第103話

文字数 1,291文字

かつて日本には、厳然として、レールが敷かれていた。

将来大人になって良い生活を送るためには、良い大学を出なければならず、良い大学に入るためには良い高校を出なければならず、良い高校に入るためには良い中学を出なければならず、良い中学に入るためには私立の名門小学校に入らなければならない。

そのサイドに、塾というものがある。ぼくは浜学園というところに行っていた。大阪市内から、西宮まで、阪急電車に乗っていくのだ。その電車の中でも、小学六年生のぼくは、立ちながら参考書を広げて日本史の勉強をしていた。

家でも家庭教師がついて、受験の直前には母がマンツーマンで一緒になって勉強してくれた。ぼくはぼくで、神仏に祈りをささげ、合格祈願した。そうやって見事合格した東大寺学園で、ぼくは落ちこぼれてしまったのだ。勉強についていけなくなったし、にもかかわらず、塾も家庭教師もなかった。

東大寺合格と同時に、母親からのタガが外れてしまったのだ。それならそれで、勉強をしないで生きていく道を模索すればよかったのだけれど、ただ勉強が出来なくなったというだけで、進路をまじめに考えることをやめてしまって、思考停止に陥り、父が医者だという理由だけで、ひたすら医学部一本に絞って三浪を重ねてしまったのだ。

そのころも、そして近畿大学の医学部に入ってからも、勉強をするという習慣がまったくなくなってしまっていて、授業も教科書も全く頭に入ってこなかった。勉強法を考える頭もなかった。そしてその結果、『生きる』『経済的に完結する(支出と収入のバランスを取る)』という発想や行動に至るのが、後々まで非常に遅れたと思う。

それが、余裕のなさになった。このことがぼくの統合失調症(社会不適合)の基底にあるものだと思う。ぼくは筋トレが苦手だ。運動神経も悪い。だけどその分、本来は、勉強にはそこまでアレルギーはなかったはずなのに、下手にエリート養成中学に入って劣等感を味わった分、頭をまともに使うという訓練を長いこと怠ってしまったのだと思う。

レールから外された人生は収支の面でなかなか厳しいものがある。それでも、日本には様々な資格があり、収入には結びつかないまでも、再び勉強する習慣を取り戻すことはできる。

それをしようと思っている。少しずつだが。漢検の、二級までは、草の根共生会に入って一年目に取った。三年目の今年に入って、再び漢字の勉強を再開している。準一級を目指している。実感として、少しは生活がどっしりしてきたように思う。

大事なのは、働いて、生きていくための、そしてささやかな贅沢ののお金を稼ぎ続けることだ。日本にあまたある資格とその勉強は、そういう生活に、彩りと、実際の支援効果をもたらしてくれると思う。実は、掃除は嫌いだし苦手なのだが、掃除検定の勉強も少しは考えている。

今の仕事以外に何をするかとなった時、この歳では、掃除ぐらいしかないだろうと思えたからだ。お世話になった就労移行支援ニコサービスをひさびさに訪れた時、そこの主任のSさんが、今は掃除の就職をメインでやっている、と言っておられたのをそのままパクろうか、というのもある。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み