十三 銀河の精神に誓って

文字数 7,150文字

 アダムがティカルを発った翌日(二〇八〇年、九月十七日、火曜、ティカル二十三時)。
 二〇八〇年、九月十八日、水曜、バクダッド八時。(上海十三時。バンコク十二時。ローマ七時)

 バクダッドの統合政府ビル統合議長執務室でアラームが鳴った。執務室はオート多重位相反転シールドされず、デスク上の空間に現れたバーチャルディスプレイが、照射されるビームが馴染みの3D映像用偏向電磁波だと解析結果を示した。チャン・ミンスクが解析結果を確認すると、バーチャルディスプレイは消えた。

 数秒後。
 執務室内に優性保護財団総裁、オイラー・ホイヘンスの3D映像が現れた。
「ミンスク、元気か?」
 いつもと違う鮮明な3D映像に、統合議長チャン・ミンスク(地球国家連邦共和国・統合政府議会議長、地球国家連邦共和国・統合政府議会対策評議会評議委員長(統合評議委員長)を兼務)は困惑したが平静を装った。

 チャン・ミンスクは、ミュンヘン大学政治学教授チャン・ヨンハン(チャン・ジョンファン)の息子で、前任の統合議長チャン・カンスンは、父ヨンハンの大叔父である。
 アレクセイ・ラビシャン教授とネリーの夫妻が、ユリとカオリをティカルに保護して以来、ミンスクの父のチャン・ヨンハンは、アダム・ラビシャンの父、アジア考古古生物学会会長とアジア連邦議員を歴任したアンドレ・ラビシャンの親友である。つまり、親友である父親たちの子が、アダムとミンスクである。

「いつも若いな。リンレイは元気か?」
 リンレイはチャン・ミンスクの姪で、優性保護財団で働いている。
「ああ、よく働いてるよ」
 ホイヘンスの3D映像がソファーに座った。

 ミンスクは執務机から立って、背後の壁に手を触れた。壁からミニバーカウンターが現れた。ミンスクはグラスに飲み物を二つ作り、ホイヘンスの前のテーブルに置いてソファーへ座った。3D映像のホイヘンスは飲み物を飲めないが、こうして作るのがチャン家の礼儀だとミンスクは思っている。
 グラスに手をつけぬままミンスクは言う。
「今度は何かね?今のところ、統合議員に臓器を必要とする者は居ないよ」
 ホイヘンスは、優先的に統合政府要人に移植臓器を提供している。

「移植じゃないんだ。地球防衛軍を指揮してパラボーラを稼動したのが誰か教えて欲しい」
 ホイヘンスの質問に、ミンスクはしばらく間をおいて話し始めた。

「五年前は、ケープタウンのテーブルマウンテンが爆発した。
 二日前はベネズエラ、ギアナ高地のテーブルマウンテンが破壊された。現地報道機関が、巨大宇宙艦と攻撃艦が現れて戦闘ヴィークルと交戦したと知らせてきた。
 ペルーのナスカ高原に駐留してる地球防衛軍の演習で機密だ、と報道機関を抑えておいた。事実を知られたら困るだろう?」
 ギアナ高地があるベネズエラは南コロンビア連邦に属している。ここには地球防衛軍の駐留軍基地はない。南コロンビア連邦に駐留する地球防衛軍の基地と本部はペルーのナスカ高原の地下にある。

「そうだな・・・」
 ミンスクは戦艦〈ホイヘンス〉の事実をどこまで知っているのだろう、とホイヘンスは思った。

「このくそ暑い時期に、君はいったい何をする気だ?
 臓器提供されていない議員たちは、君が宇宙艦船を造った件と、そこで行っていた研究の件で、統合政府(地球国家連邦共和国・統合政府)反逆罪を主張してる。これ以上、議員を抑えられない。統合評議会(地球国家連邦共和国・統合政府議会対策評議会)は評議せざるを得ない状態だ・・・。
 君はもう定年を過ぎている。統合政府反逆罪を宣告される前に、優性保護財団の総裁を辞職したまえ・・・。そうでないと永久禁錮刑になる・・・」

 ホイヘンスはミンスクが気になった。地球防衛軍関係者でないホイヘンスが宇宙戦艦を建造したのは反逆罪である。あえて統合政府反逆罪だと言う必要はないはずだ。他にも反逆罪を考えているのか・・・。
「いや、すまない。パラボーラのソーラー・ビームがテーブルマウンテンの八か所を破壊したから、対処方法を考えた結果だよ・・・」

 二十一世紀初頭、クリーンエネルギーを得るため、統合政府は、高度三万六千キロメートルの静止衛星軌道上に、七基の巨大な太陽光集光装置パラボーラを打ち上げた。巨大パラボラ反射鏡で太陽エネルギーを集光し、マイクロ波に変換して地上へ伝播するエネルギー供給システムである。
 だが、パラボーラは単なるエネルギー供給システムではない。地球やパラボーラに衝突する可能性がある流星や隕石に、集光した太陽エネルギーを各種ビームに変換して照射する、自動防御システムを備えた超弩級のビーム兵器だ。非常時は地球防衛軍の管理下になるインフラである。


「地球防衛軍は、地球外からの攻撃や地球に破壊を及す現象に対処するだけではない。
 地球存続のために地質調査も行う。資源開発もする。資源開発のために地質調査に使うと要請があれば、エネルギー供給のインフラであろうと、我々はそれに応えねばならない」
 ミンスクは、ティカルの地球防衛軍がホイヘンスの研究施設を攻撃した事実と、攻撃を指揮した人物の明言を避けた。ティカルの地球防衛軍そのものが、評議委員会の機密だ。

「アダム・ラビシャンか?」
 ホイヘンスは覗きこむようにミンスクの目を見た。

 アダム・ラビシャンは、アレクセイ・ラビシャンの孫で、アンドレ・ラビシャンの息子である。前任の統合評議委員ジョージ・ミラー(アジア連邦議長(アジア連邦共和国政府議会議長))と前任のアントニオ・コルテス(南コロンビア連邦議長(南コロンビア連邦共和国政府議会議長))、前任の統合評議委員長チャン・カンスン(地球国家連邦共和国・統合政府議会対策評議会評議委員長)のバックアップにより、アダム・ラビシャンはアジア考古古生物学会の理事から同学会長、そして、アジア連邦議員を経て、アジア連邦議長と統合議員(地球国家連邦共和国・統合政府議会議員)、すなわち、統合評議会(地球国家連邦共和国・統合政府議会対策評議会)の統合評議委員(連邦統合政府議会対策評議会評議委員)に就任した。
 就任後のアダムは、祖父アレクセイ・ラビシャンの意を汲んで、あらゆる口実を並べて、ティカルで誕生した新人類トムソを兵士にし、祖父が指揮するティカルの地球防衛軍駐留基地に居留させた。
 数年前には、ティカル駐留軍をティカルで誕生したトムソの兵士だけにしている。
 すでに戦艦〈ホイヘンス〉から救出した八百名余りのトムソも、思考記憶管理システムでカムトたちの記憶を共有し、全員が兵士である。
 これらの事実はこれまで同様に、統合評議会(地球国家連邦共和国・統合政府議会対策評議会)のみが知る機密である。


 ミンスクはホイヘンスのまなざしを避けて顔を背けた。
「統合政府反逆罪を宣告される前に辞職するんだ。議会との対立は避けろ。君の人生は、我々より長いはずだ」
 ミンスクは、ホイヘンスがホイヘンス自身に施しているであろう臓器移植を暗に示した。
「ありがとう、ミンスク。しばらく考えさせてくれ・・・」
「期間は?」
「二ヶ月したら結論を出すよ・・・」
「統合議会は毎月二十日だ。二ヶ月後なら十一月の末だ。それまでに二回の統合議会がある。早くしないと、統合議会公聴会で君の罪状が決まってしまう」
「慌てる事はない・・・。それでは、また・・・」
 ソファーに座るホイヘンスの3D映像が消えた。


 ミンスクはソファーからデスクに戻った。ふたたびバーチャルディスプレイが現れて、3D映像ビームと思考記憶探査ビーム照射が続いている、と警告している。両ビームの発信源は、この統合政府ビルの上空一千メートルに滞空する、サッカーボールほどの球状浮遊体のモーザからだった。

 ミンスクはバーチャルディスプレイに指を触れた。執務室外殻がスライドして執務室を遮蔽し、さらに多重位相反転シールドが執務室を覆った。
 これで室内の状況はモーザに知られない・・・。
 ミンスクは安堵のため息をついた。
 ギアナ高地のテーブルマウンテン内の研究施設は戦艦だった。アダムたちが〈ホイヘンス〉と名づけた戦艦は、今、三万六千キロメートル上空のパラボーラと同じ静止衛星軌道上にいる。ホイヘンスは戦艦〈ホイヘンス〉を中継して、モーザで我々を探っている。我々がパラボーラで戦艦〈ホイヘンス〉を攻撃できるのを知らずに・・・。


 バンコク優性保護財団の総裁執務室からミンスクの3D映像が消えた。
 ホイヘンスは立ち上がって外を見た。あいかわらず優性保護財団ビルの最上階から見えるのは、数百メートル離れて隣接するビル群とそれらを繋ぐ架橋だけだ。百数十階下のバンコクの地上は霧で、皆目、不明だ。

「外部管理部へ下ろしてくれ」
 ホイヘンスの指示と同時に、執務室の外部隔壁が上下と左右から四重にスライドし、窓とドアを覆った。外部から完全に遮断された執務室は、静かに速度を増して下降した。

 執務室が停止して壁が四重にスライドした。ホイヘンスは執務室から外部管理部へ歩いた。外部管理部の十三のコンソールは、各バーチャルディスプレイに、モーザからの映像と監視システムの映像が現れている。
「統合議長執務室がシールドされました。探査不能です。総裁と会話中の統合議長は三重思考で、自己意識の識別は不可能でした」
 管理部長セシル・ミラー(ジョージ・ミラーの姪。戦艦〈ホイヘンス〉に搭乗しているシンデイー・ミラーの母)が、メインコンソールに着いたホイヘンスに報告した。

 ホイヘンスはセシルの態度に苛立ったが感情を抑えた。
「思考機能を調べるんじゃない。本音を探れ。ミンスクは本音を探られないようにシールドしたんだ」
「わかりました」

 セシルは、静止衛星軌道上の戦艦〈ホイヘンス〉を中継し、統合政府ビル上空に滞空するモーザの思考記憶探査ビーム探査域を、統合議長執務室の小角から統合政府ビル全体の広角に切り換えた。政府職員が発する思考波と意識波と記憶波から、政府職員の無意識下にある、チャン・ミンスクの意識に基づくものだけを探った。

 チャン・ミンスクの思考は政治家特有で本音と建前に大きな違いがあった。その場に合せて発言するのは他の政治家と同じだが、本音に関する強い意識波を放ちながら建前を発言する点が他の政治家と違っていた。そのため、政府職員の無意識下にチャン・ミンスクの多彩な思いが眠っていた。
 セシルは、思考記憶探査システム上で、政府職員の無意識下から共通形態の記憶波と意識波を集めて繋ぎ合せた。

「総裁、見てください。これは何でしょう?」
 思考意識探査システムが投影した3D映像は『銀河』だった。
「わからん」
 ホイヘンスは、専用ディスプレイに現れた銀河の3D映像を分析したが、結果は不明だった。


 バクダッド統合政府ビルの、統合議長執務室の隣室のドアが開いた。グラスを手にアダム・ラビシャンが現れた。
「カムトが話したとおりになったな・・・」
 アダムは脳裏に銀河を思い描きながら話している。
「ホイヘンスは戦艦〈ホイヘンス〉を中継して、モーザで我々を探ってる・・・」
 ミンスクは天井を指さした。

 ホイヘンスが建造した戦艦〈ホイヘンス〉から、トムソとモーリン・アネルセンたちを救出する以前、カムトは、『警戒システムをパラボーラにリンクさせない』と主張した。
 救出後の今も、ホイヘスがチャン・ミンスクの前に現れるのを予測して警戒システムをパラボーラにリンクさせなかった。
 警戒システムをリンクすれば、パラボーラの自動防御システムは戦艦〈ホイヘンス〉を外敵と判断して、パラボーラを超弩級のビーム兵器に変身させ、ただちに攻撃する。それも、戦艦〈ホイヘンス〉がモーザを発射したり、パラボーラや地上の施設を攻撃する前にである。

 ミンスクは脳裏に銀河を思い描きながら、ソファーの横に立ったアダムに訊いた。
「まあ、座ってくれ。ホイヘンスの目的は何だと思う?」
「立ったままでいい・・・。さっき話したように、ホイヘンスは、トムソを合法的に捕獲するか、合法的に抹殺するため、カムトたちの協力者を訊きに来たんだ・・・」
 アダムは、再度カムトの考えを説明して捕捉する。

 ホイヘンスが研究施設と称して宇宙戦艦を建造した事実は、統合政府に対する反逆罪で重罪だ。その中で行っていた強制的人工授精も同罪だ。
 統合議長をはじめ、統合議員の多くが、優性保護財団から臓器提供されて健康管理されてホイヘンスの紐つきだ。そのため、ホイヘンスは、自分の意見が統合議会を通ると考えるから、ホイヘンスは泳がされているのも知らずに現れた。
 地球防衛軍は、ティカル駐留軍が発見した偵察艦からニオブのヘリオス艦隊とプロミドンの存在を知ったが、どこにあるか不明だ。ホイヘンスも、ケープタウンのテーブルマウンテンから偵察艦を発見したが、まだヘリオス艦隊とプロミドンを見つけてはいない。ホイヘンスを叩くなら今しかない。

「アダムはどう考える?」
 ミンスクはトムソの能力を思いながらアダムを見た。
 トムソはニオブと人類の間に生まれた新しい種だ。能力は人類より遙かに優れている。反逆罪者のホイヘンスに肩入れすれば、臓器提供された統合議員はいずれ面目を失う。臨機応変に対処するしかない・・・。

 アダムはミンスクを睨んだ。
「今さら、何を訊きたい?」
「アダムの本音を聞かせてくれ」
「俺はずっと本音を話してる。今度はお前が本音を話すべきだ」
 アダムは目を伏せて、手のグラスを口へ運んだ。

「そうだったな・・・。
 事実、我々の種に未来はない。新しい種が生まれたのは必然だ。その証拠が人類に現れているから、ホイヘンスは財団に執着する・・・」
 目を伏せたままアダムが言う。
「それで?」
「言わなくてもわかるだろう・・・」
 ミンスクは、アダムに結論を言わせようとしている。

 アダムは勢いよく、空のグラスをテーブルに置いた。
「建前は主張にならない!
 お前は統合議長(地球国家連邦共和国・統合政府議会議長)で、統合評議委員長(地球国家連邦共和国・統合政府議会対策評議会評議委員長)なんだぞ!
 いつまで決定せずにいるんだ?いい加減にしろ!」
「そうだな。やはり、未来を新人類に託すしかない。
 ホイヘンスを排除する!」
 ミンスクの意識にある銀河が輝きを増した。

 アダムはミンスクを睨んだ。
「己の精神に誓って本気だな?」
「ああ、本気だ。私の存続に関わる。精神レベルを低下させるわけにはゆかない。
 それと、私はクラリックのようになる気はない。クラリックに乗っ取られる気もない」

「もう意志変更は不可能だ。リンレイをどうする?」
「マインドコトロールされてる。私を憶えていないだろう・・・」
「心配するな。モーリン・アネルセンは宗教科学者で精神科学者だ。
 分子記憶に詳しい分子生物学者のトーマス・バトンも居る。
 完璧に元に戻らぬ場合は我々が手を下せばいい。今の我々にとって女性は貴重だ。
 話を戻そう。
 ホイヘンス排除は統合評議会の重要決定だ。今後、今まで以上にトムソを支援する。そのつもりで祖父は防衛軍の指令権をカムトたちに委ねたのだ」

「いいだろう。オッタビアも同意してるんだな?」
 南コロンビア連邦議長(南コロンビア連邦共和国政府議会議長)で統合評議委員はオッタビア・コルテス。前任の連邦議長アントニオ・コルテスの娘だ。
「ああ、父親と同じ考えだ。アッキームも我々に賛同してる」
 統合評議委員のアッキーム・ザンベジ。五年前にケープタウンのテーブルマウンテンを破壊され、甚大な被害を受けたアフリカ連邦議長だ。
 これで、統合評議会の統合評議委員長と統合評議委員の計七名中、アダム・ラビシャン、チャン・ミンスク、オッタビア・コルテス、アッキーム・ザンベジの四名がホイヘンスの処分に賛同して、統合評議会がホイヘンスの処分を決定したのである。

「ホイヘンスはトムソと大隅たちの捕獲を合法化するため、我々をクローンと入れ換えるかも知れない。ミンスクも注意しろ。統合評議委員たちにも伝えてくれ」
 過去に、ホイヘンスは大隅教授たちを拉致し、彼らのクローンで世間を欺いた。クローン人間の存在が公にされなかったため、ホイヘンスが行った拉致事件は公になっていない。
「了解した」

「話は終りだ・・・。ホイヘンスは、まだ、探査してるか?」
 アダム・ラビシャンは執務室のドアノブに手をかけた。
 ミンスクは現れているバーチャルディスプレイを見た。
「小角探査から広角探査に切り換えた。職員全員の意識と思考を探ってる・・・」
 アダムは執務室のドアを開いた。同時に執務室のシールドが自動解除された。アダムの意識に現れている銀河はそのままだ。
「探っても、我々を理解できないさ・・・」
 アダムは執務室を出た。


「シールドが解かれました。執務室からアダム・ラビシャンが出てきました」
 バンコク優性保護財団の外部管理部で、ヤマモト・ミキ(ヤマモト・スミの娘)はディスプレイを見ながら伝えた。
「やはり、そうか・・・。
 ミキはアダムを探れ」
「はい」
 ミキは探査システムを操作し、しばらくして報告した。
「総裁。いくら探査しても、銀河だけです」
「そうか・・・。
 引き続き、セシルはミンスクを監視してくれ。ミキはアダムだ」
「わかりました」

 人が銀河だけを思考し続けるなどあり得ない。ミンスクとアダムは人間ではないのか?そんなはずはない。ミンスクは優性保護財団から腎臓を提供されて移植された。身体が人間で意識が人間でないのか・・・。もしかして、ニオブか?それはあり得ない・・・。
 ホイヘンスは考えたが、結論は出なかった。
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