みんな待ってるから、早くゆきましょう。兄と由美子さんも来てるのよ」
「わかりました」
 省吾は理恵にマーマレードする。
『記憶と人間関係がちがっているが、気にしなくていいんだったな・・・』
『そうよ、考えてなくていい。ここは異なる時空間なの』
『わかった』

「よおし、帰ろう!バイキングだぞ!」
 耀子が省吾を真似る。
「かえろ~、バイキングだ~」
「おんぶと肩車のどっちがいい?」
 省吾は聞いた。
「おんぶ~」
「じゃあ、おんぶしよう」
 省吾は耀子を持ちあげて背負った。
「理恵、すまない。コートを持ってくれ。バッグは置いてゆく」
「いいわよ!よかったね~耀ちゃん、お母さんだけじゃなくって、お父さんにもおんぶしてほしかったんだよね~」
 理恵は省吾のコートを持って省吾の腕を取り、撫でている。省吾の腕が暖かくなった。

「ここまで、お母さんにおんぶしてもらって来たのか?」
「そうだよ~、おとうさん、いそがしいから・・・。
 飛行機もしてね!それから~、スーパーマンと~、メリーゴーランドと~」
「じゃあ、エレベーターホールでしてあげるね。電気を消してください」
「は~い」
 省吾と理恵は自室からでて、おんぶしている耀子に照明を消してもらった。
「じゃあ、耀ちゃん、実験室のも消してくださいね」と理恵。
「は~い」
 耀子が照明を消した。省吾たちは実験室をでて施錠した。

 エレベーターホールへ行って、耀子を小脇に抱えて、スーパーマンが飛行しているように、耀子の手と足をまっすぐ伸ばさせた。
「飛ぶぞースーパーマンだ!」
 耀子を上下させてホールを歩きまわり、両腕を左右に広げ、
「飛行機~」
 右へ左へ旋回し、
「メリーゴーランド」
 両脇の下に両腕を通して持ちあげ、省吾を中心にハンマー投げの旋回のように耀子を回した。
「あははっ、あははっ、目がまわるよ~、あははっ、おもしろいよ~あはは、あは、アハ・・・」
 目を回してはいけないので、あわてて旋回を止める。耀子がはあはあ息をしながら、ゲラゲラ笑っている。
「もっとして!もっとして!」
「これ以上すると目が回るわよ。おなかがでんぐり返って、大好きなイチゴのケーキ、食べれないわよ」
 理恵が笑いながらエレベーターの下りボタンを押した。
 待機しているエレベーターのドアが開いた。
「うん、わかった!またしてね、おとうさん!」
「わかりました。おんぶしようね」
 省吾はその場にしゃがみ、耀子に背をむけた。
「は~い」
 耀子が背にしがみついた。省吾は耀子を背負って立ちあがった。
 耀子は、省吾におんぶされたまま、身体を左右に振っている。気分はまだ、メリーゴーランドの木馬に乗っている。

 エレベーターで十階から一階へ降りる。
 理恵からあの懐かしい香りが漂った。省吾が好きな懐かしい匂いだ。理恵の優しいまなざしを感じる。


 一階の玄関ドアは開いたままだった。玄関をでると理恵が省吾の腕を取った。土木建築工学科二部の事務室と研究室に照明が灯り、実験している。
「実験してるね。初めてあなたと歩いた夜を思いだすわ」
「学部の卒研発表まで三ヶ月、その後に修士論文研究発表だからね」
 省吾は帝都大学大学院、工学研究科土木建設工学専攻の二年、修士論文のために実験をしている。大学と外語会話教材機器販売と、家庭教師、語学学校の経営で忙しく、睡眠不足だった。

 たしか、耀子が生まれたのは二〇二九年の三月十七日だ。理恵の誕生日は九月十七日。俺の誕生日はいつだろう?俺が『横山・会話教材機器販売』の社長なのか?
 理恵が精神空間思考で伝える。
『時空間は二〇三二年にリセットされたの。
 耀子が生まれたのは二〇二九年十一月十七日よ。私の誕生日は十月二十四日、あなたの誕生日は十一月二十八日。耀子の誕生日祝いにまとめてお祝いしてる・・・』

 理恵の頭上に小さな烏が現れた。
『家族あってのショウゴだぞ。
 過去にこだわらず、時間をかけて慎重に現状を把握するんだ。
 精神生命体ニオブのクラリック階級は、我々アーマー階級が殲滅する。
 ショウゴはモーザを使って地上を民主化するのだぞ』
 理恵の頭上の烏が懐かしい顔の精神生命体ニオブに変身した。理恵の精神と意識を支えているマリオンだ。
『わかった。理恵も耀子も、絶対、独りにはしない』
 ショウゴはリエにそう伝えた。


 二〇三二年、十一月十九日、金曜、十九時。
 ガイア周回軌道上の偵察艦内で、精神生命体ニオブのアーマー階級のヨーナは四次元立体座標の赤い輝点を示して、モーレ、シャオリン、ケイ、ユーミンに指示した。
『新たな時空間のクラリックを殲滅する。三人のバックアップ用レプリカンと、意識バックアップを用意しておけ。
 ひきつづきショウゴたちレプリカンの警護と、クラリックのネオロイドを監視してくれ。
 クラリックがショウゴたちのような、精神思考概念を持つレプリカンやペルソナを使う可能性がある。探査を怠るな』

『了解しました。もうしばらく、幸恵でいたかったね』
 とモーレ。シャオリンが伝える。
『沙織のまま、耀子と話したいな』
『すぐに会えるよ。二人とともに、私たちも京子と由美子として警護に行くんだから』
 ケイがユーミンが伝えた。
『ショウゴもリエもヨウコも、最初に省吾と理惠と耀子が落下したときに入れ代ったのに、自分たちがレプリカンとは気づかず、省吾と理惠と耀子と信じ切っている。作戦は成功だ・・・』
 ヨーナが納得している。

(Ⅳ World wide③ 独りにはしない 了)
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