十八 かほりとユリ

文字数 2,061文字

 二〇五六年、九月四日、月曜。

 雨の午後。
 ユーロ連邦、ドイツ、ミュンヘン、ミュンヘン大学政経学部、政治学研究室の入口に、二人の女が現れた。
「チャン先生にお会いしたい」
 開け放たれたドアをノックして、金髪に近い茶色の髪の女がそう告げた。女はブルーの目で背が高い。もう一人は小柄で髪は栗色で長く、目はグレーだった。
「私がチャンです・・・」
 研究室に居る長身のチャンは入口へ歩いた。
 背の高い女が声を潜めた。
「チャン・ジョンファン先生・・・」
 ジョンファンは片目をつぶり、
「わかりました。私に話を合せてください」
 と小声で言って、部屋に居る学生たちに講義終了を伝えた。二人に後についてくるよう目配せして、ジョンファンは部屋を出た。

 ジョンファンは長い回廊を幾つも渡って礼拝堂へ入った。礼拝堂の隅へ歩いて、告白室のドアを開け、さらに奥にある小さな隠しドアを開いて階段を下りてゆく。
「かつてここは、ドイツ貴族とレジスタンスがナチに対抗して使った地下通路です。レジスタンスの子孫しか知りません。監視盗聴はされてません。安心してください。下で二人が待っています」
 地下通路に着くと、トーマスと三人の女が居た。
「ありがとう。ジョンファン」
 トーマスはチャン・ジョンファンに礼を言った。
「状況は聞いてる。気にするな」とジョンファン。
「えっ?」
 トーマスはジョンファンの言葉に驚いた。ジョンファンにはまだ何も説明していない。

「この二人と衣服を交換してっ!」
 モーリンがジョンファンとともにいる二人に、モーリン・アネルセンの横にいる二人の女を示した。モーリンの協力者たち二人の女が、上着とジーンズを脱いでいる。
「かほり、ユリ。大隅教授と宏治が拉致されたのは僕のせいだ。許してくれ・・・」
 上着を脱ぎながらユリが言う。
「そんな事を聞きに来たんじゃない。父と宏治を救う方法を聞きに来たの。父たちが拉致されたのは、あなたのせいじゃない」

「こちらはモーリン・アネルセン」
 トーマスはモーリンを、かほりとユリに紹介した。
 モーリンはユリとかほりを見つめた。
「今は、二人を救う方法がないわ」
「ホイヘンスはローラのDNAの分子記憶を知ろうとしてる。
 トーマスとあなたも拉致する気よ」
 そう話しながら、ユリは協力者の上着を着てジーンズを履いた。
「今朝、優性保護財団の情報部が来たわ」とモーリン。
 かほりが着換えながら言う。
「宏治は一度死んで再生した。ホイヘンスは先生と宏治の配偶子を使って移植臓器の培養とクローンニングをする気です。そのために私たちがあなたたちに会うよう仕向けたのです」

「僕たち四人を捕まえるのか?」
 トーマスが妙な顔をしている。
「そうです。いっしょに居れば四人とも捕まります」
 着換え終って、かほりはウイッグを協力者に渡した。
「実際は六人以上ね。
 あなたたちが捕まれば、お腹の子供たちがホイヘンスの実験材料になる。今は何としても逃げなさい。ホイヘンスたちは私たちが何とかする」
 大隅教授と宏治と二人の子供たちは、ローラのDNAの分子記憶だ。何があっても逃がさねばならない。
「どうやって?」
 ユリが訊いた。
「かほりとユリは、いったん私の館へ行こう」
 モーリンがかほりとユリにそう言った。

 このままではかほりとユリが捕まる。彼女たちが捕まらないために協力者が必要だ。有力なのはラビシャンだ。
 テロメアは自己存続のために相手を選んで一つの宇宙を作る。そのエネルギーは良心だ。
 ラビシャンに良心があれば、ラビシャンのテロメアは相手を選んで、子供ができる。子供ができたラビシャンなら信用できる・・・。
 そう考えながら、モーリンは協力者の娘たちを示して、チャン・ジョンファンに言った。
「ジョンファンはこの娘たちを連れて戻ってね。父上は元気だから、安心して」
「わかってます。よろしく伝えてください。
 トーマス。協力が必要ならまた知らせてくれ」
 ジョンファンはトーマスに手を差し伸べた。
「ありがとう。ジョンファン。また、頼むよ」
 トーマスはジョンファンと握手した。
「おちついたら、ゆっくり話そう」
 ジョンファンは協力者の娘たちを連れて階段を登り、礼拝堂へ戻っていった。

「さあ、乗って」
 モーリンは、ユリとかほりを、地下通路の水路に係留している小型ヴィークルに乗せた。全員が乗りこむと小型ヴィークルの機体隔壁がドアの外部を覆った。
「この水空両用高速ヴィークルは潜航も可能なの。ステルス機もいいけどスパイ衛星をまくには水中が安全なの」
 モーリンが話している間にヴィークルが潜行した。

「ジョンファンの父上が元気って何です?ジョンファンの父は宗教界から追放され亡くなったはずだ。それも、ある人物の学説に傾倒し、宗教界を否定したために・・・」
 トーマスはモーリンとジョンファンの関係が気になった。ジョンファンの父は司教だった。
「オリバーよ・・・」
「えっ?」
「そうよ。傾倒したのは私の学説よ」
 モーリンはコクピットの水中映像とソナー画像見て、ヴィークルを操縦している。
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