第70話
文字数 920文字
コトバに何が出来るか、という可能性の一端を垣間見ることがある。
様々なすぐれた本たちにおいてだ。
そんなぼくが、統合失調症を患いながらも、どうにかこうにか、社会の中でそれなりに適応し、様々な支援や融資は受けながらも、働いて、妻と共につつましい生活を送っている。
なんとも、ありがたいことだ。
前の職場では、職人や社員の人から、「おまえは障害をオ-プンにして入ったわけではない」と何度も言われた。この経験を踏まえて、今働いているところでは、あらかじめ障害のことを話したうえで雇ってもらっている。
障害者枠でなくても、障害を公表したうえで面接に臨むこと。これは、精神障がい者が社会復帰をするうえでかなり重要なことだと思う。
やはり、障害をオープンにしたうえでの就労は、何かとやりやすい部分があるように思う。はっきりとわかる支援がたとえなかったとしても、いざというときに、『あれが障害の特性なのかな』と思ってもらえたりして、大目に見てもらえることもないではない気がする。それに、自分自身が、働きながら、障害のことを忘れていくのではなくて、良い意味で意識できるようになる、という効果もある。
障害を隠そう、隠そう、とするのではなく、むしろオープンにしようとする中で得られるものはかなり大きい。それは、ありのままの自分への自信みたいなものだ。また、自分自身を障害という側面から(面接などで)語ろうとする努力は、自己の客観視にもつながる。
それに、会社に入れば、ぼくのようなにんげんは、きっとなにかしらの迷惑をかけるに違いない。そのことをあらかじめ忠告しておくのも必要なことかもしれない。(たとえ迷惑をかけたとしても、それ以上のプラスを生み出せる、という根拠なき自信を自分の中で持つことも重要である。)
ぼくは、今の会社の中で、それほどのコトバをもっているわけではなく、むしろ寡黙に働いている。けれどもいつか、ぼくのコトバで、旋風を、嵐を、巻き起こせたらな、と想っている。
コトバもぼくも、弱いけれども、強い。地味だけど派手だ。
ジミジミジミジミ地味~ちゃん。
派手派手派手派手ハーデスさん。
でも、弱い。圧倒的に打たれ弱い。そんなことに気づけるのも、働いているO・KA・GE。
様々なすぐれた本たちにおいてだ。
そんなぼくが、統合失調症を患いながらも、どうにかこうにか、社会の中でそれなりに適応し、様々な支援や融資は受けながらも、働いて、妻と共につつましい生活を送っている。
なんとも、ありがたいことだ。
前の職場では、職人や社員の人から、「おまえは障害をオ-プンにして入ったわけではない」と何度も言われた。この経験を踏まえて、今働いているところでは、あらかじめ障害のことを話したうえで雇ってもらっている。
障害者枠でなくても、障害を公表したうえで面接に臨むこと。これは、精神障がい者が社会復帰をするうえでかなり重要なことだと思う。
やはり、障害をオープンにしたうえでの就労は、何かとやりやすい部分があるように思う。はっきりとわかる支援がたとえなかったとしても、いざというときに、『あれが障害の特性なのかな』と思ってもらえたりして、大目に見てもらえることもないではない気がする。それに、自分自身が、働きながら、障害のことを忘れていくのではなくて、良い意味で意識できるようになる、という効果もある。
障害を隠そう、隠そう、とするのではなく、むしろオープンにしようとする中で得られるものはかなり大きい。それは、ありのままの自分への自信みたいなものだ。また、自分自身を障害という側面から(面接などで)語ろうとする努力は、自己の客観視にもつながる。
それに、会社に入れば、ぼくのようなにんげんは、きっとなにかしらの迷惑をかけるに違いない。そのことをあらかじめ忠告しておくのも必要なことかもしれない。(たとえ迷惑をかけたとしても、それ以上のプラスを生み出せる、という根拠なき自信を自分の中で持つことも重要である。)
ぼくは、今の会社の中で、それほどのコトバをもっているわけではなく、むしろ寡黙に働いている。けれどもいつか、ぼくのコトバで、旋風を、嵐を、巻き起こせたらな、と想っている。
コトバもぼくも、弱いけれども、強い。地味だけど派手だ。
ジミジミジミジミ地味~ちゃん。
派手派手派手派手ハーデスさん。
でも、弱い。圧倒的に打たれ弱い。そんなことに気づけるのも、働いているO・KA・GE。