第96話
文字数 1,917文字
世界は加速していく。どんどん便利に、スマートに、こぎれいに、なっていく。少なくともこの国は。少なくともこの国はそうだった。失われた三十年と言われながらも、ガラパゴスじみた見事な適応ぶりを発揮し、一部の、ITに生まれつき才能のある人たちがいたおかげだろうが、世界の流れの中で、先進国の流れの中で、なんとか必死で食らいついているように見える。
失われた三十年は、実は失われてはいなかったのかもしれない。貧富の差は拡大し、ここにきて物価はじわじわと上がり始めて入るけれども、増えた貧乏人、その貧乏人たちの中には、したたかに生きる術を発揮した者もいる。
金。
グローバルな金や、胡散臭い金が、情報と共にスマホの画面の上を、滑るようにして流れていく。その一方で、ぼくなどは、極めて泥臭い、エッセンシャルワーカーとして障害者と共に、そして自らも障害者として生きるよりほか、お金を得る手段がない。
ただ、その限られたお金でも、ギリギリ暮らすことは出来ている。夏が来ればユニクロのTシャツを何枚か、買ったりする、ささやかなぜいたくを楽しんだりして。
昨日スマホで見たスティーブ・ジョブスの映像は、成功するためには情熱が必要だと語っていた。自分のやっている仕事が好きでなければならない、と。本心から好きなことをしなければ、成功はおぼつかないのだと。なぜならば、好きではないことをしている人は、困難が訪れた時、簡単にあきらめてしまうからだそうだ。
あなたには、好きなことがありますか?学生さんだったとしたら、好きなことをする自由を与えられていますか?勤め人の人は、その仕事が好きですか?
ぼくは今年、48歳になる。30歳を目前に私立の医大を中退して、その半年後、郵便局で朝四時間、週五日だったか六日、働き始めた。最初は苦労したが、やがて少しは仕事に慣れてくると、学校で退屈な授業を受けているよりは、仕事している方が退屈ではないなくらいのことを思うようになった。
その後18年の年月が過ぎたわけだが、フルタイムの仕事や正社員も経験し、アルバイトも含め、自分に向いている仕事と、そうでない仕事があることがわかるようになった。
根室で根室新聞の記者をした時が、一番楽しかったかもしれない。
倉庫の仕事も、むいていると思った。
文章を書くことは昔から好きだったけれど、小説を書くのは苦手だった。だから、取材さえすれば書く内容が得られる記者の仕事は、ある意味夢のようだったと言える。無から有を生み出す辛さに比べて、書く内容が世界のそこここに転がっているという、楽さ、ってものを感じた。
今こうして書いているように、取材すらしないで自分のことをだらだら書くのも、楽かもしれない。ただこれは金にはなりそうもない(困ったことだ)。
話を戻すと、今この歳になってみて、好きなことと嫌いなこととある。
退屈は嫌いだ。仕事は、むしろ好きかもしれない。何らかの仕事をしていたい。いま町内会の役員をやっているのだが、お年寄りの方々が元気なのには驚かされる。特に、町内会で役を持っている方などは、生き生きとしておられる。にんげんは、と一般化することはできないかもしれないが、役割を持つってことは、素晴らしいことなのかもしれない。面倒だと思いながらも重い腰を上げてみると、存外楽しかったりする。それこそ、ジョブズの言う、情熱だと思う。金にもならない町内会の仕事なのに、楽しんでやれたり。
絵を描くことと、描いた絵に色を塗ることも、ぼくはなんとなく好きだ。いろんな色の皮や紙を切り抜いて、糊やボンドで貼り、壁に貼るタペストリーを作るといった簡単な手仕事も、無心になれて好きかもしれない。
好きなことを持ち、変わりゆく世界の中で、適応して生きていく。不満や辛いこともあるかもしれないが、暴発や自殺に流れずに、ある程度の理性を常に保って、なんとか、かんとか。
ぼくには妹がいて、もしもぼくが何か馬鹿な事件でもしでかしたならば、妹が悲しむだろうなと、ぼんやり考えているところがある。結婚しているから、一番迷惑をこうむるのは妻のはずなのに、そういうことを想像してみるとき、真っ先に思い浮かぶのはこの妹であり、姪っ子たちなのだ。
わけのわからない理由で人を殺す人が、後を絶たない。わけのわからない時代だ、と思う。そして自分自身もまた、暴力的、暴発的なところを抱えているから、気を付けねばならないと思う。
やむにやまれぬ、辛すぎる、時代の圧のようなものを感じることもある。その逆に、ささやかでさわやかな、さりげない愛や優しさを人から受けることもある。みんなどこかぎりぎりで耐えているのか。少しは良いこともして、天寿で死ねたらと、想った。
失われた三十年は、実は失われてはいなかったのかもしれない。貧富の差は拡大し、ここにきて物価はじわじわと上がり始めて入るけれども、増えた貧乏人、その貧乏人たちの中には、したたかに生きる術を発揮した者もいる。
金。
グローバルな金や、胡散臭い金が、情報と共にスマホの画面の上を、滑るようにして流れていく。その一方で、ぼくなどは、極めて泥臭い、エッセンシャルワーカーとして障害者と共に、そして自らも障害者として生きるよりほか、お金を得る手段がない。
ただ、その限られたお金でも、ギリギリ暮らすことは出来ている。夏が来ればユニクロのTシャツを何枚か、買ったりする、ささやかなぜいたくを楽しんだりして。
昨日スマホで見たスティーブ・ジョブスの映像は、成功するためには情熱が必要だと語っていた。自分のやっている仕事が好きでなければならない、と。本心から好きなことをしなければ、成功はおぼつかないのだと。なぜならば、好きではないことをしている人は、困難が訪れた時、簡単にあきらめてしまうからだそうだ。
あなたには、好きなことがありますか?学生さんだったとしたら、好きなことをする自由を与えられていますか?勤め人の人は、その仕事が好きですか?
ぼくは今年、48歳になる。30歳を目前に私立の医大を中退して、その半年後、郵便局で朝四時間、週五日だったか六日、働き始めた。最初は苦労したが、やがて少しは仕事に慣れてくると、学校で退屈な授業を受けているよりは、仕事している方が退屈ではないなくらいのことを思うようになった。
その後18年の年月が過ぎたわけだが、フルタイムの仕事や正社員も経験し、アルバイトも含め、自分に向いている仕事と、そうでない仕事があることがわかるようになった。
根室で根室新聞の記者をした時が、一番楽しかったかもしれない。
倉庫の仕事も、むいていると思った。
文章を書くことは昔から好きだったけれど、小説を書くのは苦手だった。だから、取材さえすれば書く内容が得られる記者の仕事は、ある意味夢のようだったと言える。無から有を生み出す辛さに比べて、書く内容が世界のそこここに転がっているという、楽さ、ってものを感じた。
今こうして書いているように、取材すらしないで自分のことをだらだら書くのも、楽かもしれない。ただこれは金にはなりそうもない(困ったことだ)。
話を戻すと、今この歳になってみて、好きなことと嫌いなこととある。
退屈は嫌いだ。仕事は、むしろ好きかもしれない。何らかの仕事をしていたい。いま町内会の役員をやっているのだが、お年寄りの方々が元気なのには驚かされる。特に、町内会で役を持っている方などは、生き生きとしておられる。にんげんは、と一般化することはできないかもしれないが、役割を持つってことは、素晴らしいことなのかもしれない。面倒だと思いながらも重い腰を上げてみると、存外楽しかったりする。それこそ、ジョブズの言う、情熱だと思う。金にもならない町内会の仕事なのに、楽しんでやれたり。
絵を描くことと、描いた絵に色を塗ることも、ぼくはなんとなく好きだ。いろんな色の皮や紙を切り抜いて、糊やボンドで貼り、壁に貼るタペストリーを作るといった簡単な手仕事も、無心になれて好きかもしれない。
好きなことを持ち、変わりゆく世界の中で、適応して生きていく。不満や辛いこともあるかもしれないが、暴発や自殺に流れずに、ある程度の理性を常に保って、なんとか、かんとか。
ぼくには妹がいて、もしもぼくが何か馬鹿な事件でもしでかしたならば、妹が悲しむだろうなと、ぼんやり考えているところがある。結婚しているから、一番迷惑をこうむるのは妻のはずなのに、そういうことを想像してみるとき、真っ先に思い浮かぶのはこの妹であり、姪っ子たちなのだ。
わけのわからない理由で人を殺す人が、後を絶たない。わけのわからない時代だ、と思う。そして自分自身もまた、暴力的、暴発的なところを抱えているから、気を付けねばならないと思う。
やむにやまれぬ、辛すぎる、時代の圧のようなものを感じることもある。その逆に、ささやかでさわやかな、さりげない愛や優しさを人から受けることもある。みんなどこかぎりぎりで耐えているのか。少しは良いこともして、天寿で死ねたらと、想った。