第8話

文字数 1,042文字

ぼくは、頭が良い、という、自負と言うか誇大妄想と言うか、なんかそんなものに付きまとわれている。そしてその実、そんなに頭が良くないことも知っている。エリートのいく中学校に行って挫折し、ノートに『ぼくは天才だ』と書きなぐった「17の夜」から約30年を経て分かった、「自分はそんなに頭が良くない」である。

にもかかわらず、社会に出ると、本当にあほな人と対決、対立してしまうこともある。自分は知性代表なんかではないと思いつつも、なんかそんなたちばをおめおめかって出てしまうことがあるのだ。なまじっか本なんぞたまに読んだりするからイケないのかもしれない。

最近よく読んでいるのは赤瀬川原平の文章で、ぼくにとっての彼のファースト著書『よみもの 無目的』というタイトル自体、昔だったらおぞけをふるっていただろうが(ぼくの昔の夢の一つは意味の哲学者になることだった…)、いまはそういうところにも関心がいきます、ってな感じで、ガッチガチの硬い文体や考え方から、ふうっと肩の力を抜いて離れていくことのほうが、いまのぼくの『適応的学習』なのである。

がちがちの硬い考えや態度は、この、高度に組織化された、均質性を希求している(今はそれだけでもないような、少なくともかけ声はあるけれども)社会の中ではほんっとに軋轢を生み出しやすく、また太極拳を学ぶ者として、力の抜き方を学ぶという事は人生の主たる関心事なのです。(太極拳では力の抜き方を一生懸命に学ぶけれども、それが戦うための、時には両者ともに勝つための、方法論として理にかなっているからこそ、力の抜き方を、ゆっくりと一定の速度で動くことを、学ばねばならないのだと、教わります)。

私立の医学部の教室の片隅で、誰からも注目もされずに、自分にはこの教室の中に気の渦巻きを生み出す力があると信じて、授業も聞かず、聞いたとしても頭にも入らず理解もさらにだに出来ず、孤独に呼吸法を実践していた20年前。

なんという二十代だったことか!なんと暗い暗い25歳だったことでしょう!!

いま、なんとか、社会という名のバカでかい観世音菩薩の掌の中に拾い上げられようとしているかもしれないのは、

およそ八年前、根室の精神病院で、妻となる女性と出会ったことに端を発するのです。そこから二人三脚で、人生の巻き返しと再構築を続けてきているのです。

金曜日、仕事を休んでしまいました。今日、太極拳とガイドヘルパーの仕事を休んで、午前12時47分まで寝ていました。月曜日(明日)からまたがんばります!!!
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