十 時空間移動

文字数 2,490文字

 二〇二七年、十一月二十八日、日曜。
 穏やかな晩秋の日和だ。
 正午前に、大家の木崎さんが省吾たちに結婚祝いの昼食会を開いた。
 昨夜土曜の大槻さんの夕食会と同じに、実家の手土産と、ケーキと酒類を持参した。
 実家の手土産は、知りあいからの結婚祝いを見越して、母たちが持たせた品だ。
 事前に結婚報告と横山建設の件を知らせてあったため、大槻家も木崎家も、食事会は家族と理恵の顔合せだった。

 午後。
 木崎さんの食事会から家にもどった。
 二人で嗽、手洗い、洗面、着換えをすませて台所で湯を沸かす。
 理恵は炬燵に入っている。
「疲れただろう。コーヒーをいれる」
 昨夜の大槻さんにしろ、今日の木崎さんにしろ、奥方が近くにいる手前、深酒しなかった。省吾は大助かりだった。
 以前、省吾は彼らと個別に酒を飲んだことがある。二人とも酒が弱いのに、酔い潰れるまで飲む。後始末が大変だ。酔うと二人とも、結婚前につきあった女の話をする。現状に満足していないのだろうと省吾は感じた。

「理恵、ケーキを食べるか?」
 省吾はコーヒーをカップに注いだ。理惠から返事がない。居間を見ると理恵は炬燵で横になっている。
 炬燵にコーヒーを運び、省吾は理恵の額に手を触れた。冷たい。熱はない。木崎家の昼食会で、理恵はビールをグラス一杯飲んだだけだ。飲みすぎはない。
「眠い・・・。少し眠りたい。背中、抱いて」
 理恵が寝ぼけたようにつぶやいた。
「布団を敷くよ・・・。寒いのか?冷えたんじゃないか?」
 足に触れた。足から脹ら脛にかけて血の気がない。冷たく乾燥している。ここ一週間の環境変化で体調に異変をきたしたらしい。

 急いで布団を敷いて、理恵を部屋着のまま寝かせた。バスタブに熱めの湯を溜めて、洗い桶に熱めの湯を入れ、布団の横に敷いたバスタオルの上に置いた。
「足を湯に入れる。手を入れられる熱さだ」
 布団から炬燵に入れている理恵の足を引きだした。スウェットパンツの裾をまくって、洗い桶の湯に入れる。理恵の脚から足の末端まで動脈と静脈が拡張するのをイメージして、血液が循環するのを祈り、マッサージする。
「あっ、あぁ~、熱いけど、いい気持ち・・・」
「湯が冷えたら、熱いのに換える」
 省吾は湯の中で理惠の足を擦りながらそういった。
 血の気が無かった理惠の足が赤みを帯びてきた。
「風呂の湯を止めて、熱めの湯を持ってくる。このままにしててね」
 理恵の足を洗い桶につけたまま風呂場へ行ってバスタブに溜めている湯を止め、もう一つの洗い桶に熱めの湯を入れてもどった。

「湯を換える。少し熱いぞ」
 理惠の足を洗い桶から上げて熱めの湯が入っている洗い桶に入れた。
「あつっ・・・」
 湯に理惠の足を入れて擦った。
 それから数回、洗い桶の湯を交換した。
「身体が、熱くなってきた・・・」
 理恵が掛け布団と毛布を除けた。額と首に汗が浮かんでいる。
「だるさがぬけてきた・・・。もう、だいじょうぶだよ。
 大家さんの座敷、ストーブだけだったから、冷えたんだな・・・・。
 もう少し足を湯に入れておいたほうがいい。あとで着換えようね・・・」
 足を擦りながら、
「具合が良くなったら、風呂に入って、身体を暖めた方がいい。
 いつものように、いっしょに入って、隅々まで洗ってやるよ」
 とつけ加えた。
「うん、その方が安心だね・・・」
 そういったまま理恵はまどろみはじめた。汗で濡れた顔に髪が貼りついている。 
 理恵の足を拭いて湯を捨て、新たに湯を運んで、タオルを濡らし硬く絞った。
「汗をかいてるから、身体を拭いて、下着とパジャマを取り換えるよ」
「うん・・・」
 理惠はまどろみながら答えている。

 掛け布団と毛布を取りのぞいて、横たわってままの理恵の頭と顔と首を拭いた。上半身の衣類を脱がせて、身体を拭いて新たな肌着とパジャマを着せ、下半身の衣類を脱がせて拭き、新たな下着とパジャマに着換えさせて、毛布と掛け布団をかけた。
「ありがとう・・・。隅々まで、全部、見られちゃったね」
 理恵が恥ずかしそうにほほえんでいる。省吾は、
「ああ、隅々まで見た。もう隠し事できないぞ」
 と冗談めかした。理惠が、
「うん・・・。いっしょに、あなたも休んでね・・・」
 とぼんやりしたまなざしでいった。 
「布団敷くよ」
 省吾は理恵の髪を撫でた。
「うん・・・」
 ふたたび理恵は眠った。やはり、理恵は慣れない環境に疲れていた。

 十五時をすぎていた。省吾は理恵の布団の右に布団を敷いて、何かあっても動けるように、部屋着のまま布団に入った。理恵の布団に手を入れて理恵の手を握った。
 理惠の手はいつもの、子供のように湿った熱い手だ。もう心配はない・・・。
 この一週間、理惠は初対面の人たちを相手にして孤独だったにちがいない。もっと気づかうべきだった。もう理恵を独りにはしない。いつもそばにいて全てを聞こう。俺の気持ちをそのまま伝えよう・・・。
「いつも、いっしょだよ・・・」
「起きてるのか?」
 起きあがって顔をのぞきこんだ。
「やっといっしょになれた・・・。二十年早く来たんだからね・・・」
 理恵が夢みているのか目覚めているのか、省吾はわからなかった。

 省吾は考えた。
『二十年早く来たんだからね』とはなんだ・・・。実家から帰った翌日も、理惠は『ずっと独りだったんだぞ。こっちに来てあなたに会うまで二十年も』と話した。
 あの時は『こっちに来て』は、理恵が都内の大学へ進学して就職した会社の営業で北関東を担当するようになるまでだと思った。それまでの期間が、幼児期の俺と会わなくなって以来二十年だと・・・。
 だが、『二十年も早く来た』は、同一地域の時間的移動ではない。
 理恵は他時空間から二十年前にこの時空間に来た。そして、俺も、理恵がいた他時空間から移動して、二十年遅れてこの時空間に着いた・・・。
 一つの身体に二つの過去の記憶が混在し、さらに記憶喪失が加われば動揺する。どうしてそうなったかわからないが、現状を時空間移動と考えれば辻褄が合う・・・。
 理恵と俺がこの時空間に来た理由は何だ・・・。省吾はそう考えたが、何もわからなかった。
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