第20話

文字数 1,160文字

誰もが思っていることで、今更かもしれないが、日本という国は本当に、どうなってしまうのだろうか?

移民や難民の方が日本に来ると、驚くという。老人ばかりだからだ。ベトナムという国に興味を少し持って、地球の歩き方を買ったのだが、そこには、ベトナムではまだまだ若い人の比率が日本よりもずっと大きいと書いてあった。

ぼくも気が付けば45歳である。子供の時の感覚からすれば、もう相当な歳のはずなのだが、これでもまだまだ現役の真っただ中でいられる。

45歳でアルバイトでも、まだなんとなく望みもあるかもしれないと想える、それはこの年からまた勉強を開始したからかもしれないが。

子どもの時には考えもしなかった、高齢化社会の利点というものがある。それは、現役年齢が非常に長くなるという事だ。さっき読んでいた手塚治虫の漫画の中で、登場人物が言っていた。

『人生は長い』と。

本当に長い。どれだけ失敗をしても、この高齢化社会での人生では、取り返しがきくかもしれないぐらいに、人生は、長く、だらだらと続けることもできる。無論、だらだらだけでは何も取り返せないかもしれないから、どこかで何かは覚悟を決めて、根性を入れてやらねばならないかもしれない。

けれど、どんな経験だって役には立つ。だらだらと生きていたって、毎日が経験だ。その経験の一つ一つが、話の種になったり、芸の肥やしみたいなものにもなるかもしれない。そう考えてみると、とにかく生きるってことだけでも貴重なのかもしれない。

そして、気持ちよく生きるためには、人は基本、少なくとも労働者は、働かなければならない。学生の頃はこのことが全く分かっていなかった。これがぼくの最大の失敗だと思う。

自分の気に入った仕事をしていれば、毎日気持ちが良いし、異性にアピールする部分も出てくる。仕事の中で異性を知り、出会い、触れ合い、異性の意見なんてものも耳にするようになる。

気持ちよく生きて、なおかつ異性からも少しは評価されるとなれば、生きている甲斐もおのずと生まれてくるだろう。生活は文学や芸術の原動力でもあると想う。生活をむやみとおだてるわけではないけれども、生活が気持ち良くいってこそ出来る文芸的な活動と言うのがあるのだ。

生活を闇に葬って文章を書いても、特に今のご時世では、その文章が日の目を見ることはまずないのではないかとぼくは想う。

生活を闇に葬ってまで書いた文章は、そもそも発表したいと思うような文章ではないかもしれない。生活の充実からあふれるようにして出てくる言葉を、ぼくはできるなら書き、発表したい。そこにぼく自身の抜き取りがたい核心部分を少しは混ぜ込みながら。

それらの言葉はきっと、ぼくと同じく今の日本で不安を抱えながらもなんだかんだ言って生活の充実を謳歌している数多の人の心に刺さってくれるのではないか。



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