四十一 もう独りにはしない

文字数 2,469文字

 これで、古い経済概念にしがみつく者が経済界の表舞台から消えて民主化される・・・。
 省吾は居間でテレビを見ながらそう思った。
「先生、コーヒー、はいったよ・・・」
 理恵は座卓にコーヒーカップを置いて横に座り、省吾の腰に腕をまわして身体を密着して頬ずりした。
 省吾は理恵の腰に腕をまわして抱きよせた。理恵の熱さと芳しい香りが増している。

 いつも理恵が頬ずりすると、省吾は必ず理恵の頬に唇を触れるが、今日の省吾は、理恵が頬ずりしても、そうしなかった。理恵は頬ずりしたまま、くすぐるように省吾の耳に唇を触れた。
「先生、まだ完成じゃないよ。アジア連邦とオセアニア連邦まで構想を進めないと、国家連邦の基礎にはならないよ。それに、クラリックの三系列が消滅しただけだよ」
 マリオンが消滅を確認したのは、狙撃した二名と思念波攻撃した一名のクラリックだけだ。

「日記にクラリックの消滅を書けば、スムーズに国家連邦へ移行するのに・・・」
 省吾はテレビを見たままそう言った。
「クラリックの消滅を書いちゃだめ!」
「わかってる。初めてマリオンに会った時、理由を説明された・・・」
 俺は国家連邦への政治シナリオを書くだけか・・・。そう思って省吾は眉間に皺よせ、テレビを見た。

「政治について書くのがつまらなくなったの?」
 理恵は省吾の背を撫でた。呼応するように、省吾の手が理恵の背を撫でている。眼はテレビを見たままだ。
「俺の手でクラリックを消滅させたい・・・」
「どうしてそう思うの?」
 理恵は省吾を見つめた。省吾は何を話すのだろう。あれ?先生の顔がいつも以上にはっきりしてる。二重瞼がの窪みが深々してる。この表情、誰かに似てる。菅野だ!菅野に似てきた・・・。

「攻撃されるのは、俺と理恵と子どもたちだ。人任せにできない」
「人任せって、マリオンは他人じゃないよ・・・」
 マリオンは私で私がマリオンなのに、先生はそう思ってない。先生の何かが変だ・・・。
 理恵は省吾の心を探った。
 先生はクラリックを消滅させて、思い通りに政治を行ないたくなったんだ・・・。
 それに他の女を求める意識が芽生えてる・・・。
 これは菅野じゃない。似てるけど、誰だろう・・・。
 大変だ!先生の心にクラリックの支配思念が残ってる!
 先生の心がクラリックの思念を自己意識に育ててる!

『慌てるな。よく見ろ。精神も深層意識も、以前と同じだ・・・』
 マリオンが理恵の心の中で腕組みしている。
『原稿を書いて、政治を日記に書くだけだった省吾が、クラリックの思念波攻撃に対抗し、クラリックと戦う気になったのは良い傾向だ・・・』
 マリオンは左手で右肘を支え、右手で顎を触り、何か考えながら歩きまわっている。腕から脇腹にかけて翼が現れてきた。戦闘モードに変異し始めている。

『マリオン!先生の意識を、戦闘モードにする気なの?
 そんなのだめだよ!
 マリオン、お願い!今すぐ、元の先生にして!』
『わかってる。私と理恵は二人で一人だ。
 省吾は私たちの夫だ。愛する省吾を失いたくないから考えてる・・・。
 そうだ!私も戦おう』
 マリオンは理恵を通して省吾を見つめた。

「省吾、クラリックを消滅させたいか?」
「もちろんだ、マリオン」
「理恵だ。もう私が理恵で、理恵が私だ」
「わかった」

「これから話す事を日記に書いて欲しい。
『省吾と理恵とマリオンの思念の一部を、アーク・ヨヒムが支配する軍需企業へ転送して分身に物質化し、思考をクラリックに気づかれることなく、ネオテニー社会の支配を考えるアーク・ヨヒムたちクラリックのセルを破壊させろ。
 破壊後は分身を無事に脱出させ、あるべき状態に戻せ』
「待ってくれ・・・」
 省吾は座卓のタブレットパソコンを開いて日記を書いた。

「クラリックは軍需企業に居るのか?」
「そうだ。私は、政府を恫喝した軍需企業主の映像から、思考と記憶を読みとった」
「俺たちの思念が、分身に変身するのか?」
「変身できるのはアーマーの私だけだ。省吾はそのままでは転送できない。
 私は私と理恵の思念を転送し、理恵のバイオロイドのセルに精神共棲させる。
 烏たちが撃墜したあのクラリックのバイオロイドの鳶を、プロミドンが修復した。
 省吾の思念を鳶に精神共棲させて移動し、省吾のバイオロイドに精神共棲させる」

「クラリックのセルを破壊したら、分身は消えるのか?」
「ネオテニー社会が安定して存続する、とプロミドンが判断すれば、省吾の思念は省吾に、理恵と私の思念は理恵に戻るだけだ」
「わかった・・・」
 なんで、こんな事が可能なんだと思いながら、省吾は日記を保存して理恵を抱きよせた。

「これがプロミドンのコントローラーのモーザだからだよ」
 ああ、先生が以前の先生になった。先生が戻ってきた・・・。理恵はタブレットパソコンを示して省吾の背に腕をまわし、力を入れて抱きしめている。

「モーザはタブレットパソコンの商品名じゃないのか?」
「モーザはプロミドンのコントローラーだよ。このタブレットパソコンだよ。
 ねえ・・・、私を独りにしないでね」
 理恵は両手で省吾の頭を抱え、見つめた。
「すまない。もう独りにはしない(・・・・・・・・・)。油断してた。あれは俺の意識じゃない」
「わかってる。
 プロミドンが私たちの分身をサポートするから、パソコンは電源を切らずに身近に置いてね。
 私たちの分身二人は、プロミドンを基地にして活動するの。
 プロミドンが分身二人の感覚神経に流れる全ての信号を、タブレットパソコンに映像化する。
 二人の活動が止ると、タブレットパソコンの電源が切れる」
「あれは小説だぞ・・・」
 省吾は自作小説『オーブ』に同じ事を書いている。パソコンはオーブの一部であり、移動手段であり、記憶装置である。小説のオーブと我々の分身の違いは、パソコンに代わってプロミドンを基盤にしている点だ。

「先生が現実を先取りして小説にしたんだよ!」
「そうか・・・」
『オーブと同じなら、今さら驚かなくていい・・・』
『そうよ。しっかり守ってね・・・』
 わかってる・・・。省吾は理恵を抱きしめて立ちあがった。
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