第33話
文字数 588文字
昔から、小説を書くのが夢で、作家になりたくて、色んな形でいろんなものを書いて、捨てたり、発表したり、ネットに乗せたりしてきた。
ただ、形のまとまった、ある程度の量のある作品を書いたことは無くて、自費出版で本にしたこともなければ、文学賞に応募した経験もない。
いまここで書かせてもらっている「雷神の剣」という作品は、ぼくが書いた中では一番飽きずに続けれているものではないかと思う。
今年の初めから、ぽつりぽつりと、断続的に書いてきた。
時間をおいて書いているので、文章のスタイルとかが変わったりしているのだけど、その辺はまあなんというかあれだけど。
水木しげるの『のんのんばあとおれ』のなかに、泳ぎ方を覚える、覚えさす話が出てくる。子供をいきなり海に投げ込むというのだ。何度も何度も海に投げ込まれるうちに、ふいにその子は泳ぎ方を悟る。
なんだか、それと似たことが、人生の泳ぎ方や小説の書き方にも言えるのではないかと思った。
四の五の言わずに、立ち止まって考えるばかりではなくて、まず生きてみる。あるいは、まずは小説を書いてみる。
そして悪戦苦闘し、試行錯誤する中で、『自分で』学んでいくのだ。
自分の作品を、誰かよその人に書いてもらうわけにはいかない。それと同様に、自分の人生を、誰か他人に代わりに生きてもらうことはできない。自分なりの生き方を自分で学んでいくしかないのである。色々と試しながら。
ただ、形のまとまった、ある程度の量のある作品を書いたことは無くて、自費出版で本にしたこともなければ、文学賞に応募した経験もない。
いまここで書かせてもらっている「雷神の剣」という作品は、ぼくが書いた中では一番飽きずに続けれているものではないかと思う。
今年の初めから、ぽつりぽつりと、断続的に書いてきた。
時間をおいて書いているので、文章のスタイルとかが変わったりしているのだけど、その辺はまあなんというかあれだけど。
水木しげるの『のんのんばあとおれ』のなかに、泳ぎ方を覚える、覚えさす話が出てくる。子供をいきなり海に投げ込むというのだ。何度も何度も海に投げ込まれるうちに、ふいにその子は泳ぎ方を悟る。
なんだか、それと似たことが、人生の泳ぎ方や小説の書き方にも言えるのではないかと思った。
四の五の言わずに、立ち止まって考えるばかりではなくて、まず生きてみる。あるいは、まずは小説を書いてみる。
そして悪戦苦闘し、試行錯誤する中で、『自分で』学んでいくのだ。
自分の作品を、誰かよその人に書いてもらうわけにはいかない。それと同様に、自分の人生を、誰か他人に代わりに生きてもらうことはできない。自分なりの生き方を自分で学んでいくしかないのである。色々と試しながら。