第2話

文字数 1,031文字

焦り。

森山公夫という人の、『統合失調症』という本と、鶴見の図書館で出会い、昨日から読み始めた。ずいぶん色々と、考えさせられることが書いてあって、自分の状態や病気についての理解が深まってきたように思う。

二十年も統合失調者をやっていて、まだそんなこともわかっていなかったのか、とおしかりをうけてしまいそうだが。

というのは、昔ぼくには、時間をケチケチする傾向があった。中学高校と通っていた進学校は、電車やバスを乗り継いで二時間くらいかかるところにあったから、ぼくはせっかく入った生物部をすぐに辞めた。時間がもったいなかったからである。自分の時間が欲しいと思ったのだ。勉強するための時間が必要、とも思ったかもしれない。今ではそのことを後悔している。

時間をケチケチしても手元には何も残らなかったから。

速読術、と言うのもそうだ。時間を短縮して、一冊でも多く本を読もうと思う。ページをぱららららとめくっただけで、内容が頭に入る、なんてことを信じて必死で練習したものだ。人を躁気味の気分にさせてくれる本を読んで、その時だけ少し読書のスピードが速くなると、頭が良くなった気がしてうれしかった。

いまではぽつり、ぽつりとしか本を読めないことも多いが、がっつりその本にはまると意外と早く読み進めたりする。そういう、本当の意味での速さもあるとは思う。けれど全体的に、ぼくは焦って生きてきた。そして焦るという事は、生きるための戦術として失敗であるような気がする。

焦って、自分を追い詰めて、物事を早くやろうとするのではなく、そのくらいなら、今習っている太極拳の教えのように、よどみなくゆっくり、ゆっくり動こうと思う。

孤独は確かに統合失調症の特徴ともいえる病態だが、同時に孤独はまた、にんげんとしての尊厳の最後の砦でもあるだろう。しかし焦りはどうか?これもまた、統合失調症と深くかかわる感情であり、態度だと思うが、これはきれいさっぱり捨てさることもできる態度だと思う。

実際、ぼくは、二十年間の統合失調症との付き合いの中で、そしてなにより、妻と暮らす中で、「一見無駄なことでもやってみよう」という気持ちがだんだんと芽生えてきた気がする。少しだけ、焦ることをやめることができたのだ(読む本の趣味までが変わった)。これは、病気から遠ざかることだったと思う。

焦りは禁物である。特に、統合失調者にとっては、百害あって一利なし、である。のんびりと、もっと無駄を楽しみながら残りの人生を生きてみようかと思う。

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