第79話

文字数 1,332文字

二十年以上前、神戸市で児童連続殺傷事件を起こした、酒鬼薔薇聖斗こと少年A(当時14歳)が、いまどこで何をしているのか気になって、ネットで調べてみると、マスコミに住所を知られては転居したり、少年院で学んだ溶接で仕事をしたりしながら細々と暮らし、本も出版したことがあり、あまつさえ、「存在の耐えられない透明さ」という、ホームページを開設していたこともあったという。

自分ではアートのつもりらしいグロい絵を公開したりして、『規範からはみ出た芸術家たちのチームを作りたい』とどこかで言っていたそうだが、ぼくはこの発言に最大の違和感を覚えた。

というのも、芸術とは、孤独の中でこそ深まるものだという気がするからだ。殺人を犯し、社会に挑戦状をたたきつけ、世の中の常識から完全に逸脱しておいて、なお芸術家として認められたいと欲するときに、一人でやろうとするのではなく、集団の力に頼ろうとするその弱さは、まったく芸術家のものではない。

孤独は、時に人を狂気にまで追いやる。その危険のなかでこそ、人は己の芸術とも一対一で向き合うことが出来るのではないか?その人がどんなにユニークな仲間であったとしても、人の意見に右往左往していては、まっとうな芸術など産むことはできないのである。まともにまっとうに、必死で生きていたとしても、孤独に陥る事はある。人は孤独と隣り合わせの生き物だ。そして孤独こそは、透明さと深い関係があることなのではないか?そしてそこにこそ、芸術の存在意義はあると思う。芸術は、透明な汗をかいて生きるふつうの人々を鼓舞するためにこそあるのだ。

甘えてはいけないと思う。14歳で事件を起こし、40歳くらいのおっさんになっているであろうAよ、芸術家になりたいなどと今更ほざくのではなく、中途半端なものでしかない己の才能など忘却して、汗して働け。

『透明』は、ひょっとしたら、もっともきれいな色だったのかもしれないのだ。Aはそれを血の色で汚した。雑巾でそれをふき取るのも立派な仕事だが、世の中で働く無名の人々の透明性に吐き気すら覚えるAには、掃除夫として働いて生活するだけの気概もないだろう。なら、少年院で行われた『教育』とは、いったい何だったのか。

犯罪者の人権ってなんなんだろうか?責任ありきではないのか?Aは犯罪者として、責任に向き合ってはいないと想う。額に汗して働いて、無名性のなかに自らの悪名を葬り去ることに、まったく成功していないからだ。Aに対する認知行動療法は、失敗に終わった。

なぜいまだに『芸術家』などという『夢』にしがみついているのか?

ぼくは、自分に才能がないので、作家なぞという『夢』はあきらめたぞ。

そしたら結構身軽になれたのだ。

透明だって色なのだ。血の色、汗の色、平凡でも誠実に生きていくなんの意味もない当たり前、そこに色を観ることもいまだ出来ないとしたら、Aよ、君にはやはりアーティストとしての才能など皆無なのだ!!!

人は、必ずしも芸術家になる必要はない。しかしもしもにんげんになることに失敗したならば、それは一千億年の孤独で贖わねばならない罪を負うことになる。それは「透明」などということよりもよっぽど辛い事のハズだ。いい加減Aはそのことに気が付かねばならない。
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