第1話

文字数 1,441文字

統合失調症にかかったのは二十年前のころ、わたしがまだ二十五歳のころのことだった。そのころのわたしは、のんきで、まだ苦労をさほど知らず、そしてこの病気が意味することも全く知らなかったから、大学の教室で、自分には法力が身についたのだとか、だから教室中に充満する気をも自由に操ることが出来るのだとか、しかしその割には試験の答えが皆目わからず留年を重ねているのはどうした事だろうなあ、とか考えていた。

わたしはまず己の統合失調症を、誇大妄想として経験したのである。人がなんだか自分のことを気にかけてくれているとか、遠巻きに見て声を掛けようとしているとか、そういった気分として経験した。

自己理解。自己理解の闇に沈んでいたのであった。そしてその波に足元をさらわれつつ、まったくうかつにもそのことに気づかずにいた。躁的気分があった。鬱の闇に飲まれる日もあった。しかし統合失調者として生きてきたこの二十年間で、まぎれもなく言えるのは、あまりにも孤独だったという事である。統合失調症に苦しむ事とは、孤独に苦しむことであるらしい。孤独が臓腑を抉る、そういう病なのだ。たった一人の例外を除いて、いま私のそばに人はいない。その例外とは、私の妻である。

妻は、私と共に人生を歩むと言ってくれたのだ。ただ言っただけではなく、全身全霊の力を込めてこの宣言を実行に移そうとしてくれている。私の人生における妻の功力たるや、凄まじいものがある。もしも妻に出会っていなかったなら、私の人生はいかにもさみしいものになっていただろう。妻の存在によって、私は一人ボッチから、二人ボッチへと進化した。二人ボッチと言いながら、妻にはちゃんと、少数だが友だちもいるので、もはや私たちは完全な孤独に所属しているわけではないという事になる。そのことは、私自身の躁的傾向と誇大妄想がここへきて若干和らいでいることともリンクするかもしれない。

わたしは病気のことをもっと学ぼうと思う。特に私自身の誇大妄想について。私はいま、太極拳を習っているが、慎重に構えて、自分に気をコントロールする力が備わっているなどとは今は軽々しく思わないようにしている。さすがに、二十年前とは同じ過ちを犯す気にはなれない。けれども、他のところでは躁的になる日もあり、何らかの誇大妄想を膨らましているとも限らないと言えよう。否むしろ、場合によっては、誇大的になることによって人生を一部なりと切り開いていきたい構えさえ、ある。慎重に行きたいとは思うが、慎重ばかりになりすぎるのも、どうかと思うのだ。

わたしは今、アルバイトの身である。妻と二人、なんとか一応、自活して暮らしている。本当は、年金でも当たればいいがと思わないでもないが、なんとか一応、年金をもらわずに暮らしている。ただ、仕事をすることは私にとって大いなる苦しみになることがある。なにせ私自身は孤独という病気にかかっているのに、仕事ではそれが許されないことらしいから。

仕事さえなければ、私は、この病気があったとしてももっと楽に生きられただろうに、と思う。仕事が辛いのではない。仕事では人との関わりが、好むと好まざると、生じてしまう、その矛盾が苦しいのだ。昨日医者からは、人のことをあまり気にするなと言われた。仕事だけに集中しろ、という事か。他人のことをあまりにも意識しすぎてしまうから、苦しむことになる。自分と人とをもっと切り離しても良いのだと思う。人の顔色ばかりをうかがわず、もっと超然として生きても良いのだろう。

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