第69話
文字数 845文字
とうとうコロナと証明できないまま、月曜日から再び働く事になってしまった。
なってしまった、とはいうものの、それほどトホホという感じではなく、もしもみんなにうつしたら、とあやぶむ気持ちも、多少はあるが、多少でしかない。
それならなんであんなにあわてて発熱外来受診しようとし、コロナ陽性を証明しようとしたのかといえば、なんだろう、義務感からだろうか。
それに多分、コロナ利得ってものもある。
一応義務感を持って働いてはいるが、休んで入るお金があるならばそのほうが素敵だと思ってしまうのはやはり人情ではないか。そういう打算と、一方で病気で苦しいという部分が相まって、コロナ禍での発熱外来受診はそれこそ熱を帯びるのだらふ。
そんなわけで、また来週の月曜日から働く(これを書いている時点は土曜日の朝)。
そういう朝に、一つオモシロイ夢を見た。北海道で車が舗装された浅い川の上を走っている夢だ。水路も並走していて、そこでは誰かがラジコンの船で遊んでいた。十勝、というキーワードも出てきて、十勝ってどのへんだったけかとか考えたりしたが、夢の中では浦河も十勝に入るかとかトンチンカンな事しか思い浮かばない。
十勝と言えばやはりばんえい競馬であろう。どさん子たちの障害レース。それはまるで、人生の縮図のようではないか。短足の馬たちが、ぜいぜい言いながら坂を登らされる。
動物虐待だ!でも、声援をもらった馬は頑張ったりして、感動的な側面もある。
人生でも、たまに声援が飛ぶことがある。がんばっている『ウマ』は、思わず応援したくなるよ、ねえ?
それほどの『ウマ』は、なかなかいないとしても、さあ。
(サラブレッドたちがスピードを競うふつうの競馬と違い、ばんえい競馬では短足のずんぐりむっくりした、軽トラみたいなウマ達が、一生懸命坂を上る直線の障害物競争である。そのへんも、ごくふつうの人達の人生の縮図みたいで、思わずのめり込んで応援したくなる。人生でまだ一度しか行ったことがないが、十勝=帯広に行く機会がまたあったら、また行きたい。)
なってしまった、とはいうものの、それほどトホホという感じではなく、もしもみんなにうつしたら、とあやぶむ気持ちも、多少はあるが、多少でしかない。
それならなんであんなにあわてて発熱外来受診しようとし、コロナ陽性を証明しようとしたのかといえば、なんだろう、義務感からだろうか。
それに多分、コロナ利得ってものもある。
一応義務感を持って働いてはいるが、休んで入るお金があるならばそのほうが素敵だと思ってしまうのはやはり人情ではないか。そういう打算と、一方で病気で苦しいという部分が相まって、コロナ禍での発熱外来受診はそれこそ熱を帯びるのだらふ。
そんなわけで、また来週の月曜日から働く(これを書いている時点は土曜日の朝)。
そういう朝に、一つオモシロイ夢を見た。北海道で車が舗装された浅い川の上を走っている夢だ。水路も並走していて、そこでは誰かがラジコンの船で遊んでいた。十勝、というキーワードも出てきて、十勝ってどのへんだったけかとか考えたりしたが、夢の中では浦河も十勝に入るかとかトンチンカンな事しか思い浮かばない。
十勝と言えばやはりばんえい競馬であろう。どさん子たちの障害レース。それはまるで、人生の縮図のようではないか。短足の馬たちが、ぜいぜい言いながら坂を登らされる。
動物虐待だ!でも、声援をもらった馬は頑張ったりして、感動的な側面もある。
人生でも、たまに声援が飛ぶことがある。がんばっている『ウマ』は、思わず応援したくなるよ、ねえ?
それほどの『ウマ』は、なかなかいないとしても、さあ。
(サラブレッドたちがスピードを競うふつうの競馬と違い、ばんえい競馬では短足のずんぐりむっくりした、軽トラみたいなウマ達が、一生懸命坂を上る直線の障害物競争である。そのへんも、ごくふつうの人達の人生の縮図みたいで、思わずのめり込んで応援したくなる。人生でまだ一度しか行ったことがないが、十勝=帯広に行く機会がまたあったら、また行きたい。)