一 クラリックの偵察隊

文字数 3,870文字




 二〇二五年、十月二十六日、日曜、八時。
 いつものようにN市W区の田村家のポートに、N県検警特捜局(N県検察警察特別行動捜査局)の巡回ヴィークルと搬送装甲ヴィークルが入ってきた。
 色づきはじめたナナカマドがある家の南西側にヴィークルが駐車し、検警特捜部員が違反ヴィークルを取り締り、周囲を監視している。
 ポートの四隅と北西の市道の東西、唐松にかこまれたW神社のポートと神社は、黒の大型ワゴンヴィークルが二十四時間態勢で警備している。狙撃事件後から毎日くりかえされる光景だ。


 十時前。
「せんせい、お腹すいた・・・・」
 机の右で、理恵がバーチャルキイボードの手をとめた。潤んだ瞳で省吾を見ている。空腹を訴える子供の顔だ。

 朝飯をすませて二時間がすぎている。セキュリティモニターの室温表示は二十五℃だ。
「風邪をひいてないか?」
 省吾は椅子を移動して理恵の額に手を触れた。いつもの体温だ。
 理恵が幼児のような表情でいう。
「元気だよ。子供たちが、お腹すいたといってるよ」

 省吾は書いている『オーブ』を上書き保存し、デスクトップパソコンの電源を切った。
『オーブ』は、社会の水面下で生じている内容に変ってきている。省吾たちに生じた現実なのだが、全てが暗黙裏に処理されてきたため、『オーブ』が現実と思っている者はいない。出版社の担当の木村も、ニュース内容をいち早く作品に取りいれている、としか考えていない。

「コーヒーをいれる。何を食べたい?」
「マーマレードのバタートーストと、イチゴジャムのバタートースト・・・」
 理恵はそういって口元に笑みを浮かべた。ほんとうはオムライスを食べたのだ・・・。
「トーストよりオムライス。チキンぬき、小魚入りケチャップ炒めご飯。あっさり味、野菜の微塵切り炒めが入ったのを食べたいんだろう?」と省吾。
 理恵は肉を食べない。意図して食べないのではない。体質的に無理なのだ。理恵の好きな麻婆茄子もグルテンミートを使う。

「本当はそうなんだけど、今から作るんじゃ、早めの昼ご飯になるから・・・」
 思考が浮かぶ。マリオンからだ。
 意識とは、自分の状況がはっきりわかる心の状態。思念がこれだ。
 精神は、思考や感情の働きを司る人間の心。
 精神空間思考、これは時空間転移伝播する。

「気にしなくていい。俺も食べたいんだ。よし、すぐ作る」
 省吾が椅子から立つと
「私もキッチンへ行く。作るの、見てる・・・」
 理恵も立ちあがった。

 コーヒーメーカーにコーヒーと水をセットし、スイッチをいれた。
 玉葱やニンジン、セロリなど、野菜を微塵切りにし、炒めて小皿に移す。
 縮緬雑魚をフライパンで炒めて生臭みをとり、小皿に移す。
 フライパンにバターを融かし、ご飯をいれて炒め、ケチャップをいれ、さらに炒め、皿に移した野菜と縮緬雑魚をいれ、縮緬雑魚の塩気に調味料と胡椒で味を整え、皿に盛りつける。
 玉子三個を溶いて、熱したフライパンにバターを融かし、玉子を投入してオムレツにする。
 半熟状態で形を整え、炒めたご飯全体をオムレツの表で包み、オムレツの焼けた面を開いて半熟部が現れるようにしてオムライスの完成。

「はいよ!」
 オムライスの皿とスプーンをテーブルに置いた。
「いっただきま~すっ!」
 理恵は、スプーンを握ってオムライスを口へ運び、食べながらいう。
「おいしい!ごめんね。私のが先で」
「気にするな。コーヒーをいれる」
 省吾は、ケチャップ炒めご飯を作りながら、コーヒーをカップに注ぎ、理恵の前に置いた。

「あわてないで、よく噛むんだぞ」
「うん、先生のは?」
 理恵が、大きな眼で省吾を見あげる。
「これで完成だ。玉子を焼きすぎた・・・」
「半分ずつにする?」
 理恵は、半分以上残っているオムライスを示した。
「理恵はそれを全部食べて。焼きすぎは理恵には無理だ」
 焼きすぎの玉子を、理恵は、鶏肉の匂いがする、という。
 確かに半熟とは匂いがちがう。理恵と暮すまで匂いの違いに省吾は気づかなかった。

 できあがったオムライスをテーブルに置いてスプーンをとった。
 オープンキッチンの窓辺を、大小の影が横切った。
「何?今のは?」
 オムライスを食べながら理恵が答える。
「クラリックの偵察隊だよ・・・」
「クラリックは、この家に近づけないはずだぞ」
 省吾はポートを見た。一羽の鳶と複数の雀が舞いおりている。ポートに鳶や雀の餌はない。

「訓練された本物の鳶と雀だよ」
 理恵は話しながらオムライスを口へ運ぶ。
 鳶と雀が一瞬に飛び去って、数羽の烏が舞いおりた。
 烏は周囲を警戒している。上空にも数羽が飛びまわっている。
「烏は本物?」
 理恵がオムライスを食べながらいう。
「本物だよ。私たちアーマーに協力して警戒してる」

「偵察隊って、どういうこと?」
 理恵がコーヒーを飲みながら説明する。マリオンが現れている。
「私たちアーマーは烏に変異して、本物の烏とともに生活し、彼らが安全に暮せるよう彼らを教育してきた。
 彼らは私たちに、見知った全てを知らせてくれる。彼らはアーマーの協力者で友だ。
 クラリックの一部が、私たちと同じことをはじめたらしい。
 クラリックが利用してるバイオロイドは、多くが猛禽類のセルだ。
 鳥の世界は、一羽なら猛禽類が最強だ。クラリックは猛禽類のバイオロイドを使って、本物の猛禽類と、たくさんいる雀を、天然の偵察隊に教育した・・・」

「何を探っていった?」
 省吾は飛び去った鳶と雀を思った。
「何もわからなかったみたい・・・」と理恵。
「アーク・ヨヒムは消滅してないのか?」
「ヨヒムの宇宙戦艦は内部を爆破されたまま、今も亜空間を漂ってる。
 艦内時空間は、プロミドンによって閉じられままだ。艦内クラリックの消滅はわからない。存在しても、閉じられた時空間からは出られない」とマリオン。

 また思考が浮かぶ。マリオンの精神空間思考が伝える、プリースト・ヨダの論文の一部だ。

 プロミドンは素粒子信号を平行時空間へ転移伝播させる。精神空間思考と同じで、素粒子信号を亜空間転移せずに時空間転移・スキップさせる。
 電磁波が電界と磁界の単一亜空間を転移伝播するのに対し、クラリックの思念波は種々の亜空間を転移伝播して、電磁遮蔽した時空間に侵入する。
 クラリックの艦は、艦自体の時空間を閉じたまま、クラリックが作った閉じられた亜空間に浮遊している。艦の時空間を開閉できるのは、プロミドンの素粒子信号だけだ。

 人の精神は精神DarkMatterに保護された精神Higgs場に、神経細胞が持つ、あるいは、各組織の分子組織が持つ、その個体特有な意識電子Networkを構成する個性だ。

 意識は常時電流がある電子Network。
 思考は休止している電子Networkに電流が流れ、新たなNetworkが生まれるか、休止Networkが復活することだ。
 創造する、記憶する、思い出す、すべて同じだ。意識と思考は電子Networkから電磁波を発生させて、電磁波による(電界と磁界が織りなす色とりどりの)単一亜空間を構成することである。

 精神空間思考は、精神DarkMatteが精神Higgs場の個体特有な意識電子Networkから、意識や思考などのEnergyを吸収して素粒子信号に変換し、DarkMatte内による精神Higgs場に思考の時空間を構成して素粒子信号を留めるか、精神DarkMatterが構成する時空間路・Wormholeで素粒子信号を時空間転送することだ。

 ニオブの精神はDarkMatteであり、意識はDarkMatteによって保護された精神Higgs場に存在する常時電流がある電子Networkだ。
 電子Network内に電流が流れると、それによって生まれた電子Circuitから磁界が生まれ、DarkMatterと磁界によって、意識電子Network内に新たな精神Higgs場の亜空間を構成し、思考が生まれる。
 発生した思考亜空間はNetworkの間隙からDarkMatteで他の亜空間へつながる。これがニオブの思考と意思疎通の方法だ。これによってニオブは自身を他の時空間へ転送する。意識電子Networkは他の意識や思考の電磁波と電流をEnergyとして取りこむため、人の思考を読む。

 モーザは所有者に同調したDarkMatterの球体。所有者からの意識や思考をEnergyとして吸収して素粒子信号に変換し、モーザDarkMatter(精神Higgs場)が構成する時空間路・Wormholeで素粒子信号を時空間転移伝搬する。
 プロミドンはモーザ同様に、素粒子信号を時空間転移伝播させる。精神空間思考と同じで、素粒子信号を亜空間転移せずにスキップ(時空間転移)させる。


「誰が偵察隊に指示してる?」
 そういって省吾はオムライスを口へ運んだ。
「ヨヒムの次席アークと、ビショップらしい」

「何をする気だろう・・・」
「アーマーたちに探ってもらう」
 マリオンの気配が薄れた。理恵がオムライスを口へ運ぶ省吾を見ている。
「あっ、ごめん。コーヒーのおかわりは?」
「少し飲みたい・・・」
 理恵はオムライスの皿を片づけ、省吾の左横へ椅子をひいて座り、
「話はここまで・・・」
 省吾の左腕を抱きしめてもたれている。

「しばらく休んだら、体操するね・・・」
 理恵はいつも仕事場にマットを敷き、一連の基礎体操を行っている。体操はいずれもゆったりとした動きの有酸素運動だ。それでも各部筋力はかなり強化される。いずれ、妊婦体操に変るはずだ。
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