第51話

文字数 664文字

今も時々、コリン・ウィルソンって何だったのだろうということを考える。

ウィルソンは、アンチ・ヒーローの文学を否定した。主人公はヒーローでなきゃならないと考えたのだ。

その上で文学を書こうとした、のかな。「スパイダーワールド」のナイアルを始め、何人ものヒーローを創造している。

その中でぼくが一番好きなのはジェラード・ソーム氏。現代を舞台にした、わりと文学的な作品に登場する、ウィルソンの分身とも言える人物だ。

そして皮肉な事に、このソーム氏は、わりとアンチ・ヒーローなのである。

ウィルソンは考察においてアンチ・ヒーローを否定したけれど、実作するうえではちゃっかりアンチ・ヒーローを描いているのだ。まあ、「暗黒のまつり」においては、馬鹿なあんちゃんたちを相手に威勢の良い啖呵を切ったりもするけれど。

それでも、理想を追い求めてもがく姿が共感を呼ぶのだ、理想を実現した姿ではなくて。

だからウィルソンの姿は、理想に邁進する雄雄しい姿ではなくて、理想からかけ離れたところで苦しんでいる姿に共感するのが正しかったのだろう。そういうものとして、ぼくの思春期に、コリン・ウィルソンの著作群は肥やしとなってくれたのかもしれない。

今ではウィルソンも、ウィルソンから知ったグルジェフもバーナード・ショーも読まずに、もう少し軽い感じでアンチ・ヒーローを扱う作品を読みたいな、なんて思う。

世は情け。アンチ・ヒーローは私です。そしてわずかわずかの清浄を探しては、自分の中に暗黒しか見つけられずにがっかりする、そんなこんなで46、であります。(まだまだこれからやで)
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