一 皮剥事件

文字数 3,303文字

 ドラゴ渓谷はイオス共和国のコンブロ大陸・コンラッド州を流れる大渓谷だ。流域にはコンラッドシティ、ニューコンラッドシティがある。

 〇一〇〇時。
 ドラゴ渓谷・ホワイトバレーのサンライズトンネルをぬけたサフガルド橋の道路端に、道路照明灯に照らされたヒューマの形のままの衣類がある。靴もある。頭部には長い髪がついた皮膚がある。
「あけてみろ・・・」
 照明に照らされたタイトなスーツの中に下着があり、下着の中にも陰毛がついたままの皮膚がある。
「・・・」
 現場検証する若い検視官と若い監視隊員が顔を歪めてその場から離れた。路側帯の外へいって吐いている。無理はない。髪がついたままの頭皮と陰毛がついた陰部がある全身の皮膚をまともに見たのだ。しばらくレアのステーキは食えないだろう。

「これだけ皮膚を剥がれたどうなる?」
 そう言うトニオ・バルデス監視隊長は状況を理解できなかった。
 サンチェス・パンソニア検視隊長が答える。
「剥ぎとられたままなら出血多量で死ぬだろう。
 この辺りにある血痕はここだけだ。それもわずかだ。よそで剥がして衣類とともにここに捨てたんだろう・・・。
 おーい!何かでたか?」
 サンチェス・パンソニア検視隊長が検視官を呼んだ。
「何もありません」
 遺留品を探している検視官が首を横にふった。
「昆虫の脱皮みたいに、皮膚と衣類だけ捨ててこいと言われても、こんなにうまくできない」
 パンソニア検視隊長はバルデス監視隊長に、衣類と髪と体毛がついた皮膚を目配せした。
「今回も手がかり無しか・・・」
 バルデス監視隊長がつぶやいた。

 今回もヒューマ(人類・ヒューマン)が衣類と皮膚を残したまま中身だけが消えた。
 こんな遺体のない死体と思われる状態で全身の皮膚と衣類が発見されるのは十六件目だ。どれも被害者は女だ。服装から判断して二十代から三十代、やや肥満気味だ。おそらく見た目には気にならない程度の肥満だろう。
 今回も被害者の身体は見つからないだろう。なぜこんな手の込んだことをするのか・・・。

「バルデス監視隊長。
 この剥がれた皮膚だが、最初の事件にくらべ、うまく剥がしているように思う。皮膚の組織とその下の肉片がきれいに離れてる・・・」
 パンソニア検視隊長は大型のピンセットを使い、頭皮の裏側をバルデス監視隊長に見せた。
「どういうことだ?」
 そう訊きかえしたバルデス監視隊長は、パンソニア検視隊長の言葉から家畜の屠殺場を思いだした。家畜を屠殺して皮を剥ぐとき、突起した不要な部位は生皮とともに切りとってしまう。
「ピンセットを貸してくれ・・・」 
バルデス監視隊長は大型ピンセットを使い、後頭部から背中にかけて裂かれた皮膚を裏返し耳の部分を調べた。耳は側頭部から切り落されて皮膚に付いていた。腕と手の部分の皮膚も調べると綺麗に剥がれ、爪が皮膚とともに残っていた。
 バルデス監視隊長はパンソニア検視隊長に耳と爪を見せた。誰が何の目的で、どうやってこんなことをしたのか・・・。

「中身だけ利用するため、皮膚を残したのだろうが確証はない。犯人が変質者の可能性もある」とパンソニア検視隊長。
「ほかに何が考えられる?」
 バルデス監視隊長の問いに、パンソニア検視隊長はいらついた。
「必要な部位だけを持ち去った。今言えるのはそれだけだ。
 遺留品を本部へ運んでくれ!」
 パンソニア検視隊長は検視官たちにそう指示した。

 今回の事件も、これまで同様、対策本部はコンラッドシティ監視監督本部に置かれている。監視監督本部はドラゴ渓谷を見おろすテーブルマウンテンの高台にあり、本部長と監視隊長を兼務するトニオ・バルデス監視隊長の執務室からドラゴ渓谷がよく見える。


 ポリエチレンの袋にいれた遺留品を蓋付き小形コンテナにいれて蓋を閉じた。
 オッタビア・コルテス検視官は何かが周囲にいる気配を感じ辺りを見まわすが、リアゲートが開いたエアーヴィークルと、パンソニア検視隊長と他に二名の検視官がいるだけだ。
 誰かが見てる・・・。ただ見てるんじゃない。狙ってる・・・。
 オッタビアは表現できない恐怖を感じ、思わず身震いした。
「オッタビア。どうした?顔色が悪いぞ・・・」
  アルメンデス・ヘクター検視官がオッタビアを見つめた。

「アルメンデス。誰かがこっちを見てる。あんた、何も感じないか?」
 エアーヴィークルはサンライズトンネルを抜けたサフガルド橋の袂の道路端に、サフガルド橋の方をむいて待機している。周囲は山肌を切り通したコンクリートの壁で囲まれ、道路はロードヴィークル専用の四車線だ。検視隊のエアーヴィークルの背後で、検視官と検視隊員たちが鑑識道具と遺留品をエアーヴィークルに積んでいる。

「見てるってどこからだ?トンネルの上からしか、こっちを見れないぞ?」
 アルメンデスはトンネルの上の山を見あげた。山の樹木の緑がサフガルド橋の道路照明灯の光に浮きあがって見える。
 そのとき、
「上からじゃない。私のまわりから見てる・・・。まわりを動きまわってる・・・。あぁぁっ・・・」
 恐怖に駆られていたオッタビアの表情が和らいだ。
 パンソニア検視隊長は、ふたりがあと一言でも私語を口にしたら注意しようと思いながら、検視官の作業を監視した。

 穏やかな表情になったオッタビアを見て、アルメンデスは、なんだ、なんでもないんだな、と思った。こんな妙な事件がつづくから、オッタビアもまいってるんだ・・・。
 その瞬間、立ちあがったオッタビアが頭のてっぺんから何かに押しつぶされたようにその場に潰れた。
「・・・」
 アルメンデスとパンソニア検視隊長にはそう見えた。同時に、何が起ったか理解したアルメンデスは恐怖に震えた。

「トニオ!オッタビアが消えた!早く来い!」
 パンソニア検視隊長はバルデス監視隊長を大声で叫んだ。他の監視官と監視隊員たちはまだトンネル付近の路肩をくまなく調べている。

 バルデス監視隊長たちが駆けよった。
「どういうことだ・・・」
 バルデス監視隊長はアルメンデスに、ピンセットをよこせと仕草で示した。すでにパンソニア検視隊長が大型のピンセットで、潰れたオッタビアの着衣を確認している。
「何があった?」
 バルデス監視隊長はアルメンデスに訊いた。アルメンデスは周囲を警戒して怯えている。
「何があった?アルメンデス!何があった?状況を説明しろ!」
「あ・・・、あの・・・」
 アルメンデスはバルデス監視隊長に顔をむけた。目は周囲を警戒して泳いでいる。
「トニオ!やめておけ。これをみろ。今度は、立ったまま、身体だけ消えた・・・」
 パンソニア検視隊長は、オッタビアの制服とその下に着ていた衣類の中から、髪や陰毛、体毛がついたままの皮膚をピンセットで引きだした。
 オッタビア・コルテス検視官は二十七歳。屈託のない性格で愛嬌があり、コンラッドシティ監視監督本部の皆から好かれている。体型は中肉中背。見た目にわからないが小太りだ。本人はそんなことを気にせず、仕事は体力勝負だと言って腹が空くとなんでも気にせず食べていた。これまでの遺体のない全身の皮膚と遺留品が発見された十六件の被害者同様の年齢と体型だ。

 バルデス監視隊長は、誰かに見られているような気がし、トンネルの上の山を見あげた。山の緑の樹冠が動いているのが、サフガルド橋の道路照明灯の光に浮きあがって見える。山の上の方は風があるのか・・・。
「どうしたっ!トニオ!」
 トンネルの上の山を見あげるバルデス監視隊長をパンソニア検視隊長が呼んだ。
「あの山の木の上から、何かがこっちを見ている気がする・・・」
「オッタビアも、似たようなことを言ってた。山の上からじゃなくて、オッタビアのまわりから見てると・・・」
 パンソニア検視隊長がそう言った。
「オッタビアのまわりにいたのは俺たちだけだ。誰が見るんだ?」
 バルデス監視隊長が疑問だらけのまなざしでパンソニア検視隊長を見た。
「オッタビアが言ったことを話しただけだ。オッタビアの言うとおりだったのかも知れんな・・・」
 だが、そんな馬鹿げたことがあるはずがない・・・。パンソニア検視隊長はそう思った。
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